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第30話 スコーピオ
国立公園にほど近い山の中には、別荘が点在している。
豪邸もあるが、一般的な大きさの庭付きの一軒家も多い。そのいずれもが所有者のこだわりがこめられた特徴的なデザインばかりで、周囲の山々の幻想的な姿も相まって、お伽噺に出てくるメルヘンな雰囲気の家も多い。
木々に遮られて目立ちにくい場所に、オーウェンの拠点のひとつはある。
中古なので古いが、小人でも出てきそうな三角屋根の可愛らしい家だ。
足を踏み入れたエスは、物珍しそうにキョロキョロしていた。
「エスに見せたいものがあるんだ」
ベッドの横の本棚から、オーウェンは分厚いアルバムを取り出して、エスに渡した。
「写真? 兄さんが撮ったのか?」
「そう。仕事で行った先々でね。……エスともいつか一緒に行きたいな、と思った場所を写真におさめておいたんだ」
どれも風景写真で、現地の人が映っている写真もあるが、人間を主役にした写真は一枚もない。
オーウェンはこれまで、目を覆いたくなるような光景もたくさん目にしてきたが、そういった悲惨な写真もない。どれも美しかったり、素敵だと思えた風景ばかりだ。
「全部で三冊あるんだ。まぁ適当に見てて。お湯を沸かしてくるよ」
山間部は、夜ともなると、わりと冷える。
数時間前にいた場所に比べると十度以上も気温が低い場所にきてしまったので、あたたかい飲み物を飲みたい気分だった。
辺鄙な地域だが、電気とガスはちゃんと通っている。
部屋の固定電話が鳴ったのは、コンロに火をかけようとした直前だった。
相手はだいたい想像がついていたので、しぶしぶ電話に出る。
『また派手にやらかしたようだな、エージェント・ロゴフ』
オーウェンの直属の上司、オルガ・クロードの低い声だった。
「……申し訳ありません」
『トルネシアでの件も聞いている』
「あちらの中央情報局は理解を示してくれましたが」
『……別件だが、トルネシア滞在中、妙な噂は耳にしなかったか?』
「具体的には?」
受話器を置いて通話をスピーカーに切り替え、オーウェンはコンロにスイッチを入れる。
『神王宮 に関する噂だ』
トルネシアは世界屈指の軍事大国だが、同時に、世界一の宗教国家でもある。
神王宮とは、広大なトルネシア大陸全土を支配するイザヤ教の総本部を示す名称だ。
「……特になにも」
『あちらの情報員から入った極秘情報だが、神王宮最高神位 、カイン・ブラームスが最近、異教徒を側近としてそばに置き始めたらしい』
「へぇ?」
奇妙な話だ。あの国は、異教徒の弾圧にはとても厳しいのに。
個人的に興味はないが、世界情勢に関わる者として、無視するわけにもいかない。
『その異教徒とは、紫の瞳をしたディマ人だという噂だ』
「……へぇ?」
さっきとは違う声音で、オーウェンは同じ言葉を繰り返した。
オーウェンが渡していたアルバムを熱心に眺めていたエスも顔を上げる。
「すみません。それの件に関してお役に立てる情報はなにも持ち合わせていません」
『わかった。ならいい』
上司はあっさりと納得してくれたが、知り合いの情報屋に探りを入れる必要がありそうだとオーウェンは感じた。
バルトロノアがエスにこだわる理由に、ひょっとしたら繋がるかもしれない。
世界の裏側では、さまざまな色をした糸のようなものが複雑に絡み合っていて、一見まったく関係のないことでも、思わぬところで繋がっていたり絡み合っていたり、瘤を作っていたりする。
たいていそれは、表側からは見えない。
その糸を辿ったり、時にはほどいたりするのも、オーウェンの仕事のひとつだった。
「たいした土産話はありませんが、トルネシアで、土産の食べ物をたくさん買ってきました。そちらに送ったので、みんなで適当に分けてください」
『土産? 珍しいものだな』
「ただの気まぐれです。それより、僕の休暇の間、北側になにか動きがありましたか?」
二人分のカップにココアの粉を入れながら、オーウェンは穏やかに問う。
『ラバンズの隣国、ブルレストで妙な資産の動きがある。今のところ表立って軍は動いていないが、農村部から物資がかき集められているという噂もある』
「わかりました。ひとまずはそちらに向かいます」
『弟も連れていくんだな?』
「もちろん」
お湯が沸いてきた。ひんやりとしていた室内に、あたたかな湯気が立ち上る。
弟を置いていくという選択肢は、どこにも存在しなかった。
どこか安全な場所に隠した方が多少は動きやすくなることもあるかもしれないが、連れて行った方が間違いなく役に立つはずだ。
そしてなにより、オーウェンは二度と弟の手を離すつもりはなかった。
「そのために、作戦名をオペーション・スコーピオにしたのでしょう?」
『……成果を期待する。ロゴフ兄弟』
電話はそこでプツリと切れた。
カップになみなみとお湯をそそいでスプーンでかき混ぜ、ベッドに腰掛けているエスの元へと運ぶ。
「……どうして、スコーピオなんだ」
カップを受け取ってから、エスが静かに問いかけてきた。
「ああ……」
隣に腰掛けたオーウェンが小首をかしげた。
「トルネシアのとある地方にね、蠍座にまつわるこんな言い伝えがあるんだ。……昔、ある夜、鬼に襲われ、母親を食べられた兄弟がいた。鬼に追いかけられた兄弟が『助けてください』と天に祈ると、天から釣り針のついた鎖が降りてきて、二人は釣り針に乗って天に昇り、二つの星になった……ってね」
「……ふぅん」
「追いかけてきた鬼のところにはボロボロの縄が降りてきて、昇っている途中で縄が切れて、鬼は地上に落ちて死んでしまったとも言われている。ついでに言うと、南アルリアの古い文献では、蠍座は『全天でもっとも明るい星座』とも呼ばれている。……まぁつまり、鬼を蹴落として南の空を明るく輝かせろ、ってことを言いたいんだと思うよ、あの人は」
ずいぶんなこじつけだが、そういうロマンティックな例え話は嫌いではない。せっかくだから乗ってやろうとオーウェンは思っていた。
まだ熱いココアに、エスは口をつける。
もう少し冷ましてから飲みたいところだったオーウェンは、カップで指先をあたためていた。
「楽しそうな話だな」
抑揚のない声の裏側に、子供のような無邪気さが垣間見えた。少なくともオーウェンにだけは、それを感じ取ることができた。
「……あとで、星を見に行こうか」
天に磔にされるなんて御免だけど、永遠に共に在れるならそれはそれでいい。なんてキザなセリフは、あえて口にしなかった。
どうせ弟も、同じことを思っているだろうから。
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