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【一】青羽―お金がない!⑤

「日野君、待って。あそこからお客さんが出て来た」 「は、はい」 【清掃係は、決して姿を見せるべからず――】  客はひとときの娯楽やファンタジーを求めてここを利用する。俺達は雰囲気を壊さないように非常階段の影や備品室に隠れて、廊下を歩く客をやり過ごす。まあ、やる気満々で鼻息荒い姿は俺も見られたくないよな~。 「不倫してたらヤバイしね」 「不倫……」 「それにデリ○ルの姉ちゃんを呼んでるのを知られたくない野郎だっているしな」 「デリ○ル……」 「ほら、きのう工事現場のおっちゃんみたいな客がひとりで来てたろ。あれ、デリ呼んでたぜ」 「髪の長い美人がエレベーターに乗ってたぞ」 「あの子毎日見かけるよなあ。おっぱい、デカいしな」 「売れっ子なんだろ」  ホテルは客が室内で行っている行為は知りようがない(ことになっている)。が、たまに男性がひとりでチェックインし、数十分後に若い女性がその部屋へ入室する。そして約一時間後には女性だけ先にホテルを去って行く……。恋人でないのは一目瞭然だった。  恋愛スキルのない俺は客がエレベーターに消えたのを確認すると、ワゴンを備品室から移動してチーム連中の会話から逃げた。 『ルキア』でバイトを始めて四日が経った――。妹は翌日に帰ってきたが、顔を合わせるのは朝だけだ。俺の作る朝食を食べ、無言のまま弁当を持って行く。  工場から帰宅後、コンビニでバイトをしている奈々のために夕食を作り置いてからバイトへ向かっていた。  チューされた翌日、『社長は他の人にもしてるのか?』と観察してみたけれど、クールな表情で社長然(ぜん)としてる姿を崩さなかった。あのキスは、俺の妄想だったのか?  女子大生のバイトが出勤早々社長室へ突入し、一分以内に振られて戻ってきたのは三日目の夜。彼女は休憩中の俺達を睨み付けると、更衣室へ消えてしまった。  バタン。 「あ~あ。無駄なのに、なんで女は強引に王様の懐に飛び込むんだろうね~」  スポーツドリンクやお茶を飲み終えたバイト連中が各々言い始めた。 「社長より美人ならわかるけどさ、十人並みじゃん」 「若いってことは、最大の魅力だからね」 「無駄って?」  タオルで汗を拭いながら問いかけてしまった。 「社長は社内恋愛はしない主義だって宣言してるのよ。まあ、女性陣が喧嘩しないように配慮しての事だろうけどね」 「戦争が起きかねないからね」 「繁華街ナンバー2のイケメン社長を狙ってるホステスも、百人は下らないって噂よ」 「山本さん、情報通だね」 「ビジホの阿部さんに聞いたのよ」 「ナンバーワンは誰ですか?」 「あら、日野君。気になるの?」 「社長より美男子は、ハリウッド俳優かモデルじゃないかなって……」 「百メートル北の『淫魔の森』にいるわよ」 「淫魔の森……」  なんだか怪しげな名前の店だな。風俗店か? 「大人の玩具の店よ。そこの店長が超絶イケメンなのよ!」 「うちの社長は顔だけじゃないわよ。ホテルをもう一軒所有してるんだから」  どうやら水上社長は、ここより三通り北側でビジネスホテルも経営しているらしい。イケメンでやり手社長なら、女性に引く手数多(あまた)なのも頷ける。  俺が二十時寸前に出勤すると、彼はいつもフロント横の社長室にいる。百八十五センチを越える水上社長は、映画の北欧ヴァイキング並みの広い肩幅と厚い胸板を持つ男だ。一センチ以上ある睫毛は、俺の頬に刺さる。  毎晩従業員通用口を出て会話を交わしながら自転車置き場の暗がりまで着くと、社長は俺の頬を大きな手で包み込んで顔を下ろしてくるのだ……。  二日目は右頬に二回キスした後、窒息寸前まで舌を絡め合った。  三日目は左頬に二回とおでこに一回。唇に舌が差し込まれる前に、彼の太い首に手を回してしまった。そんでもって、激しいベロチューが数分間……。  四日目は左右の頬各二回と、おでこと鼻頭に一回。スーツ姿の社長は手で俺の尻をわしづかみして、いきり立つ互いの屹立を擦りつけてきた。そして唐突に、さよならの挨拶……。  五日目の今夜は、どこに追加されるんだ?  てゆうか、社長はゲイなのか。それともバイ?  俺がゲイだってバレて、寝ようって誘われてるのかな。そんなに彼を凝視してしまっただろうか。でも俺はセフレはお断り。不特定多数との性行為は病気が怖い。  それに硬くなったまま自転車に乗るのは辛いんだよ!  じゃあ、なぜキスから逃げないのか?  理由その一、Wワークで疲労困憊して押しのける気力が無い。  その二、常夏気温のホテルから真冬の外気温に晒されて身震いしている俺を包み込む肉体が温かくて気持ちいい……。  その三、なんだかいい匂いがして、キス(エロい舌)がマッサージ効果のように疲れを取っていく……。  その四、キスの後に自転車に乗る俺を見送る彼の表情が、心臓を苦しくさせる。(正確には動悸、息切れ)。その後に身体の芯がじわじわと痺れてくるのが心地よい。よすぎて股間が布団の中で再び隆起してしまう。  昨夜はキスの後に四十五秒じっと抱きしめてきたシーンを考察していたら寝不足になってしまった。俺が背中に手を回したら、頭頂部にグリグリ頬を擦り付けられるのを感じた。俺、すごく汗臭かったんじゃないかな。  寝坊して弁当が間に合わず、おにぎり二個と学食代を渡したら奈々に舌打ちされてしまった……。

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