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【一】水上―新しい生活④

 ピンポーン。ガチャリ。 パタパタパタパタ。 「おかえり……ぎょえっ」  玄関に現れた青羽を抱きしめて充電しよう。悪霊退散、疫病神退散……。 「悪霊にあったのか。大丈夫か?」 「いや……まあ。似たようなものだ」 正確には般若らしいが。 「まだ料理の途中なんだよ。お腹すいた?」 「いや、青羽を補給しに来ただけだ」 「ふはっ。なんだよ、それ」  ポンポン。と背中を叩かれ、強く抱き返される。理解と、労りと、そして愛情。仕草だけで伝わるから言葉は要らない。唇を触れ合わせ、舌でくすぐった。緩んだところで口内の柔らかさを堪能する。彼の舌先を吸い込み、こっちへおいでと誘ってみる。求めに応じた彼は、おずおずと探索を開始した。俺の歯列や歯茎をつつき、そしてくすぐる。健気で勉強熱心な生徒から受ける刺激は耳朶の後ろを痺れさせ、股間まで興奮させた。ああ、このままベッドで繋がりたい。だが俺には仕事がある。グイグイと勃起を彼のジーパンへ押しつけたら、硬い隆起にぶつかった。 「ちきしょう。仕事なんかクソ食らえだ」 「あと六時間、頑張れ。待ってるから」 「行きたくない」 「我が儘いうな、社長だろ。終わったら身体を洗ってやるから」 「ほんとうか」 「マッサージもするぞ」 「エロいやつな」 「う、あ……。が、頑張るよ」 「行ってくる」  このままではソファーに担いで行きかねない。 「いってらっしゃい」  股間を静める為に見送りは断った。よし、俺は頑張る。  だから何事もなく時間よ過ぎろ!   「おはよう」 「社長、大変です。すぐ来てください!」  血相を変えた女性フロント社員が挨拶も忘れて誘導した先はキッチンだった。椅子に腰掛けたコックコート姿のシェフが苦しげに股関節を摩っていた。 「佐川さん、救急車を呼ぼうか?」 「いや、無駄ですよ。鎮痛剤を飲めば落ち着きますから」 「病院へ行こう。俺が運転する」 「社長、実は年明けに手術を勧められてるんです。今日お話しするつもりでした」  股関節の手術をして、復帰するまでは約ふた月。年末までは鎮痛剤で乗り切ろうと考えていたらしい。だが明らかに待ったなしの状態だ。 「自宅に送るよ。春になったら、またよろしく頼む」 「社長、今は稼ぎ時ですよ。代わりの人間を探すのは無理です。暇なときに座っていれば、なんとかなります」 「暇なんかないさ。大丈夫。フロント社員にやらせるから」 「そんな、無理です! ふわとろオムライスなんか作れません!」 「じゃあ、料理は全部冷凍食品にしよう」 「『ルキア』は料理が売りなのに、私がそんなことさせませんよ」  ステンレス製の作業台に掴まり、必死で立ち上がろうとするシェフ。 「佐川さん。気持ちは有り難いが、ドクターストップだ」 「社長、現在オムライスの注文が十人前入ってます」 「何!?」 「どうしますか」 「……料理をキャンセルさせて、ホテル負担でデリバリーのピザを提供するしかないな」 「わかりました」 「私が作ります!」 「佐川さん!」  よろめいたシェフを、フロント社員と駆けつけた清掃バイトが支えた。 「代わりが見つかるまで、私はここで作ります。社長に迷惑はかけられない」  持病を抱えた彼を雇った俺に恩義を感じているのだろうが、ここで野垂れ死んでも困る。 「社長、知り合いの料理人はいないんですか?」 「いるけれど、いまはどこも繁忙期だ。見習いを借りることも出来ないでしょ」 「高木君……」  シェフを座らせたバイトリーダーの意見は尤もだ。どの店も、猫の手を借りたいほど忙しい。  脳裏にちらつく顔を無視したい。無視したいが出来ない状況に追い込まれている。これでは売り上げと評判を落として、幸せな年末を迎えられそうにない。 「……ひとりだけ当てがある。ちょっと連絡してくる」 そのまま待機を命じて社長室に駆け込み、内側からロックした。本棚奥のエレベーターでペントハウスまで上昇すると皮靴を脱ぎ捨てて内廊下を走る。  ガチャリ。 「青羽、オムライスを作ってくれ!」

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