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第22話 もしもあの時

 パーク内で一番人気のレストランは、本来なら夕方の時間帯の予約はなかなか取れないらしいが、今回は運良く、会員の知り合いに頼んでVIP枠の予約が取れた。  店内の大きな窓からは、作り物の妖精の国が見える。  写真を撮ったりしてはしゃいでいる一般客がたくさんいる一方、奥の半個室スペースに通されたオーウェンとエスの間には、重苦しい空気が流れていた。  コース料理が順番に運ばれてくる間、無言の時間が長く続いた。 「さっきは、勝手にあの男についていって悪かった。すぐに兄さんに連絡を入れるべきだったな。オレの判断ミスだ」  三番目の魚料理が運ばれてきたあと、エスがようやく口を開いた。 「……なんて声をかけられたの?」  すっかり食欲がなくなったオーウェンは、なかなか飲み終わらないコーンスープから顔を上げた。  いつものエスなら、もっと冷静な判断ができたはずだろう。よほど気になることでも言われたに違いない。 「オーウェン・ロゴフはなぜエリクシアの被検体になったのか知りたいか、と言って声をかけられた」  最悪だ。  想定の範囲内ではあるが、よりによってあの男――と、再びアーサーへの怒りがぶり返してくる。 「…………聞いたの?」 「聞いた。ルビリオ帝国に内乱が起こってグランシャリオが壊滅したと思われた際、弟の追跡調査をさせてくれと上司に願い出たが、なかなか許可が下りず、『引き換えにエリクシアの被検体になるから許可を出せ』と強引に上司に迫ったと。……エリクシアは当時まだ試験段階で、じゅうぶんなデータが揃っていなかったから、被検体になること自体、危険な賭けだったと」  低い声は落ち着いている。しかし、紫の瞳には、深い思案の色があった。  思わず、深いため息がオーウェンの口から漏れる。 「はー……もう、あの最低野郎」  オーウェンらしからぬ悪態まで口をついた。  普段は思わせぶりな言葉ばかり並べてどんな情報でも出し惜しみをする嫌な男のくせに、よりによって、オーウェンが一番知られたくなかったことを弟の前でべらべら話されようとは。嫌がらせにしても、度を超えている。  やっぱり一発殴っておくべきだったと後悔する。 「本当なのか?」 「……本当だよ」 「兄さんの前で言っていたことも?」 「……ああ」  エスは、フォークで刺した魚を一口入れたあと、咀嚼しながら、言葉を選んでいるようだった。 「すまない。……全部オレのせいだな」 「違うよ」  オーウェンは即座に否定した。 「グラノールから逃げたあの日、僕がきみの手を離してしまったせいだ」 「でもあれは……最初から決まっていたことで、仕方のないことだったんだろう?」 「そうだよ。わかってる。でも、僕はあの日、きみをあのまま北側に引き渡してしまったことをずっと後悔していて……あの時、きみの手を離さなければ、きみに汚い仕事をさせたり、危険な場所に行かせることをやめさせられただろうかと、ずっと考えていたんだ」  たとえそのせいで南側と北側の関係に亀裂が入ろうが、どんな手を使ってでも南側に連れて帰るべきだったのではないかという考えが、何度も何度も頭の中で繰り返されて消えなかった。 「……きみと別れたあと、みんながね、僕にひどいことを言ってきたんだ。あれはもうおまえの弟じゃない。おまえには最初から弟などいなかった。だから、死んでいたとしてもおまえにはもう関係ない。……そんなこと、ないのにね。僕にはちゃんと、弟がいたのにね」  それから数年後、民衆蜂起やクーデターが起こったりして北側の情勢が不安定になればなるほど、後悔は増していった。  いてもたってもいられずにルビリオ首都に潜入し、オーウェンが目にしたのは、かつて訪れたグランシャリオの本部や、エスが預けられていた児童養護施設が爆発で壊滅状態になっている、絶望的光景だった。 「グランシャリオの生存者が絶望的だと言われた時は、気が狂いそうだった。……いや、実際、狂っていたんだと思う」  やっぱりあの時、手を離さなければよかったんだ。  また同じ後悔の言葉が、頭の中で繰り返し鳴り響いていた。  一晩中、自分を責め続けて、朝まで眠れなかった。 「でもね、明け方、限界がきてうとうとしてきた頃にきみの夢を見た。……ハッと目を覚まして外を見たら、綺麗な朝焼けの空が広がっていて……なんだろうね、うまく説明できないんだけど、『エスもこの空を見ているかもしれない』って根拠のない確信が浮かんできたんだ」  すぐに、グランシャリオ本部跡の状況を調べ始めた。  反政府軍や民衆による爆破ではなく、自演工作による爆破だという証拠が出てきた。  軍事衛星の映像記録を調べ上げ、ハッキングで監視カメラ映像も確認し、他国の情報網すら利用して、バルトロノアがまだ生きていて、逃走に成功していることを確信した。  バルトロノアの脳みそは優秀だが、本人の戦闘能力はたいしたことはない。ならば、必ず使える手駒を――ハウンドファングの精鋭を少なくとも十人以上は手元に残しておくはずだと気づいた。  オーウェンは、自分が徹底的に教育して育て上げた弟が戦闘員として優秀であると確信していた。  ならば生存の可能性がじゅうぶんにありうる、という結論に至ったのは、兄としての願望だけでなく、工作員としての勘でもあった。  しっかりと話を聞きながらも黙々と食事を続けていたエスが、フォークを置いた。 「ルビリオ崩壊時の状況については、正直、いまだに記憶が曖昧で、よく覚えていないんだ」 「そうだろうね」  国がなくなるということは、忠誠心を捧げていたものがなくなるということだ。  国家機関としての体裁を保てなくなったグランシャリオが、従順な猟犬たちを従順なままでいさせるため、張りぼての大義を掲げるよりも、催眠暗示で洗脳する方がたやすいということは、容易に想像がつく。 「でも、それまでいた場所から逃げる際に船に乗せられて、空爆で船が沈没したのは覚えている」 「…………」 「死にそうになったことはこれまで数えきれないほどあったけど、本気で死ぬかもしれない、という覚悟をしたのはあの時だけだ。……なんでだろうな。他の記憶は曖昧なのに、あの時の記憶はやけに鮮明に覚えている。……海に投げ出されて沈んでいく最中、朦朧とする意識の中で、夢のようなものを見た、気がするんだ」 「どんな夢?」  囁くように、オーウェンは問いかけた。 「夕暮れの中、誰かに手を引かれて、家に帰る夢だ。『おいで、帰ろう』って言われて……そこで突然、意識が覚醒した。無我夢中で水面に這い上がって、それでオレは助かったんだ」  はじめて聞く話だった。  その時、そのままエスが沈んでいたらここにはいなかっただろう、と思うとぞっとする。 「その時は、誰の声だかわからなかった。でも、今思えば、あれは兄さんの声だった。オレは兄さんに助けられたんだな」 「そっか……ふふ」  泣きたいような笑いたいような、不思議な気分だった。  二人が互いの夢を見たのは、同じ日だろうか。  そんな都合のいいことはないだろうと思いつつ、どこかで繋がっていたのなら嬉しいと、胸の底から、形容しがたい熱い情動がこみあげてくる。 「兄さん」  テーブルの上で、エスは手を差し出してきた。 「明日の便で、この国を出よう。……今度は南側に連れて帰ってくれるんだろう?」  すっかり逞しく、大きくなった手に、十二年前、自分が手放してしまった小さな手の残像が重なる。  最後に握った手の熱が、ずっと忘れられなかった。  もう二度と触れられないかもしれないと思ったことは、数えきれない。  諦めた方が楽に生きられることはわかっていた。  それでも、諦めなかった。  諦めなかったから、いま目の前にある。 「……そうだね。今度は……今度こそ、一緒の家に帰ろう」  こらえきれなかった涙のひとしずくが、シャンパングラスの上にこぼれ落ちて、淡い金色の液体に呑まれていく。  震える手を乗せたら、包み込むように握りしめられた。  いつのまにこんなに大きくなってしまったのだろう。  成長過程を見られなかった悔しさと、頼もしいぐらいの力強さへの安堵が胸の中で交錯する。  顔を上げたら、無表情が板についていたはずのエスが口角を上げてぎこちなく微笑んでいるように見えて、自分の中の何かが崩れ落ちるのを感じた。

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