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第14話

 カーテンの隙間から日が差し、瞼をくすぐられて尊瑠は目を覚ました。  時計を見ると、もう十時を回っている。  大和と会えると思うと昨夜はなかなか寝付けず、無理やり目を閉じて最初にかける言葉を考えているうちに、いつの間にか眠っていた。  着替えながら大和の部屋を眺めると、昨日と景色は同じでカーテンは閉まっている。  そこにいないと知っていても、つい、見てしまう。小さなころからのくせ。  リビングにいくと由香子は仕事に行ったのか、誰もいない。  ふと、飾り棚を見ると、文彌が撮った写真のポストカードが飾られていた。  だんだんと実感が湧いて、初めて味わう緊張が生まれる。  昼食を軽く済ませると、身支度を済ませて玄関に向かった。  個展は十八時まで。時間はあるけれど、家でじっとしていられなかった。  大和を追いかけて空港まで行った、あのときの二の舞にはなりたくない。  画廊まで電車に乗って、最寄駅で降りた。  一歩一歩、アスファルトを踏みしめながら、大和に会う覚悟を植え付けていく。  初めて大和と出会った幼い日から、あの夏の歩道橋の日までを、足を進めるごとに思い出す。自分のどこを切り取っても、変わらずあるのは、大和を思う気持ち。  歩道を歩いていると、お菓子の家みたいな花屋が目に留まった。  店に立ち寄り、個展のお祝いにと尊瑠は花を選んだ。  花束をそっと抱え、画廊に向かう。地図を見ると、もう近くまで来ていた。それなのに、足は速度が落ちていく。一歩進んでは立ち止まり、それを何度か繰り返していると、行き交う人に怪訝な顔をされた。  視線から逃げるように足を早めたら、心構えが不安定なのに画廊に到着してしまった。  入り口の手前で足を止め、深呼吸をする。  今さら怖気付くな。おめでとうございますと言って花を渡す。そのあと写真を見て感想を言う。そして大和に気持ちを伝えるんだ。  ゆっくり足を前に進めると、クリスマスリースを飾ったウェルカムボードが目に入った。 『浅生文彌が紡ぐ色覚バリアフリーの世界』と、書かれている。  タイトルの意味を噛み締めながら、ガラス張りの会場をそっと覗く。  真っ白な壁に並ぶ写真は、ほとんどが風景だった。  夜空や月を写したものが多く、どれも静かなのに、目を離せなかった。  花束を背中に隠し、上半身だけ傾けていると、背後に人の気配を感じた。  振り返ると、自分より少し年上に見える女性がにっこりと笑っていた。 「どうぞお入りください」  中へ導くよう、小さな手が柔らかくギャラリーを指し示す。  慌てて案内状を出すと、よかったらそれはお持ちください、と微笑まれた。  スタッフらしい女性に続いて中に入ると、天井も床も真っ白で写真の夜空が際立っていた。  吸い込まれそうな景色に目を奪われていると、案内してくれた女性と目が合った。 「あ、あの。おめでとうございます。これ、浅生さんに」  おぼつかない手で花束を差し出す。受け取ってくれたのはいいけれど、なぜか彼女は花をじっと見つめていた。  もしかしてアレルギーがあるのかも……よく調べもせず持って来て失敗した。 「す、すいません。俺……」  言いかけた尊瑠の言葉は、ふわりと微笑んだ彼女に溶かされた。  肩までの髪を耳にかけながら、「ありがとう」と、花を抱えたまま目を細めた。  彼女の様子に少し引っかかりを覚えながら、尊瑠は写真を順番に見ていった。  森、海、空。飾られているのは、そんな風景写真がほとんどだった。  それらには、鮮やかさとは別の輪郭があった。色というより、光と影、そして空気の濃度のようなものを際立たせている。  とくに樹木の生い茂る森の写真は、霧を含んだモノトーンが強く印象に残った。まるでその場に立っているかのように、視線が引き込まれる。  最後に展示されていた写真は、案内状と同じ夜空が飾られていた。  ……この写真が一番、好きだな。  眺めていると、奥にもブースがあるのに気づく。  白い壁に仕切られた先に足を踏み込んだ瞬間、息を呑んだ。  小さなスペースの壁いっぱいに飾られていた写真は全て、尊瑠だった。  ニャングリーンのTシャツ姿でアイスを食べている尊瑠。  ランドセルを背負った尊瑠。運動会のリレーで転けて涙を我慢している尊瑠。  中学の入学式、夏服、文化祭。そして卒業証書を手にした半泣きの顔。  大和と出会ってからの自分が、年齢を重ねるごとに写真も少しずつ大きくなって、そこにあった。  詰襟の写真の横を見て、耐えきれず涙がこぼれた。  高三の冬。展望台で流星群を見上げていた横顔の自分。あのとき星を見ていたら、シャッターの音がして勝手に撮るなって怒った。  そんな自分を、こんな風に切り取ってくれていたなんて。  ゆっくり写真を追っていくと、次の写真に見覚えのある店内が写っていた。  棚にぎっしり詰まった背表紙の列。特設コーナーのラティス。ポップが外された格子の一角に、自分の横顔が収められていた。  ラティスの縁に蔦や花が添えられ、セピア色の写真は古い絵画のような構図になっていた。  ……これ、バイト先に大和が突然来たときの。  夏の夕暮れに降ったスコールのような雨。あのときのことは、今でもはっきり覚えている。  新刊を並べていたとき感じた視線。振り返ったとき目に飛び込んできた大和。  雨で濡れた髪の雫まで、自分の中に焼き付いている。  滲む瞳を横に向けると、もう、だめだった。  オレンジ色の空を歩道橋から眺めていた。あのときの自分がそこにいた。  ……いつの間に撮ってたんだよ。大和。  大和が会いにきてくれた夏。でもあれは、文彌の個展のためだと思っていた。自分は、そのついでなのだと。  だから逃げた。なのに手首を掴まれて、気持ちがあふれた。口にしたら大和を失うかもしれないのに、言ってしまった。  あの言葉は一方通行じゃなかった?   大和は、どんな思いで自分をファインダー越しに見ていた?  確かめたいことが涙と一緒にあふれて、止まらない。  一緒に過ごした思い出と今日までの隙間に、欠けた気持ちがこぼれていく。その思いがこの写真に詰まっていた。  息をひそめて泣いていると、背中に人の気配がした。  大和──そう思って振り返ると、見覚えのある赤いサングラスの男性と目が合った。 「全部、いい写真だろ」  文彌が花束を手に立っていた。横にはさっき案内してくれた女性が寄り添っている。  慌てて目を擦り、涙を拭う。女性がそっとハンカチを差し出してくれた。 「尊瑠君だろ? 久しぶりだね」 「えっと、文彌……さん?」  鼻声で呟くと、「そうそう」と、文彌が笑っていた。 「来てくれてありがとう。それと花束もさんきゅ。俺の目を気遣って選んでくれたなんて、さすが大和の幼馴染だな」  オレンジのガーベラと青いリンドウの花束を、文彌が大切そうに見つめている。 「お、おめでとう、ございます……」  鼻を啜りながら言うと、文彌の視線が飾られた自分の写真たちに移った。 「スペース狭いけど、大和の写真も展示すればって言ったんだ。そしたら、あいつ目を輝かせて人物でもいいかって」  歩道橋の写真の前に文彌が立つと、 「これ、いい写真だよな。尊瑠君の顔が泣きそうで、でも笑ってるようにも見えて。それが切なくて。見てて胸がぎゅってなった」  自分の胸元を押さえながら文彌が言うと、横にいた女性が「少女漫画みたい」と笑って、文彌の真似して胸を掴んでいる。   「あの、大和は……」  ギャラリー内を見渡しながら尋ねると、文彌が眉間にしわを寄せ、難しい顔をした。 「……残念だったよ」  文彌がぽつりと呟く。尊瑠は、瞬きを一度してから文彌を見つめた。 「さっきまで大和いたんだけど。もう、出発したかもしれないな……」  言われたことの意味がわからなかった。  尊瑠がもう一度瞬きすると、今度は深いため息を文彌が吐いた。 「あ、あの……どう言うことですか」  自分で聞いたくせに、返ってくる言葉が怖い。 「あいつ、ちょっと前にここを出たんだ。こっから近いホテルに荷物置いてるから、荷造りもあるし、早めにホテルに戻ってから出発したいって」  出発──大和が、また行ってしまう? 「出発ってどういうことですか! どこのホテルですかっ!」  思わず文彌の腕を掴んだ。来場していた人の視線を感じても、なりふりなんてかまってられない。  尊瑠の手をそっと外すと、文彌がアンケート用紙を一枚手にし、それを裏返した。白紙の面にペンを走らせている。 「はい、これ」  文彌が用紙を差し出す。こわばった指先で受け取ると、ホテルの名前と部屋番号が書かれていた。 「そこに大和は泊まってる。けど、もう行っちまったかも──」 「あ、ありがとうございます!」  勢いよく頭を下げると、外に飛び出した。  通りに出てスマホにホテル名を入れ、出てきた地図を頼りに尊瑠は走った。  また、間に合わないなんて嫌だ。  今度こそ大和に絶対、会うんだ。

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