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第36話 帰る場所
高瀬は怪我の影響で訓練を中止せざるを得なかった。
龍樹は、これまでの成果と研究所の見解を告げた。
「抑制剤は、おそらく臣には効いていない。アレルギーが出なかったのは一つの成果だが、半獣化を抑えたのは薬の力ではない。臣自身の力だ」
その報告は、高瀬にとって一番欲しい結果だった。
抑制剤が無かろうとも、高瀬は満足そうに笑う。
「じゃあ、シンシアはもう帰れるの?」
「あぁ。レオニアの半獣化も見られたからな、研究者たちの興味が出る前に帰ろう。ついでだから僕も一緒に帰る」
「なんで?」
「休暇だ」
レオニアの質問に、龍樹は少し疲れた声で返事をした。
高瀬のいない研究所の仕事はつまらないし、この先ここでは自分が思うような研究はさせてもらえないだろう。
良吉の意思を汲むのなら、別のやり方を探すべきだ。
高瀬は、一緒に帰ると言った龍樹に少し迷惑そうな顔を向ける。
「……別にずらせば良いだろ。理央もいるんだ。研究対象はまだいるだろ」
「理央は研究所に残りませんよ。黒猫と一緒に帰るんです」
成瀬は慌てて理央を庇うように前に立った。
未だ研究所は信用できていないようだ。
成瀬の行動を嬉しく思いながら、理央は黒猫と一緒にベッドの上に丸くなった。
「臣はその足で無事に帰れると思っているのか?折れたばかりだぞ。僕がそばで診ていてやる」
「俺はケンがいれば十分だ」
「いや、シンシア。そこは診てもらいなよ。本当なら少し療養してから帰った方が良いのに、成瀬くんと帰りたいんでしょ?」
「……わかった。新幹線は隣の車両に乗れ」
高瀬は渋々とレオニアの言うことを受け入れる。
龍樹が眼鏡の奥を光らせて、口角を上げるとスマホを取り出した。
「……僕の楽しい車内トークは聞きたくないのか?新しいおもちゃの話もできるぞ」
「おもちゃですか?」
「絶対に聞くな!」
楽しいという単語に反応した成瀬を一言で止めて、高瀬は腕の中に成瀬を抱きしめた。
その様子をレオニアは楽しそうに見て笑っている。
日常が戻ってきた。
熊井へ、明日帰るとメッセージを送って、睨み合う高瀬と龍樹の間に入って行く。
新幹線の車椅子席で、高瀬は小さくなっていた。
隣に座る成瀬の膝の上には、黒猫が入ったキャリーケースが乗っている。
その隣には、成瀬の肩に頭を乗せて黒猫を見つめる理央。
なんとなく不満だが、もうそんな不満は口にしない。
それよりも、後ろからクスクスと聞こえるレオニアの声が煩わしい。
「もう、慣れろ」
「だって、シンシア小さくなってるの可愛い」
「じゃあ、お前が座ればいい」
「僕今日は元気だもん」
普段運ばれる側のレオニアは、立場が逆転していることが楽しいらしい。
龍樹と二人で駅弁の中身も交換して楽しんでいる。
「俺もルナと一緒にキャリーに入ろうかな。ケンチ運んでくれる?」
「やめろよ。重たいし、シンさんの車椅子も押さなきゃならないんだから」
「じゃあ、シンさんの膝の上にキャリー乗せてくれれば良くない?」
「断る」
「え〜ケチ〜」
人間の姿では寝づらいと理央は座席の上で丸まろうとしていた。
成瀬は理央の頭を撫でてやりながら、いつの間にか決まっていた黒猫の名前を呼んでキャリーの中の様子を伺っていた。
「大丈夫だからな。家に着いたら理央と一緒に寝れるから」
不安そうな目をしながらも、ルナはニャアと一言鳴いて喉を鳴らした。
「理央くんはルナと寝るのか?……完全獣化できるということは、そうか、ルナとそういうことも……」
龍樹が新しい発見だと眼鏡を掛け直す。
駅弁の牛たんがレオニアに奪われたが、気にすることなく理央の座席を後ろから覗き込んだ。
「やめてよ。そういうことって何?ほんと、研究所の人ってろくな発想しないよね。変態じゃん」
「理央、正解だ」
「変態でも、それが良いと言ってくれる人はいる」
「何それ、変態カップルじゃん」
「理央、大正解だ」
「シンさん……」
高瀬は気をつけろと付け加えて、理央と龍樹に向かう成瀬の手に自分の手をそっと重ねた。
座席の隙間から誰にも気づかれないように成瀬の指に自分の指を絡める。
成瀬も何も言わず、少し恥ずかしそうにその手を握り返した。
二人の顔は向き合うことはないが、満足そうに笑っている。
レオニアは甘酸っぱい香りにお腹がいっぱいになって、残した駅弁の中身を全て龍樹の弁当へと詰め込んだ。
もうすぐ終点だ。
幸せな気持ちのまま、熊井に会えることに心が躍り出しそうだった。
新幹線のプラットホーム。
入場券だけを買って入るのは初めてかもしれない。
熊井は無事に帰ってくる恋人を待っていた。
「あれ、くまちゃん」
顔を上げればルルがいた。
「久しぶりだな、豪。また綺麗になって」
「やだ、ありがとう。レオニアのお迎え?」
「あぁ、無事に帰ってくるみたいだからな。一番に抱きしめてやりたい」
「そうね。頑張ったみたいだし」
「龍樹も帰ってくるのか?」
「うん。きっと車内で邪険にされてるだろうから、私も抱きしめてあげようかなって」
意外と傷つきやすいのだとルルは龍樹をフォローする。
そんな話の中、新幹線はホームに入ってきた。
あらかじめ聞いていた車両の出口の場所に行けば、車椅子用のスロープが掛けられ、熊井は一瞬ドキリとした。
しかし、ドアが開いた瞬間、さらに焦る。
「せんせっ!」
「「走るなレオニア!」」
数名の声が重なり、熊井の胸の中にレオニアが飛び込んできた。
「会いたかった。愛してるよ。僕、頑張ったんだ」
「あぁ、わかってる。よく頑張ったな。俺も愛してる」
レオニアと熊井の抱擁は、新幹線から降りてくる人達にジロジロと見られているが、二人は気にしていない。
ルルはそんな二人の横を笑いながら通り過ぎると、龍樹に駆け寄った。
そして、強く抱きしめられると、おかえりという言葉を遮られてキスをされている。
「ははっ、みんな激しいですね」
「普通、車椅子優先だろ」
成瀬は高瀬の車椅子を押しながら、それぞれのカップルの愛情表現に苦笑する。
「ケンチ、俺ここから別で帰るよ」
「え、あ、うん。またな」
理央はルナのキャリーケースを抱えて、さっさと階段へ歩いて行った。
龍樹の質問攻めに疲れたようだ。
「あ、理央っ!ありがとな」
成瀬は理央の背中に向かって叫ぶ。
振り向いた理央に、高瀬も手を振った。
理央は黙ったまま片手をあげて、帰っていく。
レオニアも理央の背中を見送ると、熊井の腕に自分の腕を絡ませて、高瀬と成瀬のところへやってきた。
「シンシア、僕もせんせと帰るね。もう大丈夫でしょ」
「あぁ」
「臣、自信がついたか?良い顔になったな。でも、あまり無理はするなよ」
熊井は高瀬の頭に手を置いてニコリと笑う。
高瀬はいつもよりも大きく見える熊井に、頷いて成瀬の手を握った。
「はい。もう大丈夫です」
成瀬は笑いながらその手を握り、熊井の顔を見て、ネットニュースの顔と繋がった。
「えっ、あっ、えっ?」
「あぁ、公園で会ったな。臣の恋人だったか……。なら学生じゃなかったな、悪かった」
熊井は成瀬の頭にも手を置くと、今度実験をしようと明るく笑った。
その言葉にレオニアも賛成するが、高瀬は渋い顔をする。
「実験って……」
「やらなくていい」
「まぁ、君も無理はするな。それじゃ、またな」
熊井とレオニアの背中に、成瀬はとりあえず頭を下げながら、情報を整理していた。
ふと見れば、熊井の背中にはレオニアの体が乗っていた。
「レオニアさん、無理してたんですかね」
「あれはただ甘えてるだけだ」
「そうなんだ、仲良いですね。ルルさんたちはまだキスしてますけど……」
「もう帰るぞ」
高瀬は呆れた声で言うと、車椅子を自分で動かし始める。
成瀬は慌ててその後ろをついて行った。
高瀬の耳には、黒く光るピアスが揺れている。
まだジンとする感覚が、高瀬には嬉しかった。
揺れるフープを見つめる成瀬も、少し心配しながらも幸せを感じていた。
都会の風はもう暑い。
湿っぽい風の中でずっと抱えていた悩みは、もう忘れてしまった。
爽やかに晴れた空と同じくらい、二人の心も晴れている。
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