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第11話 零れた本音

 冬の寒さが増すにつれ、高校三年生は本格的な受験モードへと入っていた。生徒の全員が受験をするわけではないが、それでも空気は以前よりもピリピリとしている。そしてそれは生徒だけでなく、高校三年生を受け持つ教師陣も同様だ。そのうちの一人である凪も連日遅くまで残り、朝は誰よりも早く登校している。  他の教師たちには頑張り過ぎだとも言われたが、こうしていると気が紛れて良かったのだ。家にいると余計なことばかり考えてしまうから。  そんな今は職員室で太河にお願いされた試験対策の問題を作っている。だが、連日の疲労も相まって集中力が切れかけていた。  眼鏡の下できゅっと瞼を押さえつけていると突然トントンと肩を軽く叩かれた。振り向いた先にいたのはニコニコと笑みを浮かべた石水だ。 「須藤先生、大丈夫ですか? ちょっと息抜きしましょ。ほら、肩もこんなガチガチだし」  触れられた肩は確かに痛いくらいに固くなっていた。それだけでなく、ずっと机に張り付きっぱなしで僅かに頭痛もしている。一度意識してしまうと急に身体が重くなったような気がしてしまい、凪は苦笑いを浮かべた。 「そうですね、少しだけ」 「ちょっと寒いかもしれませんが屋上行きましょうか」  屋上に出ると強く冷たい風が吹きつけ、服越しにもその寒さを肌に届けてくる。外はこんなにも寒かったのかと腕を擦りながらフェンスのほうへ向かっていくと、グラウンドで元気に走り回る生徒たちの姿が目に入った。 「……」  パッと見だけで気付く。それは凪のクラスだ。真っ先に目に入ったのが太河だったから。この距離からでも彼のことを真っ先に見つけてしまうことに自嘲したくなってくる。 「須藤先生、やっぱりちょっと頑張りすぎじゃないですか? 眼鏡で隠れてますけど、隈すごいですよ。せっかくの良い顔が台無しだ」 「良い顔って……またご冗談を……生徒たちが頑張ってますから、俺も頑張らないと」 「ははっ、須藤先生は教師の鑑だ」  教師の鑑。その言葉にズキッと胸の辺りが痛む。  自分は教師。自分の気持ちを優先してはいけない立場。  体育祭の時に気付いてしまった気持ちに蓋をして、彼と目を合わせないようにして、余計な事も考えないように、自分の時間を作らないようにしてきた。  このまま上手くやっていけるはず、そう思っていたのに。どうしてなのか、苦しさは増していくばかりだ。 「……須藤先生、何か悩み、ありますか?」 「え……?」 「最近の先生、ちょっと前と違うっていうか……体育祭のあたりから、ですかね……」  ドクンッと心臓が大きく音を鳴らす。  指先から血の気が引いていき、軽く触れていたフェンスの感覚がなくなっていく。  ダメだ。怪しまれるな。 「そ、んなこと……ない、ですよ……」 「いや、例えば……恋、してたり」  ぞくっと頭皮が痺れ、周りの温度が一気に氷点下にまで下がったような感覚が襲い掛かる。  前任の解雇、教師と生徒、太河の将来……いろいろなことが頭の中を駆け巡っていく。  違うと言わなければ。話を逸らさなければ。  頭ではわかっているのに喉がカラカラに乾いて言葉が上手く出てこない。  石水のことを見たまま固まっていると、真剣な顔をしていた彼は凪の緊張を緩めるようにニコリと笑みを浮かべ、ぽんっと軽く肩を叩いた。 「大丈夫ですよ。ここには監視カメラはありませんし、ただの雑談です。体育祭の頃から須藤先生が前より綺麗になったんで恋でもしてるのかなって、ただの勘です。けど、悩んでもいるみたいなので、もし少しでも言えることがあるなら言ったほうが楽になれる時もありますよ。もちろん他言はしません」  彼の明るい笑顔に、言われた言葉がゆっくりと浸透していく。  石水は責めようとはしていない。ここは、安全な場所。  張りつめていた気持ちが緩んでいくと共に煩いほどに鳴っていた心臓が少しずつ落ち着いていく。だが、どうしてなのか目頭がツンッと痛く、熱くなってしまう。  こんなこと、普段なら絶対に他人には相談しない。ましてや同じ学校の先生になんて。だけど、もう限界だったのかもしれない。それか、心の何処かで止めてくれることを願ったのかもしれない。誰かが止めてくれれば諦められる。諦めなければいけないと。  気付いた時には言葉が零れ落ちていた。 「……俺、ダメなんです」 「何が、どう、ダメなんですか?」 「……諦めなきゃいけないって頭ではわかってます。そのために遠ざけるようにもしてきました……けど、この前あいつが……いつもは名前で呼んでくれるのに、苗字で呼んできて……それだけで、頭の中が真っ白になって……」  いつも『凪』と呼んでくれる太河。  あの時、すぐに勘違いだとわかったけど、『須藤先生』と呼ばれた瞬間、自分で遠ざけてきたはずの距離なのに何も考えられなくなってしまった。  彼の好意に応えてはいけない。それは彼の将来のため。自分が足枷になるわけにはいかない。それなのに、彼に呼び方一つで距離を置かれたと思った瞬間、感じたのは寂しさ、悲しさ、恐怖。  遠ざけたのは自分なのに。なんて、自分勝手なんだ。 「すみません……変なこと言いました……」 「須藤先生、それ、その子のこと本当に好きってことですよね。呼び方一つでそうなるって、その子に言いました?」 「い、言えるわけないですよ! それに……」  相手は自分の教え子だ。  勢いあまって口に出しそうになったが、前任の話が頭を過りぐっと言葉を飲み込む。さすがの石水であってもこんなことを言ったら不味いかもしれない。  何と言葉を続ければ良いか迷っているとグラウンドのほうからピーッという笛の音と生徒たちの歓喜の声が響き渡った。視線を向けるとどうやらサッカーのゴールが決まったようだが、太河のチームは悔しそうにしている。  思わず吸い寄せられてしまった視線の先にいる太河は他のクラスメイトに背中を軽く叩かれており、その苦笑いを浮かべる顔からつい目が離せなくなってしまう。  もしかして、調子が悪い……?  教室では普通だったはずだけど……。  彼の姿に見入っていると隣から石水のクスッと笑う声が聞こえ、ハッと我に返る。 「す、すみません。話の途中だったのに」 「いいえ、いいんですよ。須藤先生は一度その子とちゃんと話しましょう。諦めなきゃって言っても今の状態で何も言わずに離れたら苦しいのが続くだけですよ。須藤先生は先生である以前に須藤凪としての一人の人間なんですから。自分のことも大切にしてください」 「……はい」 「あー、まだ納得してないって顔ですね。ちゃんと休まないからネガティブになってるんじゃないですか? そういうの生徒にも伝染しますよ。今日は早く帰ってちゃんとお風呂浸かってご飯食べること!」  まるで母親のような言い方に思わず笑いが込み上がってくる。確かに、自分の元気がなかったら生徒たちに心配をかけさせてしまうかもしれない。この大事な時期にそれは絶対ダメだ。 「あ、須藤先生、見てください」 「ん?」  ふっとグラウンドのほうへ視線を向けるとちょうど太河が蹴ったボールがゴールネットを揺らした瞬間だった。見事なシュートにみんなが先ほどよりも大きく盛り上がっている。  良かった、体調、悪いわけじゃなかったんだ……。  ホッと安堵の息を吐くと、クラスメイトたちとハイタッチをしていた太河が屋上を見上げた。そして、最初から気付いていたかのように凪に向かってピースサインを向けてくる。  彼はいつから気付いていたんだろう。けど、太河は凪を見つけるのが得意だから、もしかしたらここに来た時から気付いていたのかもしれない。一瞬呆然としてしまうが、満面の笑みを浮かべる太河に凪の顔にも自然と笑みが浮かんだ。 「……あー、なんとなく、わかったかも」 「え? 何がですか?」 「それは自分の顔に聞いてみてください」  ……そんな変な顔をしていたのか。ポーカーフェイスを作るのは上手いはずなんだけどな。  顔、といえば石水は体育祭辺りから凪が綺麗になった、と言っていた。綺麗かどうかは一旦置いておくとして、その頃に心境の変化があったのは間違いない。気になるのはその変化に石水だけでなく他の人も気付いていたかどうかだ。 「あの……さっき言っていた体育祭辺りから変わったってやつ、なんで気付いたんですか? 恋愛経験豊富だからですか? それとも、野生の勘?」 「野生動物じゃないんだから。気になるなら今度飲みながらじっくり話しますよ? それはもう奥深いところまで」 「それは遠慮します」 「いやいや、即答しなくても。まぁ、けどいろいろアドバイスはできると思うのでまた何かあったら話してください。須藤先生は一人で抱え込ませると良くないってわかりましたから」  そんなに心配されるほどひどい状態だったのか。  自分ではいたって普通のつもりでいたのだが、案外周りの人は気づいているものだ。もしかしたら太河も何かしら気付いていたのかもしれない。  かもしれない、というより、気付いていた、な……。  冷静になって思い返すと避け方もあからさまだったし、生徒指導室に呼び出されたし、かっこ悪いことに半泣きのところまで見られた。太河が気付かないわけがない。  気付いたうえで彼は『先生』として凪を頼ることを選んだし、あの時はそれが救いにもなった。だけど、やっぱり、このまま逃げるだけじゃダメだ。 「石水先生、いろいろとありがとうございました。なんか、すっきりしました」 「ははっ、良かったです。イケメンは元気がないともったいないですからね」 「またそんな冗談言って……あ、すみません、俺そろそろ戻らないと。先生も戻りますか?」 「俺はもう少しここにいます。先に戻っててください」  フェンスに寄りかかる石水にぺこりと頭を下げ、来る時よりも軽くなった足取りで扉のほうへと歩いて行く。すると、扉を半分開けたところで再び石水に呼びかけられた。 「あ、須藤先生」 「はい?」 「生徒に手出すなら卒業してからにしてくださいよ、一応」 「っ……だ、大丈夫です。問題は起こしません」  そそくさと屋上から出て行った凪の頬と耳の先はほんのりと赤くなっており、石水は小さく笑みを浮かべた。  一人残った屋上、その視線の先には凪のクラスの生徒たちがいる。 「ふっ……あんな顔されちゃ年上としてアドバイスする以外ないだろ……応援してるよ、須藤先生」

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