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第28話 神様

 空港を出たら、いきなり季節が逆転したような光景が広がっていた。 「暑いな」  エスは最初、黙って平然としていたが、日差しの強い海沿いの道を車で走っているうちに、助手席で上着を脱ぎ始めた。 「ここは十二月でも、三十度近くになるのが当たり前の街だからね」  運転席のオーウェンはとっくに半袖になって、ハンドルを握っている。  フライト前の時点で長袖の下に半袖を着ていくよう言ってあったから、すぐにエスも半袖姿になる。  エスは比較的着痩せするタイプで、長袖の時は普通の長身の青年に見えるが、半袖となるとさすがに腕の筋肉が鍛えられているのが明らかになり、オーウェンはひそかに「ふふ」と思う。 「……なんだ?」  視線に気づいたエスがこちらを見てくる。 「いやぁ、男前だなぁと思って」  今向かっているのは、サザンクロシードの本部ではない。本部に顔を出す前に、オーウェンの拠点のひとつに立ち寄るつもりで、別の空港に降りたのだ。  車道のすぐそばには長い砂浜が広がり、海水浴客で賑わっている。  空の色も海の色も、トルネシアで見た色とはひと味違う。なにもかもが色鮮やかすぎて、眩しいくらいだった。 「あの像はなんの像なんだ?」  海岸線からよく見える丘の上に、巨大な白い像が建って、街を見下ろしている。エスはそれに興味をひかれたようだった。 「神様の像だよ」  南アルリアでもっとも信者の多い宗教の象徴たる存在だった。  ふぅん、とエスは呟いた。 「トルネシアの神様とは、姿が違うんだな」  昔住んでいたグラノールの家の近くには、教会があった。  もちろん信者ではなかったけど、近所の人の目もあったので、年に数回の大きな集会にだけはロゴフ一家も参加していた。 「トルネシアはイザヤ教。このあたりはイルミナ教だから、それぞれ違う神様なんだよ。北の方はシュトレイク教が主流かな。シュトレイク教とイルミナ教と源流は一緒なんだけど、千年以上前に分岐して今は別物になってるんだよね」  そういえば、宗教に関してはあまりエスに教えた記憶がないので、エスの中で認識が薄かったのかもしれない。 「ルビリオにはああいう像ってあんまりなかったっけ?」 「神様の像より、皇帝の像が崇められていた。いつの間にか全部壊されていたが」 「ああ……」  オーウェンは苦笑を漏らす。  お国柄を考えれば、仕方のないことだった。 「ここは、神様に見守られてる街なんだな」 「……そうだね」  特定の信仰心を持たないオーウェンにすら、あの像は特別な存在に映る。  あの像がなくてもこの街は美しいだろうが、白い像に見守られている街の景色は、わりと好きだった。 「ねぇ、エスは神様の存在って信じる?」 「信じるよ」  意外と、すんなりと答えが返ってきた。 「どうして?」 「……時々、あんたが神様の使いに見えることがあるから」 「ふふ。なぁに、それ」  笑いながらオーウェンは、神様そのものだと言われなかったことに、どこかほっとしていた。  弟から、そんな信仰じみた盲目的な信頼を寄せられるのは、オーウェンの望むところではない。 「僕が救いたいのはいつもきみだけで、他の人間には興味がない。僕が神様の使いだとしたら、とんでもない出来損ないだね」 「……あんたがその気になれば、もっとたくさんの人を救えそうなのに?」 「僕はしょせん、自分勝手な一人の人間にすぎないからね」  エスはそれについて、なにも言わなかった。  なにか考えていることはあるようだが、口にする必要がないからあえて言わない。  オーウェンはエスのそういった思慮深いところを好ましいと思っているから、返事を求めることはせず、かわりに鼻歌をうたいながらハンドルを回した。  砂浜は途切れて、工業地区に入ったところだった。  大量のコンテナが積み上げられているのを横目に見ながら、対岸へと繋がる長い橋に入る。 「……兄さん」  橋のちょうど中程まできたところで、エスが低く囁いてきた。  ほぼ同時に周囲の異変に気づいていたオーウェンが全力でアクセルをベタ踏みする。  つい数秒前に通過した地面の上に鉄の矢が突き刺さって、アスファルトを抉っていた。 「ずいぶん大胆なことするね。この橋が壊れたら、損害額がとんでもないことになりそうなのに」  呑気に呟いてはいるが、白いスポーツカーは、すでに時速二百キロ以上出ている。  さらに次の矢が飛んできたが、そちらもかわした。  普通のアーチェリーに使うような細い矢ではない。それの十倍の太さはある、鋼鉄の矢だった。  地面に突き刺さった途端に爆発し、炎を生み出している。  さらにそれに足止めをくらった一般車両が玉突き事故を起こして炎上するという、悲惨な状況が発生していた。  爆走する車の中でもエスは顔色ひとつ変えずに後部座席に移動すると、足元の荷物を引っ張り出して、分解して収納されていたライフルを淡々と組み立ていた。 「届きそう?」  窓ガラスを開けてやりながら聞く。  ミサイルみたいな矢を撃ってきている相手は漁船タイプの小型のモーターボートの上だ。距離はそんなに近くない。 「……物理的には」  車の速度、船の速度、海上の風圧を考えると、精密に撃ち抜くのは簡単ではない。  エスが放った弾は、船には当たったが、狙撃手を一撃で倒すには至らなかった。 「おそらくあっちは陽動だ。最低限の威嚇射撃だけでいいよ」 「わかった」  エスが頷いた直後、白いスポーツカーはいきなり爆風に晒されて、三回転ほどしたのちに橋のサイドの柵に、頭だけ出す格好になった。  地面に炎が広がる。  エスはすぐさまオーウェンの腕を引っ張って、窓から外にでた。 「ありがとう」  あやうく、横転した車の中に閉じ込められるところだった。  対向車線からやってきた車が一台、目の前に停まって、中から一人降りてきた。  車はどこにでもありそうな普通自動車だが、降りてきたのは、どう見ても一般人ではない。  ガスマスクのようなものを被った、重武装の兵士だった。 「知り合い?」 「ヴォルクだ」  グランシャリオの駒の一部に、特殊武装の兵士がいると聞いたことがある。実物は見たことがないが、おそらくはそれだろう。 「オオカミって意味?」 「そうだ」  猟犬よりも格上のオオカミのお出ましというわけか。 「エス、よっぽどバルトロノアに気に入られていたんだね。こんな秘密兵器を使ってまできみを取り戻したいだなんて。ちょっと妬けるよ」  軽い口調であったが、まんざら冗談でもなさそうに告げるオーウェンに、エスの表情が曇る。 「バルトロノアは多分……いや、あとで話す」  詳しく聞き出したいところであったが、呑気に話している暇は与えてくれなさそうだ。  鎧めいた漆黒の腕から無数のワイヤーが伸びてきて、こちらに襲いかかってくる。  ワイヤーの先には、鋭い刃物がそれぞれついていた。  二人は左右に避けてかわしたが、二人の背後にあった車は、さらに橋からはみ出してぐらぐらしている。 「あーあ、せっかくいい気分でドライブしてたのに」  車はサザンクロシードの所有物で、借り物だ。別にお気に入りの車だったわけではないが、デート気分で楽しんでいたところを邪魔されたオーウェンの機嫌は徐々に悪くなっていた。 「こいつのこと、いろいろ調べたいから生け捕りにしたいんだけど、どう? できそう?」  美しい笑顔はそのままに、ブルーグレーの瞳の奥にひそむ凶悪さは隠しきれなくなってきた。 「多分、捕まえたら自爆すると思う」 「……へぇ?」  任務に失敗したハウンドファングも、すぐに自爆するようになっていることを、オーウェンは知っている。同じくグランシャリオに飼われているヴォルクも同様なのだろう。  本当に胸糞が悪い。何よりも、大事な弟がいつ自爆させられてもおかしくない危険を抱えながら働かされていたという事実が。  今度はこちらから仕掛けた。  太腿の両サイドに仕込まれていたナイフを抜いて、踊るようなステップで襲いかかる。  エスは銃を抜いて相手の背後に回り込んだ。  再びワイヤーが伸びてくる。  すべてをかわしきることはできず、いくつかのワイヤーの先の鉤爪が皮膚をかすめた。  かまわず突っ込んで、相手の懐に入った。  黒い装備は、全体的にゴツゴツしたデザインになっているが、一部は薄い生地だ。そこを的確に狙ったのだが、どういうわけだか、ナイフを通さない。  ほぼ殴り合いのような攻防が繰り広げられた。  エスはワイヤーをよけずにあえて掴んで、ヴォルクの動きをある程度制限していた。  オーウェンが攻撃をゆるめたタイミングでエスがヴォルクを振り回し、海に落とそうとしたが、若干狙いがずれて、街灯のポールにぶち当たって動きを止めた。  その振動で、欄干に中途半端に引っかかったままぶらぶらしていた白い車が海に落下していった。  一瞬だけそちらに視線を奪われた隙に、無様に倒れ込みそうになっていたはずのヴォルクが消えていた。  ――速い。  さらに、またしても海上から矢が飛んでくる。  さっきの矢よりも細い。  着弾しても爆発することはなかったが、かわりに、紫色のアメーバ状の液体をまき散らして、こちらの動きを阻害してくる。 「兄さん、こいつら、全員殺した方がいいのか?」  オーウェンの足首に巻きついて引きずろうとしていたワイヤーを銃で撃ち抜いて、素早くオーウェンの体を抱えて距離を取ったエスが聞いてくる。  こんな時でも低い声は落ち着いていて、顔も無表情のままだ。すっかり場慣れした様子の弟は、頼もしい限りだ。 「いや、最優先事項は、僕らが可能な限り軽傷で生き延びることだ。生け捕りにできないなら、適当なところでお帰りいただけるに越したことはない。こんな目立つところで一般市民にまで迷惑をかけたら、僕が始末書を書かなきゃいけなくなるからね」  ついでに言うと、橋の修繕費用をサザンクロシードに請求されることになっても面倒だ。上司は渋々払ってくれるだろうが、嫌味を言われるに決まっている。 「なるほど。逃げてもかまわないということか」  相手に気づかれない程度に、エスがちらりと目線を動かす。  ヴォルクが乗ってきた車が、まだ無傷で残っていた。 「……オレが引きつける。兄さんは車を」  オーウェンが頷くと、腰を抱いていたエスの腕が離れていく。  直後、エスの姿が消えた。  ヴォルクが周囲を見回す仕草をする。  ロボットめいた、機械的な動きだった。  中身はどうなっているんだろう。オーウェンはひそかに気になった。  視界の開けた橋の真ん中。しかも橋の両サイドは海だ。隠れる場所なんてそうそうない。  しかし、ごくわずかな人の死角に入り込んだエスは、突如として姿を現した――ように相手には見えたはずだ。  いきなり至近距離から、ヴォルクに襲いかかる。  ほぼ同時に、オーウェンも動き出した。  息を潜めながらも素早く動き、運転席に乗り込む。  途端に、車が宙に浮いた。  おそらくは、車体の下側にあらかじめ取りつけられていた爆弾が作動したのだ。  火薬とオイルが焦げたような、嫌な匂いがした。  ――だが、まだ走れる。  オーウェンはハンドルを握り直した。  宙に浮いたままの車が発進する。  エスと戦闘中だったヴォルクにそのまま突っ込んだ。  黒い体が吹っ飛ばされて、海へと落ちていく。 「エス……!」  陸上の世界選手かというほどの速さで走ってきたエスが、車のルーフに飛び乗ってきた。  車は勢いよく着地したあと、加速する。  この速度なら、対岸までは五分程度で着くだろう。  エスが振り落とされないかが気がかりであったが、彼ならきっと大丈夫だろう、と信じることにする。 「兄さん、前」  エンジンと風の音に掻き消されないよう声を張り上げてはいるものの、相変わらず落ち着き払った弟の声が頭上から聞こえてくる。 「はは……」  橋の出口が、武装した黒ずくめの連中で封鎖されている。  ついでに言うと、車がとても焦げ臭くなってきた。  下手したら、一分後には炎上するかもしれない。  エスが後方に向かって発砲するのでフロントミラーをちらりと確認すると、ヴォルクが凄まじいスピードで追ってきている。  おそらく、あのワイヤーを橋脚あたりに飛ばしてぶら下がり、海への落下を免れたのだろう。  視認ではハッキリわからないが、ブーツの裏からジェット噴射でも出てるんじゃないだろうか。  このままでは挟み撃ちだ。 「エス、五十秒後に車を放棄する。僕を抱えて、海の方に飛び降りてくれない?」 「わかった」  無茶な要求にも、物わかりのいい優秀な弟はなんの疑問も挟まず即座に頷いた。  アクセルをめいっぱい踏み込んでスピードを最大限まで引き上げたあと、すでに壊れかけたドアを蹴破って、オーウェンはルーフによじ登った。  前方の敵と後方の敵が接触するまで、あと十秒。  エスが指に嵌めたリングから細いワイヤーが出て、欄干に巻きついた。  絶対に離すまいとオーウェンの腰を強く抱き寄せた上で、エスは飛んだ。    ロゴフ兄弟を挟撃する直前だった者たちの眼前で、車が爆発する。  爆風に煽られ、二人の体は不安定に宙を舞った。  ワイヤーが巻き戻され収納されていくのを眺めながら、オーウェンはその手に自らの指を絡めていた。  続いて、腰を掴んでいた腕もさりげなくほどいて、両の手を絡める。  エスのこんなにびっくりした顔を見るのは、おそらく再会した時以来ではないだろうか。 「あはは」  おかしくなってきて、オーウェンは声をあげて笑った。  ゆっくりと降下していく二人の足元では波が規則的に打ち寄せられていたが、いつまでたっても二人のつま先は濡れない。 「浮いてる……?」  水しぶきがかかる直前のところで、二人の体は制止していた。 「重力操作。エリクシアによって得られた僕の能力のひとつだよ。といっても、短い時間しかもたないし、映画に出てくるようなスーパーパワーほどの力はないんだけどね」  エスの手を引き、くるりと踊るようにひと回転する。 「じゅうぶんすごい。魔法使いみたいだ」 「ふふ、ありがとう。……このあとは着水するけど、岸までは泳げるよね?」  水深は深いが、岸はすぐ近くだ。 「問題ない。兄さんを抱えて泳げる」 「僕は自分で泳げるけど」 「いや、オレがそうしたいんだ」  意外と頑固な物言いにオーウェンは頷いて、弟に再び身を任せることにした。

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