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第31話 聖なる祭りの夜に【第1部・完】

 南アルリアを発つ最後の夜、二人はアドベントマーケットに立ち寄った。  聖誕祭を明日に控えたマーケットは、大変な賑わいだった。  夕食のあとたまたま近くを通りかかったところ、エスが『あれはなにをやっているんだ?』と聞いてきたので、連れてきた次第である。  昔、まだ自分が名前も何も持っていなくて、死を待つだけの難民だった頃、アドベントマーケットに行ったことを思い出した。  この街には雪は降っていないし、あの街のマーケットよりも規模は小さかったが、並んでいる店の飾りも商品も、不思議と似通っていた。  違う国、違う場所でも、神様の誕生を祝うお祭りも兼ねたマーケットは相変わらずキラキラして、神を信じない者も平等に迎え入れてくれた。  幼い頃、もらったお金で食べたカップケーキと似たものも見つけたけど、なんとなく買う気にはなれずに、オーウェンはぼんやりと眺めていた。  そういえば、あの時もらった雪だるまの飾りはどうしただろう。長いこと忘れていたのに、ふと思い出す。 「兄さん、疲れたのか?」  口数の少ないオーウェンを気遣って、エスが屈み込む格好で聞いてくる。 「うん。ちょっとね。エス、買い物がしたいなら、好きなものを買ってきてもいいよ。僕はここで座っているから」 「だったらオレも一緒に」 「僕は大丈夫だから、遠慮せず楽しんできて。その方が、僕も嬉しい」 「……なにかあったらすぐに呼んでくれ」  ツリーの近くのベンチに腰をおろしたオーウェンを気にしながらも、好奇心を抑えられない様子で、エスは店を覗きにいった。  容姿も態度もひどく大人びているが、中身はまだ、二十一歳の若者なのだ。少しずつ、年相応の様子を見せてくれるようになって、オーウェンは嬉しい。  華やかに彩られた店の前をぶらぶらと歩く人々の平和そうな姿を、見るともなしに眺める。  恋人、家族、友人、様々な人たちが夜のひとときを楽しんでいた。  あの中の一人になれるとは、昔も今も、思っていない。  昔と違って金はあるし、大事な弟もすぐそばにいるが、彼らのように無邪気に生きるには、自分は世界の裏側を知りすぎてしまった。  根無し草はどこまでいっても根無し草なのだ。  せめて神ぐらい信じられるようになれれば、自分も少しは、平和な人々の仲間になれるだろうか。  アドベントマーケットを見かけるたび、人生ではじめてアドベントマーケットに行った夜に出会った老人のことが頭の奥にちらつく。  異国の地で、異教徒の手によって葬られてこの世を去った老人の最後の死に様を、今も不思議なぐらい色鮮やかに覚えている。  人の死体は幼い頃からたくさん見てきたけど、人の脳みその中身を見たのは、あの時がはじめてだった。  自分もいつかあんなふうにして死ぬのかもしれないと、たまに思う。 でも、エスがあんなふうに死ぬのだけは嫌だな。  エスがまだ生死不明だった頃、夢に出てきたエリックの死体が、エスの姿にすり替わっているということが何度かあった。  そのたびに、目を覚ました瞬間、トイレに駆け込んで、胃の中のものを全部吐き出していた。  冷や汗はなかなか止まらず、動悸はなかなかおさまらなくて、翌日になってもずっと嫌な感覚が残ったままだった。  エスの生存を信じながら、心のどこかでは『もう死んでいるかもしれない』と考えてしまいそうになる己の弱さが、何よりも許せなくて、嫌だった。  余計なことまで思い出してしまったオーウェンは、自己嫌悪から、両手で顔を覆って俯く。  エスが戻ってくるまでには、いつもの完璧な笑顔に戻っていなければいけない。そう言い聞かせて顔を上げると、ちょうど、エスの顔がすぐ近くにあった。 「兄さん。大丈夫か?」  人の気配には敏感なオーウェンだが、気配を消す習性が身についているエスに対しては、反応が後れることがたびたびある。 「平気。……なにか買ってきた?」  すぐに笑顔を浮かべたオーウェンの前に、ガラス細工が差し出される。 「これ。……綺麗だったから、兄さんに」  まわりの照明が映り込んで金色に輝く透明な雪だるまの中に、キラキラとした銀の雪が舞っていた。  雪だるまのスノードームだった。  一瞬だけ、遠い昔の記憶が視界に重なって、消える。  あの雪だるまのことを誰かに話したことは一度もない。だからこれは、本当にただの偶然だ。 「……ありがとう」  受け取って、大事にそっと掌で包み込んだ。  記憶に残る姿とはだいぶ違っていたけど、遠い昔になくしたと思っていたものは、ちゃんとこの手に返ってきた。  見たこともない、名もなき神様を、少しだけ信じてみたくなった。 「エス……きみは、神様からの贈り物みたいな存在だね」    第一部『偽りの赤の上で踊る』・完 

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