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第20話 虹のつばさ
白い雪に覆われた、見慣れない様式の建物。どことなく憂鬱そうに歩く人々。分厚い雲に覆われた灰色の空。
それらを車の窓から眺めながら、オーウェンの気分もまた沈みかけていた。
六年。六年も、他人と家族ごっこをしなければならないのか。
改めて考えると、簡単そうに見えて異常な仕事だ。
母親役のカランと暮らすのはいい。
父親役のコンラートという男についての資料も渡されたが、そちらも問題なさそうだ。資料で見る限りは、温厚そうな普通の男に見えた。
大人の相手はいいのだ。相手は仕事だと割り切っているし、こちらも人目につく場所でだけそれらしい演技をすればいいだけのこと。
しかし、四歳の子供が相手となると、話は別だろう。
今まで家族と一緒に暮らしていなかったのなら、これから一緒に暮らす家族を本物だと思い込むだろう。
むしろ、思い込んでもらった方が偽装家族としては成功しやすい。
自分に果たして、兄の真似事ができるだろうか。
オーウェンは昔から、自分よりも幼い子供が嫌いだった。正確には苦手といった方が近いが、どちらにせよ、たいしてかわりはないだろう。
難民キャンプにいた頃も、極力関わらないようにしていた。
弱い生き物は嫌いだった。
守らなければ生きていけないような存在にすがるような目で見られると、嫌悪感で吐きそうになる。
救いを求められてもなにもできない、自分の無力さを突きつけられているようで、どうしようもなくなるから。
オーウェンを乗せた車は、二階建てで赤っぽいレンガの壁の、一見するとごく普通の建物の前で止まった。
運転手は、あとで迎えにきます、という言葉だけ残して、さっさと走り去っていった。
一人で中に入ると、警備員らしき男が立っていて、身分証の提示を求められる。
民間の警備員の格好をしているが、実際は軍人なんだろうな、とオーウェンはすぐに察した。
一応、表向きには一般的な児童養護施設になっているらしいが、監視カメラが至るところに仕掛けられているし、子供が外に逃げないようあらゆる工夫がなされているのがわかった。
一階にも子供たちはいるようだが、オーウェンは二階に案内された。
その部屋にいる子供は、だいたい十数人程度で、全員が五歳以下に見えた。もしかしたら、年齢ごとに部屋を分けているのかもしれない。
「あの子です」
受付から案内してくれた女性の職員が、一番奥にいる子供を指差す。
同じ室内では、元気よくぎゃーぎゃーと大騒ぎをしておもちゃを振り回している子供もいたが、その子は窓際にぽつんと一人で座り、本を読んでいる。
良く言えばおとなしそう、悪く言えば陰気そうな子供だった。
職員はその子にオーウェンを紹介するでもなく、そそくさとどこかに行ってしまったので、オーウェンは一人で声をかけにいくことになった。
「こんにちは」
いきなりのことにびっくりさせないよう、できるだけやわらかな声で話しかける。
俯いていた顔が持ち上がって、紫の瞳がこちらを見た。写真で見るよりずっと澄んでいて、綺麗な色だった。
青みがかったグレーの髪も、近くで見ると銀色にも見えて美しい。おとなしそうな雰囲気と相まって、人形のようにも見える。
なるほど確かに、好色な金持ちなら喜んで買うだろう。
だれ? という疑問が瞳に浮かんだのは見えたが、その子供は言葉を発しなかった。
じっと、腹の底を見透かすような目でオーウェンを見つめている。
「S0021……くん?」
正直なところ、そんな記号めいた名称で呼びかけるのは気が重かったが、他に呼びようがなかったので仕方なく口にすると、子供は途端にオーウェンに興味を失った様子で、ふいと視線をそらされた。
手元にある本に、再び視線が落とされる。
水彩絵の具らしいタッチで白い鳥が描かれた、色彩が美しい絵本だった。
「……なんていう本?」
会話に困ったオーウェンは、しゃがみこんで、一緒に本を覗き込んだ。
子供はおもむろに本を閉じると、無言でオーウェンに差し出してきた。
表紙に書かれた文字は――
「にじのつばさ?」
子供はやや目を見開いて、ようやく口を開いた。
「そう書いてあるの?」
口調は淡々としているが、年相応の、あどけない声だった。
「……もしかして、読めない?」
「よその国のことばみたいだから、わからなかった」
「ああ……そういうことか」
確かにこれは、ルビリオの公用語ではない。北アルリアの、ごく一部の国でしか使われていない言葉だ。
ある程度の教育を施設で施しているにしても、外国語まではまだ習得していないとしてもおかしくはない。
「まさか、今まで誰にもこの本を読んでもらったことがないとか?」
「うん」
「読んであげようか?」
その瞬間、たまたま窓から入ってきた光が反射しただけかもしれないが、無機質なガラス玉のようだった瞳に、チカリと光が差し込んだように見えた。
「読めるの?」
「うん」
「なんで?」
「たくさん勉強したからね」
エリックの本棚には、この言語と同じ言葉で書かれた本が何冊か入っていた。作者は違うはずだが、どれも美しい装丁の本だったので覚えている。
その本が出版されたのは、小さいが、文化が豊かな国だとエリックは言っていた。
「隣、座ってもいい?」
子供が座っていたのはイスではなく段差のようなところで、オーウェンの問いかけに頷くと、少し端に寄って、並んで座れるぐらいのスペースを作ってくれた。
両親を亡くしたばかりの二人の幼い兄弟が白い鳥の背に乗って、虹の向こうにいるという両親に会いにいく旅を綴った話だった。
子供だましな作り話だ。オーウェンはこの手の童話は昔からあまり好きではない。だいたいが教訓的であったりして、おもしろくなかったからだ。
ただ、この本に関して言うなら、旅先の景色の描写があまりにも幻想的で美しく、それでいて妙に懐かしい感じもあって、不思議と魅入られるものがあった。
弟になる予定の子供は、この物語の内容すらほとんど理解していなかったらしく、ところどころで驚いていた。
「このふたりはさいご、死んじゃったの?」
「そういう解釈もできるけど、夢の中で両親に会えた、ってことじゃないのかな」
「じゃあ夢からさめたら、またふたりぼっちなんだ?」
「たぶんね」
もっと喋らない子供だと聞いていたはずだが、意外とよく喋る。
遠目でこちらの様子を窺っている職員たちは驚いた顔をしていた。
「でも、ひとりぼっちじゃないならいいね」
「……そうだね」
もっと気の利いた言葉を使って、この子供を手懐けなければ。
頭ではわかっていたが、大人の前では利口によく回る口も、年下の少年の前ではずいぶんと鈍かった。
――僕はね、実はきみのお兄さんなんだ。きみを迎えにきたんだよ。
用意してきた嘘が、なかなか口から出てきてくれない。
「あのね、こっちきて」
グレーの髪をした子供は唐突に立ち上がると、オーウェンの手を引いて廊下に出た。
どこに行くのかと思ったら、屋根裏部屋に連れて行かれた。
屋根裏部屋は倉庫になっているようで、ずいぶんと埃っぽかった。
使わない道具が詰め込まれた箱が窓の脇にいくつも積み上げられていて、その手前には、日に焼けた古い本が並ぶ本棚がある。
懐かしさに、オーウェンは思わず目を細める。そこは、エリックの家の二階の風景によく似ていた。
「あの本、ここから持ってきたんだ」
「なるほどね」
よく見ると、国外の本が多い。
読めない絵本がなぜ養護施設にあるのかは謎だった。
昔ここにいた誰かが趣味で収集していたものか、あるいは誰かに寄付されたものなのだろうか。
「他にも先生……? が読める本、ある?」
「多分、読もうと思えば全部読めると思うよ。残念ながら僕は、先生と呼ばれるほど年上でもないけどね」
「ええと、じゃあ……」
「僕の名前なら、オーウェンだよ」
試しに一冊、子供向けの本を手に取ってみる。
『虹のつばさ』とは別の言語で書かれた本で、表紙にはドラゴンが描かれていた。
「オーウェン?」
「そう」
「魔法使いみたいなかっこいい名前だね」
「魔法使いか。はじめて言われたな」
どうやら、子供の興味を引くことには成功したらしい。
最初に挨拶した時の無関心ぶりからは想像もつかないぐらいキラキラした目を向けられて、逆にいま、落ち着かない。
「ぼく……エスゼロゼロツーワン、って呼ばれてるんだけど、なんかロボットっぽくない? それも、量産機のザコ」
「…………」
どこでそんな言葉を覚えたのだろう。施設に置いてあるコミックだろうか。いずれにせよ、知能が高いのは間違いなさそうだ。
「……エス、だけの方がカッコいいよね」
そもそも、オーウェンに人の名前をつけるような資格はないのだ。浮かんだのは、そんなシンプルな呼び名くらいだった」
「エス、かぁ。……もうひとり、頭にエスって単語がつく子がいたんだけど、この間どこかに連れて行かれて戻ってきてないから、それでもいいかも」
「他の子は関係ないよ。きみは今日でこの施設を出るんだ。きみが呼ばれたい名で呼ぶよ」
「えっ……」
いくらかは気を許してくれたらしい子供のあどけない顔から、途端に表情が消える。
「……ぼく、殺されるの?」
穏やかな午後の日差しが差し込む屋根裏部屋の空気が、一瞬にして凍りつくのがわかった。
――本当に、賢い子だ。
戻ってこなかった子がどうなったのか、この子は察して、その上で、怯えもせず泣きもせず、すがりもせず、ただ淡々と、その日生きることだけを考えてきたのだ。
「……違うよ」
オーウェンはしゃがみこみ、子供と目線を合わせた。
紫の瞳に、恐怖の色はない。
それが美しくて、悲しかった。
「きみと、白い鳥に乗って虹を目指す旅に出るために、迎えにきたんだ」
我ながら陳腐で、くだらない子供だましの言葉だ。
もっとたくさん、お伽噺でも読んでおけばよかった。難しい知識はあるのに、幼い子供の心を動かす言葉も知らない。
「僕たちは兄弟なんだ」
正確にいうと、これから兄弟にならなければならない。
そのために、オーウェンは真摯な眼差しで語りかける。
「…………きょう、だい……?」
「うん」
「ぼくの、にいさん……?」
震える手が、おそるおそる、オーウェンの顔に向かって伸ばされてきた。
それでいて触れるのをためらっているような小さな手を掴んで、オーウェンは自らの頬に押し当てた。存在を確かめさせるように。
幼い手は思っていたよりもずっとやわらかくて、オーウェンの掌のすっぽりと収まってしまうほど小さかった。
「そうだよ。家族だ」
自らに言い聞かせるように、オーウェンはシンプルな言葉で告げる。
「かぞく……」
弟は、知らない単語を覚えるように復唱したあと、そっと、オーウェンの耳元に唇を寄せてきた。
「Szeretlek」
オーウェンは大きく目を見開いた。
この国の言葉ではない。南アルリアの最北端。北側との境界に位置する国の言葉だ。オーウェンが難民として暮らしていた街。そして、エリックと暮らした街で使われていた言葉だ。
「……今の言葉、どういう意味だか、知ってる?」
「だいぶ前にいなくなった子が教えてくれたんだ。家族に挨拶する時に使う言葉だって」
「……愛してる、って意味だよ」
正規の国民だったか難民だったかは知らないが、おそらくその子供は、その国から連れて来られた子供だったのだろう。
オーウェン自身は、その言葉を使ったことはない。誰かに言われたこともない。
でも、使っている人を見たことはある。
子供に、あるいは奥さんに、旦那さんに、恋人に、親に、やわらかな声でそう告げて、相手を抱きしめたり頬にキスをするさまを――野良犬のように食糧を求めて街をさまよっている時に、寒くて寒くてつま先が変色するほど凍りそうになっている時に、お腹がすいて道の端にへたりこみながら今度こそ死を覚悟している時に――何度も目にした。
自分には一生縁のない世界だと、それこそ虹の向こうを見るような気分でただ眺めていた。
それを、こんな異国の地で、今日はじめて会った子供に言われるだなんて――思わず、運命、だなんて都合のいい言葉が頭に浮かんできてしまう。
「あいしてる、ってなに?」
新しく弟になった子供は、きょとんとしていた。
「……なんだろうね」
正直に言うと、自分にもよくわからない。
わからないのに、途方もない憧憬の対象であった言葉を、オーウェンは弟の耳元に囁き返した。
「Szeretlek」
そっと抱きしめた小さな体はあたたかかった。
命のあたたかさだ。
それが無性に愛おしく思えて、もしかしたらこれが愛というやつの正体かもしれないと思ったが、正解なのかどうかはわからなかった。
弟はしばらく無言で固まっていた。
あまりにも反応がないので心配になって顔を見れば、目を見開いたまま、声ひとつたてずに静かに涙を流していた。
無表情のまま、ただ涙腺だけが壊れてしまったような、奇妙な状態だった。
それほどまでにこの子供が、これまで愛情とは無縁の世界で生きてきたのだとわかった。
背中をさすってやると、ようやく、渇いてひび割れかけていた唇から、小さな嗚咽が漏れた。
「泣いてもいいよ。誰も怒らないから」
優しく語りかけて髪を撫でると、しばらくたってから、やっとのことで、しがみついて子供らしく泣き始めた。
はじめて、家族ができた。
嬉しかった。
愛おしかった。
生まれてはじめて、自分以外の誰かを守ってやりたいと思った。
それなのに自分は、この愛しい弟を、人殺しに育てあげなければならない――。
もしもこの世界のどこかに神様ってやつがいるなら、殺してやりたくなった。
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