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《番外編》オペレーション・ロゴフ
おまえの弟はもう死んだ。
最初にそう言われたのは、弟の手を離してから二年後。
テレビの電波に乗せられて映し出された映像の中では、どこか見覚えのある景色が破壊され、崩れ落ちていた。
北側の情勢が不安定なことは聞いていたから、まったく想定できない事態ではなかった。
なんでもっと早く動いておかなかったんだろう、と後悔してもすでに遅く、サザンクロシードに提出したルビリオへの入国申請は、すぐに却下された。
おまえになにができるんだ、という言葉はもっともで、悔しくても、受け入れるしかなかった。
当時のオーウェンはまだ十六歳で、SAU加盟国正規軍の入隊可能年齢にすら達していなかった。
健全な国際機関であるサザンクロシードは、少年兵を容認していない。
イレギュラーな事案によりサザンクロシードの管理下に置かれたオーウェンは、その頃、SAU関連企業の要人の警護の仕事をしており、必要に応じて戦闘行為を認められていたが、内乱が起こった他国へ派遣されるような立場にはなく、ましてや個人的な事情で単独で赴くなど、言語道断であった。
死にに行くようなものだ、と言われ、弟はそんな死地にいるんだ、と怒鳴ってやりたくなった。
国家という枠組みの中では、個人の力はあまりにも無力だ。ましてや、子供ならなおさら。
子供というだけで相手にされない。本来なら保護されるべき対象だという扱いを受ける。
でもあの国ではいま、そんな常識すら通用しない。
子供の命は真っ先に淘汰される。
誰も守ってくれない。
――僕が守ってあげなきゃいけなかったのに。
自責の言葉がこみあげてくるのと同時に、『おまえになにができるんだ』という言葉が耳に蘇ってくる。
「僕になにができるか、だって?」
命を懸ける以外のことは、思いつかなかった。
何度も掛け合って、北側の担当を任せられた局員への同行を許されたのは一年後のことだった。
その時にはもう、かつてのグランシャリオ本部は、瓦礫と化していた。
直接この目で見た時は、激情を抑えきれなかった。
その場にあるものを力任せに蹴って、拳を瓦礫に叩きつけた。
同行者はオーウェンの心情を察して、黙って見守ってくれていたが、白い手が尋常ではない量の血に濡れ始めたところで止められた。
街には、埋葬しきれないほどの死体が溢れかえっていた。
民衆と正規軍の間では連日、激しい衝突が起こり、銃撃の音は日常の一部と化していた。
乾いた風に乗って、火薬の匂いと、死体が腐る匂いが漂っていた。
大きな穴に、無造作に大量の死体が放り込まれた場所を見つけて、その死体のひとつひとつの顔を確認しに行った。
弟の姿は見つけられなかった。
ほっとするのと同時に、『見つけられない』という不安がこみあげてきた。
目の前の、名も知らぬ人の遺体にも申し訳ない気持ちがこみ上げてきて、自分がひどく汚れた、嫌なやつに思えてきた。
たとえルビリオで反乱が起きなくとも、弟の立場はもともと、いつ殺されてもおかしくないような、あやういものだった。
どこかで生きていてくれたらいいな、という淡い願いは、もうすでに死んでいるかもしれない、という絶望的な不安に塗り替えられ、その後、絶対に生きているはずだ、という狂気的な思い込みに姿を変えた。
約束を、果たさなければいけない。
いつか必ず迎えに行くという約束を。
迎えにいくためには、まず自分が生き残らなければいけない。
力が必要だった。
ただの戦闘力では足りない。ルールでがんじがらめになった大人を動かす力が。
特別な存在にならなければいけなかった。
イレギュラーな行動を許されるほどの立場を確立するために。
研究所が、エリクシアの被検体を探していることは知っていた。
その候補の一人として、当時のオーウェンの名前――ルイス・アシュリーの名が挙がったものの、さまざまな理由から、直接打診にくることまではなかったのも知っていた。
他の候補者の選別も難航していることも知っていた。
データが不足しているので正確な数字は出せないが、一部の解析結果によると、被検体の生存率は50%以下ではないかとも言われていた。
エリクシアは脊髄注射によって体内に注入される。
過去の被検体の中には、注入時の痛みでショック死した者もいたと聞いた。
不思議と、自分なら大丈夫ではないのか、という確信めいたものがあった。
オーウェンはもともと、エリクシアのプロトタイプのアンブロシアによって蘇生された人間だ。エリクシアとの適合率が高いはずだというのは、研究者でなくともわかった。
脊髄注入時の痛みは、想像を絶するものだった。
今まで体験したどんな痛みの種類とも違った。
死んだ方がマシなんじゃないかと思えるほどの、強烈な絶望感を伴う痛みだった。
朦朧とする意識の中で、ずっと弟のことを考えていた。
今から思えば夢のような幸せな思い出の数々が、走馬灯のように蘇っては消えていった。
最後に握った手の熱だけは消えなくて、離れていった手を探して暗闇であがいていたら、不意に周囲が明るくなって、目を覚ましていた。
実験は成功だった。
オーウェンは、北アルリア担当官として正式に派遣されることとなった。
バルトロノア生存の明確な証拠を掴んだのはその一年後。
世界各地で、ハウンドファングによるものと推察される暗殺及びテロ行為が確認されたが、どれだけ探しても、エスの姿は見つからなかった。
祖国のためではなく、世界平和のためでもなく、ただ血の繋がらない弟を探すという目的のために動き続けるオーウェンを、周囲の者たちは「狂っている」と言った。
そもそも、この状況で、弟の生存を信じ続けること自体が狂気に映ったらしい。
心優しい者は「きみにはきみの幸せを追いかける権利がある」と知ったふうな言葉で諭してオーウェンを諦めさせようとすることもあったが、その無神経な優しさは、オーウェンに安らぎなど与えなかった。
正気なんてあったら、この世界を生きられなかった。
弟を救うことは、自らを救うことでもあった。
絶望に飲み込まれないように、希望を信じ続けた。
自己犠牲とかそんなお綺麗なものじゃなかった。
ただ、他者には理解されないこともわかっていたので、好きに言わせておいた。
弟を探すついでにあらゆる情報網を暴いていったら、SAUの役には立ったらしく、いつのまにか北側情勢のスペシャリストと呼ばれるようになっていた。
弟の姿をようやく確認したのは、離れてから八年がたとうとする頃だった。
サザンクロシード傘下の会社の情報分析官の一人が、「見てもらいたい写真がある」と持ってきたのは、画質の悪い、監視カメラ映像を写真に焼いたものだった。
「ハウンドファングだと思うんですが、どうですか?」
彼の担当の仕事中にたまたま見つけた映像らしく、オーウェンに報告しなければいけないという職務上の義務は一切なかったのだが、その頃には自然と、ハウンドファングに関する情報は頼まなくてもオーウェンの元に集まるようになっていたためだ。
それまでにも数十人ほど、ハウンドファングの映像記録は確認していた。
何度か、直接接触したこともあったが、どれも弟ではなかった。
だから、最初に声をかけられた時もさほど驚かなかったのだが、写真を確認したオーウェンは、思わず、デスクに積み上がっていた書類の一部を落としてしまうほど動揺した。
書類と一緒に床に落ちたコーヒー缶が、乾いた間抜けな音を立てる。
中身が空でよかったとか、そんなことを思う余裕もなかった。
「……元の映像のデータを大至急、送ってもらえるかな」
冷静さを装ってはいたが、声は震えていた。
すぐに確証は持てなかった。
画質が悪くて顔立ちはハッキリ確認できないし、最後に姿を見たのは八年前である弟がどう成長しているのかわからなかったため、別人の可能性もおおいにあった。
だが、なぜだか、直感的にわかった。
これは、かつて自分の弟であったエス・ロゴフだと。
すぐに送られてきた映像の分析にかかった。
わずか十三秒の映像を、何百回も見直して、映像及び画像分析のプロのセクションにも協力を頼んだ。
AIによるシミュレーターで、エスが成長した姿を何パターンも再現させた。
撮影場所の周辺の監視カメラ映像も徹底的に調べあげて、何日も寝ないで作業していたら、見かねた同僚に「一度休め」と言われてようやくベッドに向かったが、体も頭も目の神経も疲れきっていたのに、なかなか寝つけなかった。
妄想でも願望でもなく、弟は確かに、この世界のどこかで生きているかもしれない。
そんなふわふわした気持ちと一緒に涙があふれそうになって、慌てて止めた。
泣くのはまだ早い。
喜ぶのはまだ早い。
仮にあれが本当に弟だったとしても、今はとっくに別の場所に移動しているだろうし、居場所を特定したとしても、簡単に引き渡してくれるわけがない。
以前、ハウンドファングを捕獲しようとした際、目の前で自爆されたことがある。
ルビリオ帝国時代の話では、ハウンドファングは例外なく全員、薬物とマイクロチップによって洗脳されているというから、オーウェンの顔を見ても、思い出してもらえないかもしれない。
こちらがエスを探していることがグランシャリオ側に知られれば、見せしめとしてエスが殺される可能性もある。
綿密な計画を立て、慎重に、狡猾に動かなければいけない。
――でも。
「生きててくれて、よかった……」
鋼のような決意をすり抜けてこぼれ出た本音は、子供のように無邪気で他愛ないものだった。
自分にもそんな人間くさい一面があったのだと、久々に思い出した。
◆
まだ名前を与えられていなかった頃は、『ゴミ』と呼ばれていた。
自分に、生きる価値なんてないと思っていた。
だけどもし、きみを救うことができたなら、僕は胸を張って、『僕がこれまで生きてきたことには意味があった』と言えるだろう。
「間もなく、目的地上空です」
「うん」
副操縦士の言葉に、オーウェンは頷き、地上で待機している局員から送られてくる映像を止め、端末を座席に置いた。
協力者のアンナ・バルテルは予定通り動いてくれたようだ。
事前に提供されていた情報にも偽りはない様子である。
ただ、こちら側の想定よりも少し早く状況が動いているのが見て取れた。
呑気にヘリが着陸するのを待っていたら、取り返しのつかないことになりそうな、あやうい状況にすでになっている。
だけど、なぜだろう。
不安より期待が大きく、らしくもなく心が浮き足立っているのを感じた。
なんだろうこれは。
ドキドキしている。ワクワクしている。
言葉にしてみたらあまりにも陳腐でくだらないのに、他の表現が思いつかない。
いま、このヘリの真下に、エスがいる。
目をこらせば目視で確認できそうな距離にいる。
それだけで、笑みがこぼれそうになるほど嬉しい。
早く、もっと近くで顔を見たい。
声を直接聴きたい。
接触後、すぐにマイクロチップを停止させなければいけないという大仕事もこれから控えているというのに、緊張感は吹き飛んで、失敗したら大変なことになるという切実さは頭の中にしっかりあるものの、絶対に成功させるという自信に満ちあふれていた。
ずっと、この日を待ち望んでいた。
この日のために、十二年間、戦ってきた。生きてきた。
「僕はこのまま降りる。きみたちは予定通り、あとからゆっくり降りてきて」
ドアを開けると、強風が流れ込んできて、金髪を踊らせた。
今日はずいぶんといい天気だ。
オーウェンがヘリから飛び降りた直後、エスの体もビルの屋上から宙に投げ出されるのが見えた。
頭の中で速度を計算したが、間に合うかどうかはギリギリのところだった。
こんなところまできて、目の前でエスを死なせるなんて、ありえない。
絶対に間に合わせる、と覚悟を決めて、手を伸ばした。
――約束を、果たしにきたよ。
声には出さずに心の中でそう囁いて微笑みかけると、目が合った青年が、息を呑んで動きを止めているのが見て取れた。
記憶に残る姿よりもだいぶ成長して、残っている面影はわずかだが、昔とまったく変わらぬ紫色の瞳がいま、オーウェンをまっすぐに見つめ返している。
あの日、離してしまった手は、今度はしっかりと、弟を繋ぎ止めた。
fin
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