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プロローグ
プロローグ
水族館の大水槽の前は、平日ということもあって人はまばらだった。
仄暗い館内は、青い光に包まれている。
大水槽前のシートスペースに座ると、優雅に泳ぐ魚たちをゆったりと眺めることができ、まるで海の中にいるような非日常感が味わえる。
そこに座る熊井蘭太(クマイランタ)の隣では、恋人のレオニアがピッタリとくっついて、眠っていた。
デートも一つの非日常体験ではあるが、熊井とレオニアにはもうとっくに日常になっている。
レオニアの呼吸は一定で、規則正しくスースーと寝息が聞こえ、熊井は安心する。
レオニアの穏やかな寝顔は、時折前を歩く人の目を奪うようで、先程からギョッとした顔をする人に、熊井は会釈を返していた。
細身とはいえ180cmのレオニアと、190cmで大柄な体格の熊井が寄り添っていれば、それは目立つだろう。
熊井は、レオニアに変装用だと被らされた帽子をより深く被る。
名物教師としてメディアに取り上げられ、タレントのようになってしまったが、今はプライベートな時間を邪魔されたくない。
レオニアは綺麗だ。
フランス人のハーフだから目をひくというのもあるが、この子の心根が、オーラのように滲み出ているのだと思う。
まっすぐで、無邪気で、一生懸命。
熊井は、高校時代のレオニアを思い出し、想いにふけった。
物理教師だった熊井の授業を、レオニアはいつも笑いながら聞いていた。
その笑い声に、発作を起こさないかと不安になっていたものだ。
熊井としては笑いを取るつもりなど微塵もないというのに、レオニアは他の生徒と共に、いつも楽しそうだった。
好きだと言われ、初めて熊井もレオニアが好きなのだと気づいた。
何度も発作を起こすレオニアを保健室へ連れて行き、情が湧いた、その程度では片付けられない気持ちなのだと。
しかし、生徒に手を出すわけにはいかない。
小さく芽生えた気持ちに蓋をして、熊井は可愛い女子がたくさんいるだろと笑い飛ばした。
レオニアは何人かの女子と付き合ったらしい。
そしていずれもあまり長くは続かなかったようだ。
生徒達の噂を聞きながら、熊井は内心ホッとしていた。
卒業式に、もう一度好きだと、もう生徒じゃなくなるからと言われた。
真剣なレオニアの顔が可愛くて、抱きしめたくなったが、自分に縛り付けてはレオニアの為にならないだろうと、熊井は自制した。
「もっと広い世界を見て、大人になれ」
25歳そこそこの男が、人生の先輩風を吹かせて言っていた。
病弱なレオニアに、広い世界も大人になる時間も、あるかなんてわからないのに。
その時のレオニアは、悔しそうな顔をしていたが、泣くことはなかった。
強い子だなと、ヒヨった自分を情けなく思った。
今もまだ、若さのままに愛してやれば良かったと後悔をする時がある。
でも、その7年後にレオニアと熊井は偶然再開する。
レオニアが立ち上げた会社の新店舗オープンの日、たまたまその店が入っているショッピングモールに熊井が来ていたのだ。
レオニアを見つけた瞬間、やっぱり好きだと思った。
レオニアは、熊井が卒業式に彼をフッた時と同じ年齢のはずだ。
でも、全く違った。
綺麗で、生き生きとしていて、持病があるなんて思えない、若々しく格好良い大人だった。
「せんせ、僕、もう25歳になりました」
その一言に熊井は負けた。
8つも年上の自分が急に子供に思えて、素直にレオニアが好きだと認めたのだ。
「ねぇ、くませんせ、見て?」
「なんだ、起きてたのか」
「うん。今起きた」
熊井に体を預けたまま、レオニアは大水槽を指差す。
その先には、大きなマンタが泳いでいた。
マンタの身体には、コバンザメが一匹くっついている。
「仲良しだね。ずっと一緒にくっついて泳いでる」
寝ぼけ眼のレオニアは甘い滑舌で、のんびりと話す。
「あれは、仲が良いというか、共生だ」
「共生?」
「互いに利益があるからくっついているんだ」
「ふーん、仲良しなんだ」
「……そうだな」
勉強の成績は悪くなかったが、レオニアはこういう解釈をする。
穏やかで優しい頭の中で、何かを思い出したのだろう、レオニアの寝ぼけた顔が、ハッとした。
「あのね、お正月にシンシアが成瀬くんの実家に行ったんだ。その時のお爺さんの話を聞いたんだけど……」
獣人の良吉と、その獣化を抑える力を持つ人、仙吉の話を、レオニアはマンタとコバンザメに例えた。
死別してもずっと一緒なのだと。
どんなに辛くても、ずっとそばにいたいと願ったのだろうと。
そして、死にゆく獣人は、後世に平穏を残したかったのだろうと。
「素敵な話でしょ?僕の抑制剤もきっとその人のおかげなんだよ」
「そうだな」
熊井の地元にも、人と獣人のつながりを語る伝承のようなものがある。
番と呼ばれていたそれを思い出し、熊井はふとレオニアを見た。
もしかしたら、自分たちもそうなのかもしれない。
それならば、レオニアには酷なことをしていたと、熊井は思う。
何も言わずに、レオニアの金髪を撫でたら、レオニアがその手に擦り寄ってきた。
そして、急に元気に目を輝かせて言う。
「ねぇ、くませんせ、イルカショーの時間じゃない?」
「ん?そろそろか」
「そうだよ、行こう『シャイニングスプラッシュ』だって楽しそう!」
スクっと立ち上がり歩き出したレオニアは、走り出しそうな勢いだ。
「おい待て、まだ始まらないからゆっくり歩け」
「待てないよ。せんせ、早くきて」
「わかったから、あ、濡れる席にはいかないからな!」
え~っと、不満そうな声がするが、風邪をひかすわけにはいかない。
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