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第7話

「尊瑠、卒業おめでとう。また、学校でね」  玄関で靴を履いていたら、由香子が後ろからやって来た。 「うん、わかった」  立ち上がってつま先を床に打ち付けていると、頭にそっと手が乗った。そのまま、くしゃりと撫でられる。 「今日くらいは病院に寄らず、真っ直ぐ帰ってきてね。心配なのはわかるけど……」  由香子の眉が少しだけ歪んだ。  高校最後の日まで親に心配かけたくない。尊瑠は笑顔を作って見せた。 「帰ってくるよ。じゃ、行ってきます」  思いっきり笑って言ったつもりだけれど母親なんだ、きっとお見通しだったと思う。  ドアを閉めたあと、大和の部屋を見上げる、いつものくせ。  少しでも気配がしたら隠れてしまうのに、つい、見てしまう。  流星群を一緒に見たあの夜以来、大和とまともに会っていない。  卒業やニューヨーク行きの準備できっと忙しい。そう、自分に言い訳して逃げていた。  それに、自分も……それどころじゃなかった。  昔から必要なときは窓越しで済ませ、わざわざ連絡を取り合う習慣はお互いなかった。そのせいもある。でも、これも言い訳だ。  家に帰って来たタイミングで何度か顔を合わせた。そのときも窓で話せないかと言ってくれたけれど、全部、適当な言い訳で断った。  ニューヨーク行きの話を聞きたくなかったのと、光詞の顔がチラついたからだ。  光詞は気づいている。自分が大和に向けている気持ちを。  それなのに、今、苦しんでいる光詞を放って大和に会うことはできなかった。  大和の家に背を向け、駅までの道のりを歩いていると、昨日降った雪が道に残っていた。  朝日を浴びて輝いている雪とは反対に、建物の影に見えたのは、土のついた雪。  汚れて固く凍ったまま、日陰にひっそり残る雪は自分のようで、思わず目を背けた。  自分が教室に行ったせいで、光詞はあんな怪我をした。  あの日から一度も登校できず、光詞は病院のベッドで卒業を迎える。それなのに、自分だけが学校に行って、志望大学にも合格してしまった。  昨日、光詞に会いに行ったとき、白いベッドから『おめでとう』と言われた。  重く、心にのしかかる声だった。  卒業式が始まり、厳かな雰囲気の中で卒業証書授与が進んでいく。  順番に名前が呼ばれ、光詞のクラスの番になったとき、光詞の名前が飛ばされた。  その瞬間、思わず目を固く閉じて唇を噛んだ。  淡々と進んでいく高校最後の日。けれど、会場の中に光詞だけがいない。心にぽっかりと穴が空いて、友達の会話も笑顔も全部そこから落ちていく。  由香子が帰ったあと、打ち上げに誘われたけれど、適当な言い訳で断った。  門を出る前、徳元と目が合ったけれど、自分の世界に徳元という人間はもう、いない。  遠くに聞こえる、ざわめきを背に、尊瑠は空を見上げながら駅に向かった。 「桜、まだ咲いてない……な」  春の匂いを含んだ風で揺れる葉の下を、一人分の足音をさせて歩く。  式が終わってから何回か、ポケットの中でスマホが震えていたけれど、底に沈めたままにしていた。  靴底を引きずるように歩いていると、ポケットから長い振動が布越しに伝わってきた。  スマホを取り出すと、光詞からだった。  小さく深呼吸をして通話ボタンを押す。 『よお、式、終わったんだろ。なら、いつもより早く来れるよな』  断れない。そう思った瞬間、由香子の言葉がよぎる。 『あ、うん。行くよ……』 『なんだよ、嫌なのか!』  一瞬、迷ってできた空白が光詞を苛立たせる。 『ち、違う。そんなんじゃ──』 『じゃ、今から来い!』 『でも、まだ面会時間じゃ……』 『別にいい。俺が中庭まで出る』 『でも、寒いよ。光詞、寒がりだし、風邪でもひいたら──』 『俺がいいって言ってんだろ! いいから来い。な、来てくれよ……』  命令のあとに、甘える声になる。入院してから光詞が身につけた『くせ』だ。 「わかった。行く──って、切れたか」  駅はもう見えている。なのに、足は動かない。微かに聞こえる踏切の警報音が、さっきの光詞の声と重なる。 「行かないと……」  地面から足を引き剥がすように、一歩を踏み出した。  歩きながら大和のことを考えていた。  光詞との電話のあとなのに、自分はなんて薄情なんだろう。  それでもどうしても想像してしまう。  式が終わって友達と別れを惜しむ姿や、女子から写真をせがまれて照れる顔。全部、自分の妄想なのに、心臓が握りつぶされるように痛む。  高校の三年間、大和はどんな風に学校で過ごしたんだろう。  夢を叶えるために、どれだけシャッターを切ったのか。何度、大切な人をファインダー越しに見つめたんだろう。  自分を追い詰めるだけなのに、どうしても大和の隣にいる誰かを考えてしまう。  でも、それを許さないというように、道路に倒れた光詞で上書きされる。  ……大和に会いたい。自分にだけ笑いかけて欲しい。  叶わないとわかっていても、顔が見たい。  どれだけゆっくり歩いても、病院には着いてしまう。  中庭で待つ車椅子姿の光詞に会って、彼が満足するまでそばにいる。  何を話すわけでもなく、時間を刻々と拘束され続ける。事故に遭った日からの自分の日常だった。  ようやく解放されて家に着いた途端、由香子が慌てた様子で玄関に走って来た。 「尊瑠! こんな時間までどこ行ってたの? 何度も連絡したのに!」  光詞といる間はスマホの電源を切る約束だから、入れずにそのままだった。 「ごめ──」 「大和君、今日の夜の便でニューヨークに行っちゃうのよ。智代が出発前に寄ってくれたのに、あなた帰って来ないんだもん。ねえ、もしかして病院に行って──」 「きょ、今日! ほ、ほんとに!」 「そうよ。大和君から聞いてないの? てっきり本人から聞いて知ってると思ってたのに。ねえ、あなたたち本当にどうしちゃったのよ。あんなに仲よかったのに」  由香子の腕を掴んだ。 「母さん! く、空港って羽田だよな! 飛行機って何時!」 「え、えっと、確か十九時四十五分だったかしら……」  家から東京駅まで一時間くらい。そこから羽田空港までうまくバスに乗れても五十分はかかる。もうすぐ十六時だからギリギリ間に合う。  頭の中で必死に組み立てると、もうドアの取手に手をかけていた。 「もしかして今から行くの? それなら車を出すけど、間に合わないかもしれないわよ」 「いいっ、ありがとっ!」  行ってくる、の声と同時に家を飛び出し、軒下に止めてある自転車に跨った。  全速力で漕ぎながら、頭の中で何度も自分を罵った。  一漕ぎごとに、何やってるんだと頭の中で叫ぶ。  馬鹿だ……何でちゃんと大和の話を聞かなかったんだ。  流星群を一緒に見た日から、大和は何か話したそうだった。  勝手に後ろ向きなことばかり考えて、大和の言葉を聞きたくなくて、あの場から逃げ出した。それからは光詞のことで頭がいっぱいになった。  ……いや、違う。  光詞のせいにするな。現実を知るのが怖くて何度も逃げた自分が悪い。  今日、見送りに行かないと後悔する。今日、大和を笑顔で見送らないと前に進めない。  駅に着いて自転車を止めると、一直線に改札へ向かった。運よく東京駅方面の電車が到着し、飛び乗ると駅に着くまで必死で祈った。  神様、どうか最後に一目だけでも大和に会わせてください。  言えなかった思いをちゃんと伝えさせてください。お願い、お願いします。  駅に到着してバスを待つ間も、バスに乗ってからも、心臓の速度は落ちない。  空港までは、出発ロビーに直行できるリムジンバスに乗った。ここまでは順調だった。  あとはバスが予定の時間に到着さえすれば、間に合う。  両手を組み、眉間を押さえつけて固く目を閉じていると、さっきまで体に感じていた速度が遅くなる。窓から外を見ると、隣を走る車のスピードが落ちている。  通路に身を乗り出して前方を見ると、前の車もノロノロ運転をしていた。  渋滞……  心臓が一瞬、止まった気がした。冷や汗がうなじを滑って背中へと落ちていく。  時間を見ると、もう、十九時の少し前。  あと、一時間もない……  尊瑠の期待を裏切るよう、渋滞は空港近くまで続いた。  運転手に睨まれながらも、停車を待ちきれずドアの前へ移動し、バスの扉が開いた瞬間に飛び降りた。  保安検査場を見つけると、転げるように駆け込んだ。けれど、そこには誰もいない。 「もう、会えない……」  崩れそうな思いで周りを見渡していると、清掃道具のワゴンを押すスタッフを見つけた。 「あの、すいません。そこから見送れなかったら、どこに行ったら会えますか」  震える指先で保安検査場を指すと、スタッフが困ったような笑顔になる。 「お見送りの方はここまでなんです」 「本当にここまでですか! 他に見送れる場所ってありませんか」  大声に周りの視線を感じる。けれど今はそれどころじゃない。するとスタッフが、尊瑠の後方にある吹き抜けを指差した。 「あのエレベーターで六階まで行くと展望デッキがあって、飛行機なら見えます」 「そこって、滑走路を見る場所ですよね。乗った人は見えないですよね……」  わかりきっていることを泣きそうな声で聞いた。 「航空機の離着陸を間近で見ることができるんです」  見送りは出来ない──彼の言葉はそう言っているように聞こえた。  尊瑠はスタッフに礼を言うと、エレベーターに乗り込んだ。  スマホを取り出し、画面の数字に目の奥が熱くなる。  離陸の時間だった……  六階に着くと、扉が開いた途端、冷たい空気が尊瑠を包む。  空はすっかり藍色に染まり、展望デッキの床には星を散りばめたようにLEDライトが瞬いていた。  春といってもまだ夜は冷える。そのせいか、人はまばらにしかいない。  駐機場に目を向けると、ブリキのおもちゃのように飛行機が並んでいた。  まだ、間に合うかもしれない。  そう思った瞬間、自分でそれを否定した。  尊瑠はゆっくりフェンスに近づくと、縋るように手すりを掴んだ。  目を凝らし、機体を一つひとつ目で追っていくと、一機の飛行機に視線が止まった。  手すりを握る手に力がこもり、見慣れた航空会社のロゴを食い入るように見つめた。  本当に大和が乗っているのか、まだ信じたくない自分がいる。  手すりを持つ手に力を込め、窓の向こうを探した。見つめる景色の輪郭が歪んで……滲む。  立っていられず、尊瑠はデッキに膝をついた。  フェンスに縋るよう、うなだれると、大和の笑った顔や、怒った顔が次々と浮かぶ。  虫が嫌いで逃げ回る大和。鼻を摘んで牛乳を飲む姿をからかうと、ちょっと拗ねて、でもすぐ肩を組んだ。喧嘩をしても、気づけばまた隣にいた。  そんな当たり前が、ずっと続くと思っていた。  数えきれない思い出があふれて、息ができない。  鳴り響く無機質な音に、体が強張った。夜を揺らしながら機体が動きだす。  轟音(ごうおん)とともに浮き上がり、鉄の塊が大和を遠いところへ連れていってしまう。 「やまと……」  堪えきれず、名前がこぼれた。 「やまと、やまとぉーっ! 俺、お前が、好きだっ──!」  心の奥に隠していた想いを叫んだ。 「ずっと、ずっと好きだったっ」  行かないでくれ──その言葉を叫んだときには、もう遅かった。  飛行機は遥か上空を飛び、日本から遠ざかっていく。 「大和っ、大和、やまと……大和……」  何度も何度も名前を呼んだ。けれど、もう、届かない……  手すりから手が離れ、ぽとりと床へ落ちた。一緒に涙も落下する。  力が抜けたまま、その場にへたり込んで空を見上げた。  飛行機のライトが点になって消えるまで、尊瑠はずっと空を見上げていた。

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