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第9話 二人きりの保健室

 最っ悪だ。  俺はこのまま狸寝入りを決め込むことにした。  同じコート内にはいなかったが、こいつもあのとき体育館にいたことは確かで。  あんな醜態を晒してしまって顔を合わせられるわけがなかった。 (俺は寝てんだよ。早くどっか行けー!)  しばらく無言のときが流れて、あいつの小さな吐息が聞こえた。 「鳶田に聞いたよ。君が睡眠時間を削ってまで勉強してるって」 (鳶田の奴、余計なことを……)  というか、なぜこいつだけ残して行ってしまったのか。  あとで会ったら絶対に文句言ってやると、先ほどまでいたはずの友人に毒づいていると。 「無理させたかったわけじゃないんだ。ただ、ああ言えば君が僕を見てくれるってわかってたから」 (はぁ?)  寝たふりをしながら思わず顔が怒りに引きつってしまった。  『わかってた』ってなんだ。人を単純バカのように言いやがって。  寝たふりをやめて怒鳴ってやろうかとシーツの中で拳を震わせていると、奴はぽつりと呟くように言った。 「……やっぱり、言うんじゃなかったかな」  その声が明らかに落ち込んでいて、俺は一先ず拳を緩め続きを聞くことにした。 「でも、あのとき君がまた僕の背中を押してくれて、あの頃に戻れたみたいで、すごく嬉しかったんだ」 (俺が、背中を押した?)  体育祭のときのことだろうか。  しかし、『また』とは……?  以前にあいつの背中を押したことなどあっただろうか。  全く覚えがなくて頭に疑問符が浮かぶ。  ぎしっとベッドの足元が揺れて三鷹が立ち上がるのがわかった。  やっと行ってくれるのかとほっとしかけた、そのときだ。 (……!?)  後ろ髪に感触を覚えて、ぎくりと全身が強張った。  続けて数回、まるで壊れモノを扱うように優しく撫でられて息が詰まる。 「これ以上寝たふりを続けるなら、キスするよ」 「どぅあぁーーー!?」  耳元で囁かれ自分でも意味不明な叫び声を上げながら俺は跳ね起きた。  ベッドに身を乗り出していた三鷹がそんな俺を見て目を丸くしていて、それからくすくすと可笑しそうに笑った。 「良かった。思ったより元気そうで」 「お前、なぁ……っ」 「軽い熱中症だって。そこのスポーツドリンクちゃんと飲んで。あとメガネ」 「え」  奴が指差した方を見ると、ベッド横の棚の上にペットボトルと俺のメガネが置いてあった。 「レンズに問題はないみたいだけど鼻のとこ大分曲がっちゃってるから、お店で直してもらった方がいいかもね」  そう続けて奴は今度こそ立ち上がった。 「これから午後の授業だけど、もう少し休んでなよ」 「や、出るに決まってるだろ」  こんなことでテスト直前の授業を欠席なんて出来ない。  出題のヒントがいつ出るかわからないのだ。 「授業内容なら鳶田が教えてくれるよ」 「いや、」 「僕は、体調崩してる相手と勝負なんてするつもりないから」  鋭く言われてぐっと言葉に詰まると、奴はお得意のイケメンスマイルを見せた。 「お互い、万全の体勢で臨もう」 「……っ」  何も返せずにただ睨んでいると、奴は背中を向けてカーテンを捲った。 「――そうだ。無理をさせてしまったお詫びと言ってはなんだけど、もし君が勝ったら君のことはきっぱりと諦めることにするよ」 「は?」  ぽかんと口を開けた俺を残して、三鷹はそのまま保健室から出ていってしまった。 (……諦める?)  俺のことを諦めるということは、もう俺に好きとか言ってこなくなるということか。 (いいじゃねーか。絶対に勝ってすっぱり諦めてもらおうじゃねーの)  ぐっと拳を握って、なのになんだか胃の辺りがもやりとして、そういえば水分を摂らなければと俺は棚の上のペットボトルを手に取った。 (あいつが買ってくれたのか?)  だとしたら借りを作ってしまったと苦い思いでキャップを開ける。  と、そのときガラリと再びドアが開く音がした。 (誰だ? 先生? まさかまたあいつじゃ) 「お、目が覚めたか」  カーテンからひょっこりと顔を覗かせたのは鳶田だった。 「お前! なにあいつと俺を二人きりにしてんだよ!」 「仕方ねーだろ、先生はお前看てちょっと用事あるからって出てっちまうし、三鷹の奴がふたりで話したいっていうから。――あ、ひょっとして何かされちゃった?」 「されてねーよ!」  思わず声がひっくり返ってしまった。  いや、断じて何もされてない。  髪に触れられてキスするよとかなんとか言われはしたが、されてはいない! 「うわ、あっやしい~」 「あやしくねーし! それよりお前、あいつに色々ベラベラ喋ったな!?」 「あー……だってよ、お前が日に日に酷い顔になってくの見てんの嫌だったし」 「はぁ?」 「というか、倒れても知らねーぞって俺言ったよな? マジで倒れやがって」 「うっ」  半眼で低く言われて俺は結局また言葉に詰まってしまった。  そして溜息を吐きながら頭を下げた。 「心配かけて悪かった。今日からちゃんと寝る」 「ん。そうしてくれ。でないと、また姫扱いされんぞ」 「姫?」  首を傾げて俺は手に持ったままだったスポドリを飲みはじめる。  さすがに喉が渇いていたようで、全身に水分が浸透していく感じがした。  と、鳶田がなぜか憐れむような目で俺を見ていることに気づく。 「あぁ、覚えてないのか」 「?」 「お前、三鷹に姫抱きされたんだぞ」 「ぶふーーっ!」  思いっきりスポドリを吹いてしまった。 「げほ、ごほっ……は、はぁあ!?」  むせる俺に追い打ちをかけるように鳶田は続けた。 「いやー、三鷹の奴まさに王子様だったわ。こりゃ鷹雀に軍配が上がったなと俺は思ったね」  またよくわからない単語を使って鳶田がひとりうんうんと頷いている中、俺はあいつに姫抱きされている自分を想像して怒りに身体を震わせていた。 (あーいーつーーーっ!)  ――3日後のテスト、なんとしても絶対に俺が勝つ!!  こうして、俺は決意を新たにしたのだった。  

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