7 / 7

【一】青羽―お金がない!⑥

「日野君、次の部屋にバケツ持って移動して」 「は、はい」 素足にサンダルを突っかけ『501号 スペシャルオリエンタルルーム』から出ると、カップル客が前方を歩いていた。踵を返そうとした瞬間、男性客が何かを落としたので慌てて拾い上げたら、小さく折りたたまれた紙幣だった。 「あ、落としましたよ」  歩みを止めないカップルに声をかけてから、はたと気づいた。ヤバイ、姿を見せてしまった! 「おう、ありがとよ」  ダークスーツの客が引き返し、俺の差し出した金を受け取った。 「し、失礼します~!」 「おい待て! お前なんて名前だ?」  ドスの利いた声に振り向くと、強面のお兄さんが二人追加されて立っていた。え、四人での乱交パーティーですか?  「ひ、日野です……」 「そうか。日野君、仕事頑張れよ」 「は、はい」  これ以上視線を合わせないように頭を下げる。気分を害してないといいけど。お金を受け取ったザ、ヤクザな人が俺を労って去って行った。あのふたりボディーガードだよなあ、きっと。 「ふう。見られちゃったよ……」 「仕方ないさ。まあ、これからは拾ったらリーダーに報告して。財布や貴金属類はすぐにフロントへ届けること」 「はい、わかりました」  最年長の鈴木さんは、白髪交じりの優しいおじちゃんだ。高木君がいない日は彼がリーダーを務めていた。なんと彼には五人の子供がいる。廊下を移動しながら、山本さんから質問された。 「日野君は何故ここでのバイトを始めたの。欲しいものがあるとか?」 「高校生の妹と暮らしてるんで……」 「あら、ご両親はいないの?」 「はい」 「そうなの……。私は娘がいてね。進学費用を稼ぎに来てるのよ」  おばちゃんがため息をついて腕を揉んでいる。享楽的なのは茶髪アラフォー男こと今泉さんだ。彼は風俗で遊ぶ金欲しさにバイトをしていた。俺は心の中でチャラ(いずみ)さんと名付けた。 「あ!」 「え、何?」 「どうした?」  303号室の清掃に入ってしばらくすると、チャラ泉さんが叫んで皆を驚かせた。 「あ~俺、昔ここでデリ嬢呼んだことあるわ~。この変形の部屋の造り、他じゃ見かけないもんな。絶対ここだわ~」 「なんだよ、ビックリさせやがって」  子だくさん鈴木さんが呆れ顔だよ。自分の性体験をケロリと明かすなんて、さすがチャラ泉さんだ。 「まったくもう。あなたの風俗自慢を聞いてる暇はないの。ほら、仕事、仕事」 「うぃ~っす。あ、日野君。俺のお気に入りのアズちゃん、紹介してやろうか?」 「アハハハ、遠慮しときます」  ついおかしくて笑ってしまった。汗だくで他人のセックスしたベッドをメイクする仕事は、金を稼ぐためとはいえ初日は気が滅入った。精液にまみれたシーツをはぎ、粘液で汚れた手で触れたであろうヘッドボードやテーブル、冷蔵庫の外側や棚、果てはトイレの壁まで拭き取り洗剤をスプレーして拭いていく。親との約束を守るためとは言え、最近の自分には楽しい出来事が皆無だった。  だから、あの夢のようなキスを堪能してしまったのかな――。 「日野君は、もっと笑った方がいいわね」 「そうだよ。笑う門には、っていうしな」 「だから~。アズちゃんのおっぱいを揉めば、笑いたくなるって~」  チャラ泉さんが手をグーパーしている。 「今泉さん、日野君を汚さないで。日野君はポン引きもどきを相手にしちゃダメよ」 「ポン引きもどきだって。ひどいな~」 「ハハハハ」 「アハハハハ」  彼らはセレブから見れば負け組だろう。それでも日に十二時間以上労働せざるをえない状況を、明るく笑い飛ばして生きている。なんだか自分も頑張れそうな気がした。    五日目のバイトを終えると、持参したTシャツと青のトレーナーを身につけてから奈々へ電話をかけた。  プルルルル。 「もしもし、寝てたか」 『いま寝るところ』 「ほら、このごろ会話もできなかったろ。それで……」 『まだスマホを買ったこと根に持ってんの。嫌味くさ!』  プッ。 「奈々!」  切られてしまった……。 「ただ話がしたかったのに……」  また責められていると感じたのだろうか。義母似の妹は、とかく怒りの沸点が低い。仕方ない、また時間が経過するのを待つか。更衣室を出ると、水上社長がウールコートを羽織っていた。昨日までスーツのままだったのに、何処かへ出掛けるのか。ここは繁華街で飲み屋のネオンがまだ輝いている。美男に飛びつくホステスが何百人もいるはずだ。 「お先に失礼します」 「俺も帰るよ、後はよろしく」  彼はフロントへ声をかけると、挨拶をした俺に近づいてきた。なんだろう、これは。まるで俺を待っていたみたいじゃないか。今夜こそ、なぜキスをするのか問い詰めないと。俺はイケメンと遊んでる時間も金もないんだ。  やっぱり自転車置き場までついてくるヴァイキングに宣言しようと向き直った。 「客のお金を拾ったらしいね」  降ってきたのはキスではなく、問いかけだった。 「あ、姿を見せちゃいました。すいません!」  もしかして説教する気かな。 「どうして呼び止めたんだい?」 「お金だったから、ビックリしてつい……あ、非常階段で拾った十円を備品倉庫におきっぱなしだった!」  拾ったら即、ワゴンの貯金箱に入れるきまりだった。  チュ。 「なんでキスするんだ?」 「ふっ。俺が他の人間にしていないか、観察してただろ」  バレてたか……。

ともだちにシェアしよう!