9 / 12

5-1 シャチはどこだ

   山田優太としての前世の記憶を思い出しても、レンとして過ごした十八年間が消えるわけではない。  臆病で小心者だった海洋オタクの記憶が、凶暴で獰猛なホホジロザメのレンにインストールされた。  それはどういうことかと言うと。 「──おわあー! すっげえー……!」  前世の記憶を取り戻した翌日。  内海を泳ぐ海獣人たちに、レンは双眼鏡越しに赤い目をきらきらと輝かせた。  目の前ではザトウクジラやジンベエザメ、ホッキョクグマなどが悠々と泳いでいる。 「今までぜんっぜん気にして無かったけど、どうなってんだ……!? 生息する海域が全然ちげぇだろ……! なんでホッキョクグマとジンベエザメが同じ海で泳いでんだよ!?」  レンは興奮して海を眺めた。凶悪なギザ歯をのぞかせながら、ぶつぶつと感想や疑問をつぶやいている。  そして、はっと思い当たった。 「てか、俺もホホジロザメじゃん!? 超レアじゃねえか! 飼育不可能だから生でなんて見れねえんだぞ!? あああちくしょー、自分じゃ見れねえよ!」  入り江で大声を出しながらぎゃあぎゃあと騒ぐレンを、泳ぎにきた生徒たちがおぞましいものを見る目で遠巻きに見ている。  ここはユートランティア王立学園に与えられた海域だ。生徒たちは学園の目の前にあるこの入り江から、息抜きで昼休みや放課後に泳ぐことが日課となっている。  普段は人型で生活している海獣人たちだが、疲れた時や息抜きがしたい時などは海獣化して、内海で海洋生物の姿になって泳いでいる。  レンも普段はホホジロザメの姿になって内海を泳いでいた。  しかし、今日はそれどころじゃなかった。 「ジンベエザメ、でけえー! ザトウクジラの胸びれ長っ! ……え、あれ、シロナガスクジラ!? でっっっっっけえ〜〜〜!!! ……あ、あれ会長か」  目の前で迫力満点に泳いでいる海洋生物たち。水族館とはまるでスケールが違うその様子に、レンは大興奮していた。  (断罪とかで萎えてたけど、たっのしい〜……!)  昨日はけっこう、いや、マリアナ海溝に沈むほど落ち込んでいた。でもよく考えれば、断罪まではまだけっこう時間がある。  対策はまだ練れる。  主人公が来るまではイベントは始まらないはずだ。それまでは、真面目に授業に出て、情報を集めながら品行方正に過ごしていれば良い。  対策ノートは昨日から作成し始めている。  そうと決まれば、レンがまずやることといったら、内海を泳ぐ海洋生物たちの観察なのだった。  (水族館はねえけど、それ以上……!!)  じいんと感動に打ち震えていると、ひそひそ声が聞こえて来る。 「なんか昨日から様子おかしいよね……」 「ね……。近づかないでおこ……」  生徒たちがレンを見てびくびくとしていたが、生まれてからこれまでずっとそうだったので気にも留めない。  ふと、レンははっと思いついた。  ────これ、自分もホホジロザメになって泳いだら、間近でいろんな生き物が見れちゃうのでは?  目から鱗。ぽろりと手から双眼鏡が落ちた。 「そうじゃんそうじゃん! やっべー! なんですぐ思いつかなかったんだよ!」  頭を両手で押さえて吠える。その声に、周囲の生徒たちがびくりと体を震わせた。  急いで海に入る。制服はそのままで良い。さすがゲーム。海獣化する時は、どんな格好をしていても不思議と問題はない。  じゃぶじゃぶと勢いよく波に突っ込み、泳ぎ出す。優太はカナヅチだったが、レンは違う。オリンピック選手も真っ青の速さで、あっという間に水深が深いところまで辿り着いた。 「ここらへんなら良いか……」  目を閉じて、水中に潜る。魔力をほぐすイメージを頭の中で浮かべると、だんだんと体の感覚がぼやけてきた。グググ、と体が大きくなっていくのがわかる。どこからか沸いてきた水泡に包まれる。  やがて体の変化が終わると、水泡が消えていく。目を開けると、海中がよく見えた。  透き通ったマリンブルーの海。珊瑚礁や海藻が美しく海底に繁茂している。太陽の光を浴びて、魚たちがきらきらと輝いていた。  レンが動くと、海底に落ちた巨大な影も動く。影が落ちると、魚たちはさっと身を隠すように岩陰や海藻に隠れる。  爽快な気分で泳ぐ。  気持ちが良くて、心が休まる。  断罪のこと、主人公攻略のこと。  考えなければいけないことはたくさんある。  しかし、今はそれよりも大切なことがあった。  ──シャチ。シャチはいないのか……!?

ともだちにシェアしよう!