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【一】青羽―お金がない!②
東北一の繁華街から少し西寄りに位置するラブホテルの自動ドアを通り抜けると、五感を刺激する誘惑の香りが漂ってきた。壁一面に部屋の写真パネルが設置されていて、ルームナンバー横に『空き』ランプが点灯し、その下にあるボタンを押してフロントへお進みくださいと記されている。幸いカップル客はいなかったので先へ進む。顔が見えないようにとの配慮なのか、大理石仕様のカウンター上は黒いパネルで覆われ、辛うじて革製のトレーが置かれた部分だけがくり抜いてあった。恐らく、ここからキーを受け取るのだろう。
チリリン。
卓上ベルを押して名前を告げると、黒いベストを着た女性に奥の事務所まで通された。
コンコン。ガチャリ。
「お待たせしました」
現れたのは、北欧ヴァイキングだった……。しかも肩まで伸びる赤銅色の髪と眠たげなエメラルドアイの超絶美男子だ。ワイルドな赤い髭が鼻の下と顎を覆っている。俺より頭ひとつ分以上デカいし、手足が長い。きっと服のサイズは西洋サイズに違いない。もしかしてモデル?
「あれ、ここ写真スタジオじゃないよね?」
「ラブホテルだよ、撮影は室内のみ可能だ」
「へ、あ。すいません」
聞かれてた~。恥っずかし~。饒舌な日本語だ。ハーフなのか?
「ふっ。かわいいね」
「え?」
「いや、面接に応募ありがとうございます。社長の水 上 です」
「日野青羽 です。よろしくお願いします」
悠然と構える社長に、我知らずドギマギしてしまった~。なんせ、声までイケボってやつだ。これは、女性なら胸キュンものだな。履歴書に目を通す彼の睫毛は地毛なのかな。さっきネオン街で見かけたホステスより長いぞ。しかも世の女性憧れのくっきり二重だ。背中にかかる赤毛は、ぐるんぐるんにうねって照明の光を反射している。キューティクルが過剰すぎるぞ。顎と鼻の下に生やしている髭もセクシーだな。っと、危ない。いかがわしい視線を向けてしまったぞ。真面目顔でゲイバレ回避だ。
「希望は二十時から二十四時だね。うちが一番欲しがっていた時間帯だよ。いつから来られるかな?」
「明日からお願いします」
「休憩が十五分あるから、二十四時十五分まで勤務できるかい?」
「大丈夫です」
面接は滞りなく済んで採用が決まった。
「じゃあ、これに記入してもらえるかな」
テーブルの書類は、秘密保持誓約書と書かれている。
「雇用契約書のほかに、こちらにも記入してもらいます。これは例えば『ご近所の旦那さんが奥さん以外の人と利用しているのを偶然知っても、情報を漏らしてはいけない』という誓約書です」
「浮気を黙ってろってことですか」
「そうだよ。記入できないと雇えない」
じっと見つめられて、乙女でもないのに『急いで食べてきた親子丼の米粒がほっぺについていたらどうしよう』とか思ってしまったぞ。
「わかりました」
俺の優先すべきはチクリではなくて、カード請求をクリアすることだ。給料は週払いにしてもらい、さらさらと書類に記入していく。 とりあえず十五万円を稼ぐまで毎晩働くことにした。
「毎日で大丈夫かい?」
「はい、よろしくお願いします」
「それじゃ、明日からよろしく頼むよ」
なんだかイケメンスマイルが目に染みた。俺、疲れているのかな……。よし、毎日観賞用にこの美丈夫に会えるのをWワークの糧にしよう。そう考えたら、なんだか気分が明るくなった。
※ ※ ※
「おはようございます」
「おう。おはよう」
「日野君、おはようさん」
「おはよう」
社長夫妻や長男の弘さんといつもの挨拶を交わす。『杉田製作所』は俺を加えて四人の小さなネジ工場だ。高校時代は生活費を稼ぐためにバイトに明け暮れ、就職試験に尽 く落ちた。そんな俺を正社員として雇ってくれたのが杉田社長だ。還暦を迎えた彼は気のいい人間で、俺は心から感謝していた。三十路の跡取り息子は親戚が持ってくるお見合いに精を出している。俺と同様に地味顔の弘さんに早く嫁が来ますように、と秘かに応援している。
「日野君、このネジを千個作ってくれ。バイトは削ってはめてあるから」
「わかりました」
ネジは長い棒状の金属を機械で削って作る。それを削る刃のような部品をバイトといい、社長は図面を見て相応しいバイトを研いで作ってしまう。まさに職人技だ。十年でも半人前と言われる世界で、二年目の俺はまだまだひよっこだ。もっと給料のいい職を探すことも考えた。だが他に際立った資格も特技もない俺が転職に成功するとは思えない。ここで堅実に勤めて、技術を身につけるのが得策なのだ。まだ俺は二十一歳だし体力もある。仕事の掛け持ちなんて、きっと平気さ……。
その日も一万個近くネジを作り、定時で終了した。
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