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【一】青羽―お金がない!③

「今夜からバイトしてくるから」  工場から帰宅後に野菜炒めを作り、急いで食べながら妹へ告げた。 「……コンビニのバイト代がでたら払うよ」 「それじゃ遅いんだよ。それに足りない。一括で払っただろ。先月服も買ったから赤字なんだ」 「……だからそれも払うって」 「それ、もう百回は聞いた」  高校生の妹が稼ぐバイト代は、いつも彼女自身の交際費に消えていく。いつもなら言葉を飲み込む俺が、つい険のある言葉を吐いてしまった。  バン! 「奈々、待て! どこに行くんだ?」 「エリカのとこに泊まってくる」  箸をコタツに叩き置くと、スマホとコートを持ってアパートから飛び出していった。奈々は遅れてきた反抗期に突入していた。病気を嘆く母の看病を強いられた数年間に抑えてきた感情が、いまになって溢れてくるのだろう。希望が通らないとキレて、母子家庭の親友宅に駆け込む。すると迎えに行っても、怒りが収まるまでボロアパートには帰ってこないのだ。重いため息をつき、夜のバイトへ出掛けた。  俺はダメな兄ちゃんだよな。もっと心を広く持たないといけないな……。年下の人間を責めるなんて、己の甲斐性のなさが身に染みた。奈々が大人になるまでは、俺が頑張らなくては。   『お願い、青羽。奈々が結婚するまで見守ってあげてね』  それが義母の遺志でもあるのだ――。     分町(ぶんちょう)にある『ファッションホテル ルキア』はスタイリッシュな外観と室内、おいしい食事を売りにしている。二階から五階までの全三十室が連日満室になる人気スポットだ。そう社長から聞いていた説明を、初日から体験することになった。  面接時の指示どおり、従業員用の裏口のセキュリティーパネルに数字をタッチして入室。更衣室でTシャツとハーフパンツに着替え、フロント裏の事務室でタイムカードを押すとスーツ姿の社長が現れた。なんだ、今日は黒い眼鏡をかけて、髪は黒いひもで束ねてるんだな。お洒落さんか。しかし格好よすぎるぞ。彼の左手には指輪がなかった。 「こんばんは」 「おはようございます。やあ、日野君。今日からよろしくな。おいで、みんなに紹介するよ」  隣室は大きな休憩室と作業部屋で、二つのテーブル席には十人ほどの男女が談笑していた。 「みんなおはよう。新しいバイトの日野君だ」 「日野青羽(ひのあおば)です。ご指導よろしくお願いします」 「よろしく~」 「おはよ~」  口々に声をかけられ、若い男性が近づいて来た。 「A班のバイトリーダー、高木です。よろしく」 「高木君、日野君は君の班に任せるよ」 「わかりました」 「あら、うちらの班に欲しいのに~」  不満げな声を発したのは、黒眼鏡のアラサー女性だった。 「Bチームのリーダーだよ」  高木君と呼ばれた青年が耳打ちした。 「B班の人数は足りてるはずですよ。そのメンバーで頑張ってください」  社長の整った美貌が彼女を凝視すると、ほかの女性陣が息をのんだ。眼鏡のレンズ越しでも、エメラルドアイのきらめき魔法にやられたな、こりゃ。 「従業員は北側の作業用エレベーターと非常階段で移動するんだよ」  作業の説明をするリーダーの高木君は就職も決まり、バイトと遊びを満喫している二十二歳。五十代のおばちゃんとおじちゃん、なんだか言動がチャラいアラフォーのおじさんと俺の五人チームで清掃に回ることになった。カゴが三個ついたワゴンにトイレブラシと洗剤ボトル入りのバケツ、フローリング用のワイパーを手にして、エレベーターで五階まで移動した。 「ホテルのベッドメイクは初めて?」 「はい、よろしくお願いします!」 「あはは、そんなに硬くなるなよ~」 「高木君以外はダブルワーカーだし、仲良くやろうぜ」  気軽に声をかけてくれたので、なんだかホッとした。だが、仕事はマラソン大会だった~!  俺はラブホに来たことがない。加えて童貞だ。が、それは置いといて、客室ドア上方に設置されたランプは赤が使用中、青が清掃待ち、緑が入室可能の状態を示し、俺達は青を順番に清掃していく。  初日の俺は、リーダーがマスターキーで部屋を空けると、風呂のお湯を抜いてからベッドへ直行してシーツと羽毛布団のカバーを外した。床に広げたシーツに使用済みのバスローブやバスタオル、フェイスタオルやバスマットまでかき集めて包み込んで結ぶと、お次は冷蔵庫を開けて客が購入するビールやチューハイ、サービスのペットボトル飲料水二本が欠けていないかチェックする。冷蔵庫内はまるでロッカーのように一本ずつ缶が小部屋に収まり、飲みたい商品の側にあるボタンを押すと、開いて取り出せる仕組みだった。自動的に加算されるなんて、便利な世の中になったんだなぁ。  先ほどのシーツを担いでダストルームまで運ぶと、二畳ほどの部屋の隅に空いた床穴(五十センチ四方)へ投入。部屋へ戻るついでに備品室へ寄り、冷蔵庫からビール類を持って戻ったら預けられた鍵で小部屋へ補充する。パチンと扉を閉めると、ボタン横のランプが赤から青に変わった。これが終わると、リーダーがもう次の部屋を空けに行っていた。 「日野君。ここはいいから、どんどんシーツを剥がしてきて」 「は、はい」  今日の俺は『はがし』という係らしい。チラリと室内を見渡すと、他のメンバーは客が食べ散らかしたテーブルを片付けたり、二人組でベッドにシーツを敷いていた。なるほど、その方が効率的だよな。サンダルを履いて廊下に出ると、一列に続く部屋のランプが三室青かった。 「ここが終わったら、四階に下りるからね。いまCチームも出勤したけど、休憩までに十室はやるよ」  マジか。休憩まで、ずっとこれなのか。既に額には汗がにじみ、Tシャツの色が変わり始めていた。

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