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第六章 Shall we dance?・第二話
思わず漏れた笑みに、カイは満足したのか、僕に体を預けるように距離を詰めた。
――こんなに華奢だったのか?
力を入れたら折れてしまいそうだと錯覚してしまうほど、普段の態度からは想像できないほど華奢で美しい上半身。
衣装の上からでも分かる、しなやかに引き締まったウエストライン。
組み合った手のひらから伝わってくるカイの熱を感じて、僕は自分の体が熱くなるのを感じた。
オーケストラの奏でる柔らかな音楽がフロアを優雅に包み込む。
僕のステップに完璧に合わせるカイに、僕は驚いた。
「君は、ダンスも踊れるのか?」
「……親父に無理矢理、な」
「……そっか」
カイの背景を考えれば、そうなんだろう。
あらためて、カイのスペックの高さに舌を巻く。
「……さすがだな」
「なにがだい?」
「さっきまで、緊張してたヤツの踊りじゃねえな」
表情は普段と変わらないが、どこか楽しそうな雰囲気のカイの姿を見て思わず笑みがこぼれた。
「……なんだよ」
「君が楽しんでるみたいで嬉しいんだよ」
僕がそう言うと「なに言ってんだ」とあきれた顔をするが、普段とは雰囲気が違うカイにやっぱり嬉しくなった。
このまま二人だけの時間が続けばいいのに――。
らしくもなくそんなことを思った自分に、僕自身が一番驚いた。
今、この音楽が鳴り続けている間だけはただの"ルシアン"として生きている。
そんな錯覚を覚えた。
楽しい時間はあっという間に終わりを告げる。
ヴァイオリンの最後の一音がフロアに静かに響いた。
音楽が止んだことに気づいたが、僕はカイから視線がそらせなかった。
なかなか手を離そうとしない僕に、カイが小さな声で「…………おい」と呼びかける。
「終わったぞ」
「……ああ」
名残惜しそうに手を離してからお互いに礼をすると、会場中から大きな拍手と歓声が上がった。
「す、素晴らしい……!」
「あのお二人は誰なのかしら?」
「とても優雅で美しかったわ」
「ええ……! 思わずうっとりとしてしまいました」
僕はもう一度カイの手を取ってフロアの真ん中から料理の置いてあるテーブルの方にエスコートすると「なにか飲むかい?」と聞く。
「いや……」
「それじゃあここにいて。僕は飲み物を持ってくるよ」
僕がカイのそばから離れようとするが、繋いでいる手は離れなかった。
「……どうしたの?」
僕の問いかけにカイは慌てた様子で繋いでいた手を離した。
「……カイ?」
「……」
カイは「……居心地悪いから一旦出ようぜ」と小さな声でつぶやいた。
少し不安に揺れたような瞳に、心が奪われた。
いつもはどんな視線に晒されたって凛とした姿勢で前を向いている男がこんな顔をする理由を考えて、僕は口元がにやけそうになる。
「……おい? 聞いてんのか?」
「……うん、いいよ」
一呼吸おいてそう返事をしたあと、僕はテオとアートを探す。
近くにいた二人に視線を向けると、テオはなにやら意味深にうなずいた。
なにを分かったような誇らしげな顔をしているんだ。
なにも言わずにサムズアップしたあと、固まって微動だにしないアートの肩を笑いながら叩いているテオの姿を確認してから、僕はカイをホールから連れ出した。
――初めて会った日と似ているな。
あの日と違うのは、カイがカイの意思で僕と一緒にホールを出る選択をしたということだ。
「あの時を思い出すね」
「……あ?」
「君と、初めて出会ったあのパーティーさ」
カイは「あー……、あったな」と返事をする。
「やっぱりあれは君だったんじゃないか」
僕の言葉に動揺したのが、繋いだ手を離そうするカイの手を、今度は僕が力を入れて離さなかった。
「……」
「理由は言えない?」
「……親父の仕事の手伝いだよ」
「……そっか」
やっぱり言えないか、と納得した。
そんな僕に「でも」とカイが続けた。
「……お前らにマイナスになるようなことはしてない」
「分かってるよ」
熱気のあるホールとは打って変わって、冷たい空気が流れ込む廊下を、僕達は無言で歩いて行く。
相変わらず、足音は僕一人分。
カイは今日も、音もなく隣を歩いていた。
廊下を抜けて中庭に出ると、冷たい風が頬を刺す。
「さすがに寒いね」
「……寒すぎる……」
体を小刻みに震わせるカイに「ホールに戻る?」と聞くが「……いや、いい」と答えた。
「とりあえず歩こうぜ。寒すぎる……」
そう言って、雪の上をゆっくり歩き出す。
「イギリスの冬は初めて?」
「ああ……。親父の仕事でアメリカにいたからな」
「それは、ずっと?」
僕の質問に、カイは「……いや……小さいころ……三年だけ日本に住んでた」と答える。
「……日本か」
「祖父さんのところに世話になってた」
「そっか……」
雪の中を歩くカイの後ろ姿を見ながら、自分が、誰かとこんな時間を過ごしていることに驚いた。
去年の今ごろは、名前も存在も知らなかったのに。
「カイは、どの国が好き?」
「はあ?」
「どこにいる君が、一番なんだい?」
イギリスの王室しか知らない僕と、三カ国で知っているカイ。
どれが、本当の君なんだ?
「……」
カイは一瞬、考えるような素振りを見せる。
そして、僕の方を見て「……全部、俺だよ」と静かに告げた。
「カイ……」
カイはそのまま無言で歩き続けると、中庭の真ん中に設置されているベンチを見つけて震えながら座った。
「はあー……」
カイの吐いた白い息は、空気に溶けて消えていく。
「これ、もう外していいよな?」
目元を隠している仮面を外すカイに「今日は仮面舞踏会なのに外していいのか?」と言うと「別にいいだろ。誰も見てねえし」と返された。
カイは、シャツの第一ボタンを開けると「あー……息苦しかった……」と首元を解放した。
耳の後ろから首筋に沿うように一筋の汗が流れていく。
ダンスをした後の火照りか、ほんのりと赤く染まったどこか妖美な首筋に思わず息を呑む。
彼の首元から視線をズラして「……寒かったんじゃないの?」と平静を装って質問をした。
「正装って息苦しいな。毎回こんなん着てるお前を尊敬するわ」
「それは光栄だな」
僕は、着ていたジャケットを脱ぐと、カイの肩にそっとかける。
「……寒くねえのかよ」
「こう見えても鍛えているからね。それに、このくらいの寒さには慣れているよ。ずっとこの国で生きてきたんだ」
「……」
不服そうな顔をするカイに「お礼はさっきの完璧なダンスでもらってるから安心してよ」とウィンクで返す。
「……ダンスは勘弁、じゃなかったのかよ?」
「君が魅力的すぎるのがいけないんじゃないか」
「なんだよそれ」
僕の体温が残るジャケットに、カイの体が包み込まれている。
見慣れているはずのジャケットなのに、彼が着ていると別物に感じた。
王室を象徴するロイヤルブルーのジャケットが、いつもよりずっと高貴なものに感じたんだ。
僕も仮面を外すとベンチに置く。
「……どんな人だったんだい?」
「……ん?」
「君のグランパ」
ずっと疑問だった。
カイの、きっと大切な人である彼のグランパのこと。
どんな人だったんだろう……。
多分、カイの父親とはまったく違う価値観を持った人だったんだろうな。
カイの根底にある"やさしさ"は、きっと彼のグランパから受け継いだものなんだと思っていた。
カイは、空を見上げると「……善人」と短くつぶやいた。
「自分のことは後回しで……周りにいた人を助けるような善い人だったよ」
「……へぇー」
カイはその時のことを思い出しているようだった。
その横顔は、今まで見てきたカイの表情からは想像できないほど美しく、それでいてどこか寂しげだった。
いつもの鋭さは消えて、穏やかでやさしい顔だった。
そんな彼の表情を目の当たりにして、僕の心臓がうるさく跳ねる。
「ずるいな……」
「あ?」
――僕には一度だって、そんな顔を見せてくれたことなんてないのに。
抑えきれない独占欲と切望。
君にそんな顔をさせる君のグランパが心底羨ましいと思うのと同時に、いつか僕を想いながらそんな顔を見せてほしいと願う。
「……おい」
カイが僕を呼ぶ。
いつの間にか降ってきた白い雪が、カイの青みがかった黒い髪の上に舞う。
白と黒のコントラストが、やけに美しく、僕は思わず手を伸ばした。
「おい……!」
伸ばした手は、カイの頬に触れていた。
「あ……」
「なんだよ……」
僕は手を引っ込めると「ごめん。髪に――雪がついていたから」と謝った。
とっさについたこんな嘘さえも、きっと、君には見破られてるんだろうな。
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