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【六】青羽―交換条件③
『お父さん、この餃子おいしい!』
『そうか。ほら、このとんこつラーメンも食べろ』
『うん!』
小学校時代、父は出張の前になると『虎横飯店』に連れて行ってくれた。店の一番奥にある二人がけのテーブルは、客が避けたいトイレの真横にある。そこでいつも虎爺さんと父が俺の頭をグリグリ撫でた。思えば情報屋の仕事で危ない橋を渡る前の儀式か、俺への懺悔か愛情表現だったのか……。
真意を知る術はないけれど、俺もまた自ら選んだミッションを遂行する……。
なあんて格好いいこと言っちゃってますが、実際は今夜二十一時過ぎに『ルキア』の一室で行われる取り引き現場を、左手首に強制装着された腕時計型ビデオカメラで録画するだけだ。無論、透や虎爺さんは知らない。
餃子を作ろうかとも考えたが、透の夕食はカレーにした。しかも全国民の味方、カレールーを投入して火を止めてから少量のお酢とインスタントコーヒーを小さじ一杯追加する。虎爺さん直伝『賄いカレー』の出来上がりだ。
さりげなく社長室にカレーを届けて壁掛けの時計を確認すると十八時過ぎだった。ふう、気ばかり焦りすぎている。翡翠の瞳を煌めかせてカレーを頬張る透は、ここ数週間の悩みを一瞬だけ忘れているようだ。高い鼻梁、肉厚な唇、太い眉、最近剃って現れた顎は、雄の魅力を増長させ女性達のため息を誘う。俺だって気を抜くと、ふらふらと抱きつきかねない。成功のおまじないに、赤毛のかかる額へとキスを落とした。きっと夜半過ぎには、ベッドでゆっくりと堪能できるはずだ――。
『指示をしっかりと記憶してくれ。変更はない。二十時前後に入る炒飯セット二人前と生ビールふたつの注文を今泉が運んでいく。部屋の番号は403号か503号だ。録画と同じ八角形の部屋だよ。あそこは、防犯カメラが死角になる場所なんだよ……』
テツさんの言葉を反芻し、機が熟すのを待つ。今夜はABCチームが出勤し、配膳のヘルプはAチームが行う。やはり、客が注文した食事を配膳ロッカーへ運ぶ際に売買をおこなっていたのか。いや待て、最近は高木君もヘルプをしていた。今夜は強引にチャラ泉さんがやって来るのか?
十九時四十五分に炒飯セット二人前と生ビールふたつの注文が入った。虎爺さんが炒飯を、俺が唐揚げやプチトマトの副菜をセットし、タイミングを計ってサーバーからジョッキに生ビールを注いでいく。他に一部屋分のオーダーが入っていた。
「ち~っす」
「お疲れさま~。今泉さん、悪いんだけどワゴンで二件運んでくれるかしら。509号と403号室よ。私、コスプレのアイロンがけが溜まっちゃって」
ホテルではセーラー服やミニスカブレザー、ミニスカポリスのコスチュームを無料貸し出しサービス中だ。なんと、従業員休憩室横の洗濯室で洗い、社員がアイロンをかけていた……。ブラウスのボタンが無くなっているのは、情熱的な彼氏に引きちぎられたのか。そしてどうでもいい情報だが、一階エレベーター横のグッズ自販機はネコ耳カチューシャとピンクの卵型マッサージ器が売り上げダントツだ。部屋に置かれたメニュー表の商品は、フロントへ電話を入れると配膳ロッカーまで届けられて精算に加算される。
おっといけない。チャラ泉さんが業務用エレベーターに乗り込んでいった。壁のテレビで清掃チームがどこにいるか確認する。
よし、ミッション開始だ!
「虎爺さん、トイレに行ってくる」
お腹を押さえながら戸口へ移動した。
「なんだ、腹 痛 か」
「うん、ごめん」
コックコートにペントハウスのカードキーを忍ばせ、脱いでから非常階段を駆け上がった。
現在清掃チームは四階にいない。それも計算してのことなのか。廊下を走り403号室の向かい側にある備品倉庫に身を隠した。カーテンの隙間から腕を伸ばせば、ドア横の配膳ロッカーを撮影できる。無論これも探偵屋の指示だ。回廊式の『ルキア』は509号室からほぼ対角に位置する403号室へ配膳するには、西側の業務用エレベーターに乗るのが一番効率がいい。今頃は五階から四階に下りてきている頃だ。そろそろお盆を持ったチャラ泉さんが廊下を歩いてくる。廊下の照明は絞られ、天井からはロマンチックなBGMが流れている。パタパタと足音が聞こえて、403号室で消えた。
カーテンの隙間からチャラ泉さんの背中が見えた。左手でお盆を持ち、右手にマスターキーの赤い紐がぶら下がっている。
ピンポーン。
まさか、これが合図なのか――。
チャイムは、配膳ロッカーにお盆を置いて鍵を閉めてから押すのが手順だ。チャイムを押せば、すぐに客がお盆を取りに部屋から内廊下に来てしまう。チャラ泉さんは足音をキャッチしたのか、配膳ロッカーを開けてお盆を置いた。チッ。背中でロッカー内部が見えない。もう少し腕をのばすしかないか。
見えた!
客室側から、紙幣を差し出す手が見えた。そして身をかがめてそれを受け取り、小さな袋を渡しているチャラ泉さん。
やはりここで売買が行われていた!
「おや、日野君じゃないか。だめだよ、取り引きの邪魔をしちゃ」
パタン。
背後から響いた声は、俺の存在をチャラ泉さんに知らせてしまった。振り向くと、爽やかイケメンの高木君がファイティングポーズを構えていた。
ドス。ボカッ。
視界に星が散り、身体が傾いていった――。
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