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復讐者と弑逆者③
木立の向こうから音がする。何かが木にぶつかるような音。一番遠く微かな音を聞き取った瞬間、照隅は反射的に阿茲迦の腕を掴んでいた。
「隠れろ!」
目を見開いて振り返った阿茲迦の頭を押さえつけるようにして、背の高い草が生い茂った斜面の底へ身を潜める。さっきまで二人の頭があったあたりの空中を、何かがまっすぐに突き抜けて、そのまま川に落ちた。
恐らく石だ。拳よりは少し小さいだろうか。
「まっすぐに飛んできたぞ。たぶん道具を使って飛ばしている」
「……誰かが我々を明確な害意をもって襲撃している、と?」
「ああ。だが練度は高くない、最初に何度か撃ち損じて俺に気付かれた。近寄る度胸が無いのか……」
「もしくは、他の意図があるのか」
照隅は自分の言葉を引き継いだ阿茲迦の小さな頭を見下ろした。阿茲迦の灰色の目は一定の間隔をおいて飛んでくる石を眺めている。大半は勢いをつけて川面まで飛んでいくのに、そのうちいくつかはゆるい曲線を描いて地面に落ちている。
我知らず、照隅は阿茲迦の表情を読み取ろうとしていた。
「殿下、あそこに落ちている石を拾ってこられますか」
阿茲迦が指差したのは二人が身を潜めた窪みから七歩ほど先に落ちた石だった。頷いて照隅は投石の音がした瞬間に駆け出す。相手が次の石をつがえるまでの間に枯れ草の間に落ちた石を掴み、元の場所へ戻った。
「……これは石ではない」
照隅の大きな手のひらの中にあるそれは、確かに石のような色をしているが、滑らかで丸い。
「焼き固めた泥か? こんなもの、石と違ってその辺に落ちてないぞ。なぜ……」
阿茲迦は押し黙ったまま、照隅の手を睨んでいる。ややあって、阿茲迦は照隅の手からその球体を持ち上げ、地面に置いて指を軽く当てた。口の中で何やら呟くと球体の表面に一瞬で無数のヒビが入り、砕ける。
「これは……」
泥の中に混じっていたのは、干からびた蛙の死骸だった。
「……まずい」
「蛙がか。これも何かのまじないなのか?」
「殿下、今すぐできるだけ身体を丸めてください」
「え?」
「早く!」
叩き付けるような声音に照隅はとりあえずその場に座り込み、膝に頭を埋めて腕で頭を覆った。
(何だ? 何が起きている……)
これまで、命のやり取りなら数え切れないほどしてきたし、巫術絡みの危険に遭遇したこともある。そんな照隅を以てしても、阿茲迦の「まずい」という言葉には背筋が寒くなるような不吉な響きが感じられる。
「旱天、旱天……」
阿茲迦が低く唸るように唱え始めた。
ジャリ……ジャリ……
この川岸には自分たちしかいないはずなのに、足元の砂利がチリチリと踏まれているような音が、だんだん近づいて来る。だが違和感の核心はそれではない。
(これは、人でも、獣でもない)
例えていうなら、中身の詰まった大きな袋が引きずられているような。しかしその袋はとてつもなく長いような……
(まさか……)
思わず顔を上げそうになる照隅の頭を、ひんやりした手がそっと押さえた。
「動かないで。身体の細いところを晒してはいけません」
そう言うと阿茲迦は再び呪句を諳んじ始める。
「旱天、水を求むる。根は百丈の底、身の丈は雲を衝く。われ、世を覆わん……」
ずるっ……ずるっ……
何か巨大なものが這ってくる 音はもはや隠しようもなく大きくなっている。川面からの冷たい風に生臭い水の匂いが混じって、それがいつの間にか耐え難いほどになっているのだ。「それ」はすぐそこまで近付いていて、やがて岩の塊のように丸くなった照隅の上に、ゆっくりのしかかる……
「うっ…………」
匂いなのか、感触なのか、とにかく言いようのない気持ち悪さに吐き気を感じる。
(蛇、)
もはや間違いようがない。照隅は見えない巨大な蛇に押しひしがれていた。
(蛙の干物は蛇寄せのためのものか……!)
ミシミシ、と音がしてのしかかる重量が増す。
「かんなぎ! これは、かなりまずいぞ……!」
思わず吐き出した声に答えがなく、一瞬、阿茲迦は照隅を見捨てて自分だけ逃げたのかと考えた。それは当然の選択肢だろう。だが、ややあって声が聞こえた。
阿茲迦の返事は落ち着いているが、ひどく消耗していた。
「ここは水が多いので向こうが有利です。なにか、金気のあるものを身につけておられませんか」
「……」
一瞬、照隅は逡巡した。しかし傍に置いたままだった懐剣を掴むと、頭を低くしたまま阿茲迦の方へ押しやる。
「陛下からの賜り物だ、役立てろよ!」
息苦しさで掠れた声で叫ぶと、ふと、空気が弛んだ気がした。何かを裂く音がしたのと同時に全身にのしかかっていた重みが薄らぐ。阿茲迦が立ち上がり、離れていく音がする。
「我を畏れよ、我を避けよ、地の底は昏し旱天は明るし、招雷‼︎」
カッッッ! と光が明滅した。
耳をつんざく轟音が響き渡る。次いで大量の水飛沫が降ってきて、熱を帯びた水蒸気があたりに立ち込める感触。
投石の音は、いつの間にか止んでいた。
「ひとまず、大丈夫です。殿下」
声に顔を上げると、辺りは既に暗くなり始めていた。阿茲迦は川の中ほどに立ち、腰まで水に浸かりながら、手に握った何かを見つめていた。照隅が立ち上がると阿茲迦は岸へ上がり、「何か」を差し出してくる。
それは鞘が吹き飛び、黒く焼け焦げて歪んだ懐剣の残骸だった。
「あれは幻じゃなく、本当の雷だったのか……」
「招雷は危険ですが、あの場では他に選択肢が無いと判断しました」
阿茲迦が目を伏せる。
落ち着いた状態で間近に立ってみて初めて、照隅は阿茲迦が、自分より頭ひとつ分背が低いことに気がついた。
(術を使っていると大きく見えるもんだな)
照隅は王家の誰よりも長身なので、阿茲迦が小さいというわけではない。ただ、体格の方はもっと、二回りは阿茲迦の方が華奢だろう。着物がまた濡れてしまったせいで頼りなくさえ見える。
(こんな奴が……)
不可解とも理不尽ともつかぬもやもやとした思考に囚われたまま、懐剣だった金属の塊を受け取ろうと手を伸ばして、照隅は阿茲迦の手のひらがざっくりと裂けていることに気付いた。さっき懐剣を渡した時に自ら切り付けたのだろう。思わず凝視しているのに気付いて、阿茲迦が口を開く。
「処置はしましたので、問題ありません」
照隅は薄暮の中でその白い顔を一瞥して、
「そうか」
とだけ、言った。
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