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第3話 成瀬の営業

 今日も高瀬の商談は順調に進み、契約書を持って営業所に帰ってきた。  その後ろを、成瀬が多少疲れた顔をしてついてくる。 「戻りました」 「戻りました……」 「おかえり。商談成立みたいだね。そしたら、後の事務手続きも成瀬くんに教えてあげてよ」 「はい」  神谷に報告をして、高瀬は成瀬を自分のデスクに連れていく。  成瀬はメモの準備をするが、すでに頭の中はキャパオーバーなようで、湯気でも出しそうなほど視線が彷徨っていた。 「成瀬?一回休憩するか?」 「は、はい。大丈夫です」 「いや、一息入れよう。その方が効率いいだろ」 「すいません……」  高瀬に言われ、成瀬は外の空気を吸いに駐車場へと出た。  高瀬の商談には、以前にもついて行った事があるが、その時はただ、高瀬がすごいとしか思わなかった。  今日は、宅健にも受かって、神谷から直々に勉強しておいでと言われたから気合いが入っていたのだが、全く話についていけなかった。  そもそも、全てが英語だったせいもある。  成瀬だってそこそこ英語は勉強してきているし、雰囲気でなんの話をしているのかはわかった。  しかし、全ては把握できない。  気付いたら、高瀬が商談相手と握手をしていたのだ。慌てて自分にも伸ばされた手を握って笑顔を作った。 「シンさんみたいにはどうやってもなれないよ……」  神谷が高瀬について行かせた理由すら分からず、成瀬は駐車場の縁石に座ってため息をつく。  そこに三浦が営業車で帰ってきた。  新しい物件の下見に行っていたようだ。 「どうしたナル、サボりか?」  ケラケラと笑いながら、三浦は帰社報告に建物に入って行く。  成瀬は苦笑を返しつつ、空を見上げる。  プライベートでは高瀬との距離も一層縮まって、社会人二年目の春は順風満帆だと思っていたのに、去年の今頃と全く同じようなことで悩んでしまっている。 「成瀬、続きはできそうか?」  三浦がオフィスで成瀬の話をしたのだろうか、高瀬が成瀬を呼びにきた。  家とは違う、苗字での呼びかけに、成瀬は自分の悩みはひとまず置いておき、大きく返事をする。  体育会系の部活で鍛えられた反射の返事だ。  高瀬はとりあえず元気に見せる成瀬の様子に気付き、縁石の隣に腰を下ろした。 「何悩んでんだ。英語が話せないのは別にこれから勉強すればいいだろ。それだって教えてやる」 「いえ……なんていうか……シン……高瀬さんは凄いなって思って。俺は、笑ってただけです……」  二人だけの空間に、ついいつもの呼び方になりかけて、成瀬は高瀬の呼び名を言い直し、胸の内を話す。  高瀬はその言葉に、吹き出した。 「ただ笑っていることが大事なんだ。言葉を理解しようとして難しい顔をしていなかった。それだけでお前の今日の仕事は十分だ」 「そんなの……誰にもできるじゃないですか」 「そうか?お前の笑顔はお前だけだろ?」  クシャリと髪を撫でられ、その手に甘えたくなったが、今は仕事中だと成瀬は顔を上げた。 「俺は、もっと契約が取れるようになりたいです」 「俺を真似たところで契約は取れないぞ。たとえ英語やフランス語が話せてもな」 「……?どういう……」 「成瀬には、成瀬の営業がある。それは、いろんな営業方法を見て見つけ出せ。とりあえず、今は事務作業を完璧に覚えろ」 「…………はい……」  成瀬は納得がいかないと言うよりは、わからないといった様子で、とりあえず返事をした。  高瀬はニコリと笑うと、早く来いと建物に入っていく。  デスクに戻れば、神谷がニヤニヤとした表情で見つめてくる。  サボっていたわけではないが、成瀬はなんとなく居心地の悪い思いをした。  成瀬と高瀬の家の最寄駅は、小さいが昔ながらの商店街が残っている。  改札を降りれば、肉屋のコロッケの匂いや、魚屋の塩焼きの匂いが漂ってくる。 「ケン、腹減ったな。何か買って帰るか?」 「あ……そうですね……」  一緒に営業所を出て、一緒に電車に乗り、一緒に改札を降りた。  ここまでくれば、上司と部下ではなく、恋人同士の関係にスイッチが切り替わる。  しかし、今日の成瀬はまだ仕事モードのようだ。 「どうした、まだ気にしてるのか?」 「いえ、俺もビジネス英語できるようになりたいなって」 「だから、それが重要なんじゃないって言っただろ?」 「そうですか?話せたらやっぱりスキルとしていいじゃないですか」 「ま、今はそれで良いか」  高瀬はニコリと笑って見せると、クンクンと鼻を鳴らして、商店街の店を見る。 「それよりケン、今日は肉の気分だ。味噌汁作ってくれるか?」 「もう、人が真剣に悩んでるのに」  高瀬の様子に、成瀬も仕事からスイッチを切り替え、肉屋に向かって歩き出した。 「おっ、にいちゃん達今帰りか。今日はどうする?豚が安いよ!」  肉屋のおじちゃんは、すっかりと常連になった高瀬と成瀬のペアを見つけ、今日の目玉の薄切りの豚肩ロースを勧めてきた。 「生姜焼きにしようかな。シンさんどう?」 「あぁ……」  成瀬の提案を肯定をするが、高瀬の視線はステーキ用の牛肉に向いていた。 「お祝いでもないのに牛肉ですか?」 「祝い事がないと食べたらダメなのか?」 「うちの実家ではそうでした」 「……じゃあ、豚にするか」  高瀬は成瀬の実家の暖かさを思い出し、腕に付いている仙吉から貰った腕輪の重さを感じて、大人しく今日の目玉商品で妥協した。 「じゃあ、豚肩ロースを200gください」 「200で足りるのかい?」 「……やっぱり300……400gにしようかな……多すぎるかな」 「そうしておけ、どうせケンは食べるだろ」 「じゃあ、400ください」 「まいど!食べ盛りの高校生みたいだな!」  肉屋のおじちゃんは笑いながら肉を計量していく。  成瀬は、流石に高校の頃よりは食べる量が減ったと思っていたが、そう言われると変わらないかもしれないとも思う。  こっそりと自分の腹回りを撫で、密かに焦りを感じた。  運動量は減っているし、食べる量を調整しないと危険だ。 「あと、コロッケもください。二つ」 「えっ?!」  追加の注文に驚いて、成瀬は高瀬を見上げた。  高瀬は、食べるだろ?と不思議な顔を向けてくる。  今、自制しなくてはと思ったところなのだ。  しかし、ホカホカのコロッケを渡されて、しっかりと腹は鳴った。  肉屋からマンションに着くまでに、コロッケはしっかりと腹に収まっていた。   「美味かった。おじちゃんのコロッケ最高」 「良かったな」 「シンさんは、いくら食べても太りませんよね」 「そうでもない。最近はあまり食べられなくもなってきた」 「え、大丈夫ですか?」 「ははっ、お前の年頃と比べるとって話だ」 「あ〜、やっぱり年取ると食べる量は減るんですね」 「…………そうだな、年取るとな……」  悪気のない言葉が地味に響き、高瀬はコロッケの入った胃をさする。  時折、胃もたれも感じるようにもなってきた。  改めて、成瀬との年齢差を感じてしまう。  ふぅとため息をつくと、小さく猫の鳴き声がした。  高瀬が立ち止まると、成瀬が不思議そうに振り返る。 「シンさん?」 「猫?この辺りにはいなかった奴だな」 「え?どこですか?」  高瀬が視線を巡らせると、マンションの入り口の植え込みに、光る目を見つけた。  陽もしっかりと沈み、黒い毛色なのだろう、その猫は目だけを光らせて高瀬を見つめている。 「あれだ」 「え、どれですか?」  暗闇で、成瀬には猫を見つけることができない。 「にゃ〜ん」  まるで甘えるような声だけが聞こえ、成瀬は笑う。 「可愛いですね。お腹空いてるのかな?」 「構うな。懐かれたらずっと餌をねだりにくるぞ」 「え、可愛いじゃないですか。満月と仲良く出来るなら別に良いですよ」 「飼う気か?」 「居場所の無い子なら、保護してあげたいです」 「お前は……」  成瀬はそう言うと、おいで〜と暗闇に向かって声をかける。  しかし、黒猫は植え込みの奥へと入っていき、姿が見えなくなった。 「自立している奴みたいだな」 「何か困ったらおいでな〜」  高瀬はオートロックを開け、成瀬に早く入れと声をかける。  カサカサと肉屋の袋の音をさせながら、成瀬は高瀬についていった。  エレベーターで上がり、以前は成瀬の部屋だった扉の前を通り過ぎて、隣の角部屋の扉を開けると、リビングの奥からカサカサとケージの中を動く満月の足音が聞こえた。

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