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第12話

「尊瑠、今晩って何が食べたい?」  由香子がエコバッグを片手に聞いてきた。  久しぶりに息子が帰って来たからか、母親業を張り切ってくれている。  冬休みで実家に戻っていた尊瑠は、ソファから背中を浮かすと、鼻歌を歌う横顔を見た。  スマホで『色覚異常』と検索した画面を伏せ、うーん、と唸って考えてみる。  夏休みに大和と会って以来、食欲がわかない。実家に帰って母親の手料理でも食べればと帰ってきたものの、自分の胃袋はずっと仕事をサボっている。 「……煮物とか魚がいいかな。自分じゃ作れないやつ」  食べたくないと言えばきっと心配する。和食なら平気かもと、リクエストした。 「了解。でも二年生くらいよね、ゆっくりできるのって。三年生になったらすぐ就活の準備でしょ? 最近はどんどん早くなってるみたいだし」 「嫌なこと言わないでよ。せっかくまったりしようと思っているのに」  わざと不貞腐れた顔で言った。沼地に浸かったような気持ちを隠すには、こんなことしか思いつかない。  自室に行こうと立ち上がったとき、「あっ」と由香子が叫んだ。  階段の一段目に足を乗せたまま振り返ると、由香子が引き出しを開けながら、もう片方の手で尊瑠に手招きしてくる。  エコバッグを小脇に挟み、「確かここに入れたはず〜」と、歌うように呟いている。 「あった、あった」  引き出しから取り出した白い封筒を、尊瑠に差し出してくる。 「何、これ」  宛名のない封筒を受け取りながら聞くと、由香子が腰に手を当てて胸を張った。 「いいから、中を見て」 「何だよ、懸賞でも当たった?」  封筒を開け、指を入れかけたとき、 「それ、大和君から預かったの」と、由香子が静かに言った。ぴたりと指が止まった。 「や……まと?」  名前を口にした途端、歩道橋の夕暮れがよみがえった。  大和が文彌の話を嬉しそうに語ったこと。個展の話し。そして、自分が口走ったあの言葉。それが万華鏡のように、頭の中でくるくると回っている。 「一ヶ月くらい前だったかな、仕事から帰って来たら、ちょうど大和君がうちに来ようとしてて、尊瑠に渡してほしいって預かったの」 「……大和、日本に戻ってたんだ」  知らなかった。でも、それは仕方ない。  あんな別れ方したんだ。きっと、呆れてる。  それに大和からメール一本もなかった。自分もしなかった。幼馴染の習慣だけが残って、でも今は、大和の中でその枠からも自分は消えたかもしれない。  封筒の蓋に指をかけたまま何も言えずにいると、小さなため息が聞こえてきた。 「個展の案内状よ。そこに行って、ちゃんと大和君に会って来なさい」  じゃ、行って来まーすと言い残し、由香子は玄関へ向かった。  含みのある言葉が頭に残って、送り出すこともできないまま、尊瑠は立ち尽くしていた。  駐車場から聞こえるエンジン音ではっとし、ゆっくりと封筒に視線を落とす。  そっと蓋を開け、中から案内状を取り出した。 「きれい……」  素直な感想を口にしていた。  ポストカード仕様になっていた個展の知らせは、濃紺の空に黄金の満月が浮かんでいた。写真からでも澄んだ空気が伝わり、静寂で凛とした世界がそこにあった。  色覚異常の瞳で覗いたファインダー越しの色。それは、どんな世界なんだろう。自分が見る景色と、どんな差があるのだろう。  自分の目には濃紺とイエローがくっきり写っている。文彌にこの色ははどんなふうに写って、どんなふうに風景を切り取っているのだろう。  見てみたい──単純にそう思った。  ソファに腰を下ろしながらスマホに触れ、さっき検索していた続きをスクロールした。  どこかの眼科医の記事に目が留まり、タップする。  白衣姿の男性が、ホワイトボードを前に解説する動画だった。  色覚異常の人と正常な色覚の人が、同じものを見たときの違いを説明している。  画面の中で並べられたトマトは、自分の目には真っ赤に熟して見える。けれど、色覚異常の人が見る映像では、赤はくすんだ黄土色だった。  次の映像を見て、自分の眉が歪んだのがわかった。  マグロや生肉も白黒に近い。こうして映像を見ると、食べたい気持ちがわかない。 「こんな風に見えてるんだ……」  文彌の世界に触れ、大和がそこに惹かれた意味がわかってしまった。  高三の冬、流星群を見た展望台で文彌を一度だけ見た。  背が高い大和と肩を並べる姿はカッコよくて、二人の後ろにいた自分はものすごく、ちっぽけに思えた。 「夜なのにサングラスかけてたのは、色覚補助用だったんだ」  ぽつりとこぼした声が、リビングに波紋を広げた。  敵わない。  同じ男なのに、自分にはないものを文彌はたくさん持っている。  世界の色に負けない心。自分のように逃げない気持ち。きっと他にもたくさんあるはず。大和が彼に惹かれたところが。  それなのに、まだ自分は大和を思うことを諦められない。大和を独り占めしたい。  誰かに──文彌に大和を取られたくない。……なんて、傲慢な気持ちなんだろう。  手のひらを額に当て、頭を床に向けた。  落ちた視線の先に、テーブルに置いていたポストカード目に留まる。そこに書かれてある、日付に自然と目がいった。  個展は今週の金曜から日曜までの三日間。クリスマスの日が最終日だった。

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