12 / 12
6-2
オルキウスは今度こそ思考が停止した。
「触る……?」
海獣化した姿を、触らせる。
それが何を意味するのか、目の前の男がわからないわけはない。
「……お前は、その意味をわかって言っているのか?」
つい表向きの口調ではなく、素で話してしまう。ハッとしたが、レンは全く気がついていないようにブンブンと頭を振って頷いた。
「だ、だから、ちょっとだけでいいんだって……!」
完全に不審者だ。
心を読んでも、目の前の凶暴な男から伝わってくるのは純粋な興奮と────溢れんばかりの嬉しさ。
……そして、まっすぐな好意だった。
オルキウスは水面で静止した。
しばらく黙っていると、レンがハッとしたように慌てる。
「あっ! ああ、悪い!! ダメだよな、触るのなんて! いや、そりゃそうだよな……」
慌てて謝るレンに、気がつけばオルキウスは口を開いていた。
「いいぞ」
「へっ?」
レンがぴたりと動きを止めた。おそるおそる覗き込んでくる。
「ほ、本当に……?」
首を傾げて見上げてくる男を、じっと見下ろしてオルキウスは不思議と頷いていた。
とたんに、レンの赤い目が興奮したように熱を持った。
「じゃ、じゃあ……」
レンがごくりと喉を鳴らして、そろそろと指先を近づけてくる。
ちょん、と指先が体表に触れた。
「は、はわわわ……」
その瞬間、レンの目が涙目になって顔がますます赤らんでいく。
オルキウスは胸がざわざわとしながら、その様子をじっと見ていた。
(なぜ、こんなにも嬉しそうなんだ……?)
海獣化した姿を触らせる。
まさか、自分がそんなことをするだなんて思ってもいなかった。
……いつ以来だろうか。海獣化した姿に触れられるのは。
一瞬、幼い頃の記憶が蘇りかける。
オルキウスはすぐにそれを打ち消して、じっとレンを見下ろした。
すべてが、想定外だ。
(やっぱりこいつは……一昨日までと何かが違う)
最恐で手がつけられない問題児。
噂を確かめるため近づいた。
それなのに、目の前にいるのは────。
「あ、あのさ……なでても、良いか……?」
潤んだ目でうっとりとこちらを見上げてくる、ワイルドな顔。
「……いいぞ」
(────これは、おもしろい)
もう少し。
この男が知りたいと思った。
「……?」
ふと、レンが静かになって見下ろしてみると、そこには無心で頬擦りしている姿があった。
「……あんまり調子に乗るなよ」
「あっあっ、わり!」
(……本当に、変な男だ)
オルキウスは、目の前で小動物のように震えるホホジロザメの海獣人から目が離せなかった。
バタン、と車のドアが閉められる。
オルキウスは革張りの後部座席に深く腰掛けながら、顎に手を当てて考え込んでいた。
「若様。例の鮫はいかがでしたか」
「……」
オルキウスはしばらく黙っていた。
「若様?」
「……少し」
ぽつりとこぼす。
「想定外だった」
運転手が驚いた声を上げた。
「若様が……読めない男なのですか」
オルキウスはため息を吐いた。
「いや。むしろわかりやすい」
背もたれにふう、と背中を預けた。
「……わかりやすいから、わからなくなった」
運転手が戸惑う。
「……それでは、先方へのご返答は」
「保留だ」
「承知しました。では、レン・ホワイトファングの件は保留ということで」
オルキウスはそっと目を閉じた。
まぶたの裏に浮かぶのは、赤い目をきらきらと輝かせながら、自分を見上げていた男の姿だった。
ともだちにシェアしよう!

