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第6話 剣術試合

「見事な剣術の腕ですね」 壬芽が手ぬぐいを差し出しながら言った。 桜都もその言葉に静かに同意するように目を細めた。 「シャア────ッ!」 澄んだ青空の下に、威勢のいい声が響き渡る。木刀の乾いた打撃音と、男たちの荒い呼吸が交互に空気を揺らしていた。 現在、勝ち抜き形式で御前試合が行われている。もちろん真剣勝負ではなく、あくまで木刀を用いた腕の見せ合いに過ぎない。だが、ここに集う男たちの眼差しは、新入りの菊正の実力はいかほどのものか、と確かめるように爛々と光っている。 手荒い歓迎をしてやりたかったのだろうが、結果は想像を超えていた。 二十勝零敗。 菊正は身長こそ他の武士たちより高いが、長年の鍛錬を積んだ者たちと比べれば、体格では劣っていた。それでも手足の長さを活かした剣技は鋭く、澱みがない。まるで水が流れるように相手を切り崩していく。負けた者たちはただ呆然と、己の手の中の木刀を見つめるほかなかった。 今まさに二十一試合目が始まるところだった。 「始め!」 澄んだ声が青空の下に響き、両者が一気に間合いを詰める。一秒後、菊正の切っ先は相手の喉仏に迫っていた。 一瞬の静寂。 「しょ、勝者……菊正! 二十一勝零敗!」 直後、拍手と歓声がどっと湧き上がった。 菊正、見事だ! 本当に全員に勝ったぞ! いいぞ!素晴らしい! 絶賛の嵐に菊正は恥ずかしそうにお辞儀する。 拍手と歓声が降り注ぐ中、負けた男は唇を噛みしめ顔を歪ませた。右手に握られた木刀が、小刻みに揺れている。 「……菊正」 男は掠れた声で呼ぶ。 菊正はお辞儀を途中で止めると、たった今打倒した相手を静かに見た。 「どうして私は負けた。理由を教えてほしい」 負けた理由は己で分析して次に生かす。 それが美桜国の美徳とされている。幼少期から美桜城に仕えている者として、そのような基本を心得ているはずの人物が、それでも答えを求めている。それはいかに彼の矜持が、菊正によって打ち砕かれたのかを物語っていた。 「私は剣術の腕には自信があった。実際、今まで試合で負けたことは一度もなかった。それなのに……」 ギリッと奥歯を噛み締める音が、菊正の耳にも届く。 「十以上も年下の若造に、一瞬で負けるなど。納得のいく理由がなくては、この敗北を呑み込むことができない……!」 その場にいた家臣たちは固唾を呑んでいた。 負けた理由を尋ねるということは、勝った理由を問うにほぼ等しい。つまりそれは、菊正の剣術そのものを問うているといっていい。 どこでどのように、誰に師事したかを聞くのは、暗黙の禁。ならば菊正は何を語るのか、この場の誰もが気になるところだった。 「……簡単なことです」 菊正は静かに口を開いた。 「刀の形状を利用したんです」 「刀の、形状……」 てっきり剣技の話をすると思っていた男は、予想外の言葉に首を傾げた。 菊正は木刀を目の前に差し出し、刃の部分を指先でなぞる。 「刀には曲線があり、斜面がある。力が横に流れやすい構造をしています。もし突きを真正面で受け止めれば押し合いになる。そのとき、腕力の劣る僕では押し負けてしまう」 なら、と菊正は続けた。 「軌道を逸らしてあげればいい。無理に弾かなくても、刀の形が勝手に力を流してくれる……あなたの力を、使わせてもらいました」 この場にいた全員が呆気にとられたように、菊正の説明を聞いていた。 負けた男も、ただ茫然とその場に立ち尽くしている。 「そんな、簡単なことで……」 「押す力が強ければ強いほど、横に流れるときの反動は強くなる。あなたの剣筋が鋭かったからこそ、あそこまで大きく崩れたんです」 理屈は通っている。理解はできる。 それでもなお、負けた男の右手は白くなるほど木刀を握りしめたままだった。 「それにしてもすごいな、菊正。新入りにもかかわらず、ここにいる全員を打ち負かしちまうなんて」 家臣の一人が改めて感嘆の声を上げる。 すかさず隣にいた他の者が袖を引っ張った。 「何言ってるんだ。全員じゃないだろ」 「は? 何言って……あ……」 全員の視線が一点に吸い寄せられた。 とろりと絹のように流れ落ちる黒髪が、太陽の光を受けて白い光を跳ね返している。 視線を受けた本人は、ほんの一瞬だけ肩をすくめた。手拭いを壬芽に渡すと、静かに前へ進み出る。 「見事な腕前だった、菊正」 「あ、ありがとうございます」 「だが」 桜都は言葉を区切った。 「このままでは私の家臣たちの面子が立たない」 鋭く射貫くような視線が、菊正に向けられた。 「私と対戦してもらおうか」 どよっとざわめきが起こった。 桜都が自ら手合わせを申し出るなど、異例のことだった。 普段、桜都は一人で武芸の稽古をしており、その姿を目の当たりにすれば、誰も手合わせしようとは思わない。そもそも、主君に対して対戦を申し込む命知らずなど、いるはずもないのだが。 「そ、それは……」 「なに、弱気になっているわけではないだろう」 桜都の髪が左右に揺れる。 煌めく光に気を取られている間に、桜都は前に立っていた。その唇がわずかに弧を描いた。 「私が相手をするなんて、滅多にないことだぞ?」 そう言いながら、木刀を中段に構える。 たったそれだけの動きなのに、この人がどれほど優れた剣士であるのかが、ありありと伝わってくる。 「……はい」 菊正は静かに息を吐いた。覚悟を決めた。 木刀を構え直す。 桜都の漆黒の瞳がまっすぐこちらを見ている。 つくづく美しい人だと思った。 艶やかな髪がそよ風に揺れ、優しくなびいている。その一方で、掴みどころのない暗闇のような瞳は、菊正を静かに捉えて離さない。並みの精神力がなければ、その美貌に絡めとられてしまうだろう。 周囲の歓声がすっと耳から遠のいていく。 これまでの試合より、ずっと集中できていた。 息を吸い、吐く。 その瞬間、審判の声が届いた。 桜都が地面を蹴る。 大きく振りかぶり、正面から切りかかって来た。 (速い……!) 無駄のない動き。 自分の体重をどこに乗せれば刀に力が乗るのか、熟知している動きだった。 菊正は体を後ろに引きながら、桜都の木刀の中央に刃を当てがった。反りを内側へ返す。 カンッ──── ぶつかり合う軽い音。 桜都の切っ先がわずかに横にずれた。 その瞬間を狙って、一気に切っ先を胸元へ──── 「……!」 さすがの反射神経というべきか、桜都はその動きを完璧に読んでいた。すぐさま後ろへ飛びのき、すでに体勢を立て直している。まるで最初からそこに立っていたかのように、一切の乱れがない。 再度木刀が触れ合う。 その瞬間、桜都が菊正の刀を横に流した。 (抜かれた……っ!) 桜都の切っ先が、そのまま流れるようにして小手へ向かう。 (腕に当たる……いや、違う!) 視線は胸元をとらえていた。 (これは誘いだ。このまま避けたら、負ける……!) 菊正は本能的に避けそうになるのを堪え、鍔競り合いへと持ち込んだ。ガッと両者の木刀がぶつかり合い、鈍い音を鳴らした。 息がかかりそうな距離で、視線が交錯する。 ここまで白熱する試合は久しぶりだった。 菊正は──── 笑っていた。 体の奥底から熱が沸々と湧いてきて、全身に血液を送らんと、心臓が高速で動いているのがわかる。こんなにも全身が熱を帯びたのは久しぶりだった。 (楽しい! もっと、もっとこの人と戦いたい!) 至近距離で桜都の姿がいつも以上にゆっくり、はっきりと目に映った。華奢な腕は驚くほど細いのに、押し返す力は鋭い。さらさらと流れる黒髪が、滑らかな白い肌に映える。 (ここまで来たら、力勝負に持ち込める……!) 菊正が体重を乗せようとした、その刹那。 桜都が片手を木刀から外した。 「え……」 予想外の行動に目を見開く。 菊正が呆気に取られている間にも、桜都の手が下から回り込んでくる。菊正の右手を包み込むようにして木刀を掴んだ。 引っ張られる、と思ったときにはもう遅かった。地面に呑み込まれるようにして体が沈んでいく。視界が桜都の砂埃一つついていない袴へと反転した瞬間、首にひやりとした感覚。 木刀が当たっていた。 真剣だったら斬れている。 「勝者、桜都殿────ッ!!」 どわっと地響きのような歓声が、空気を揺らした。 「大丈夫か?」 地面に倒れまだ起き上がれずにいる菊正を、桜都は上から覗き込んでいた。 「……はははっ」 なぜか笑いが込み上げてくる。 「さすがですね。完敗です」 「いや。鍔競り合いに持ち込まれた時点で、実力は五分五分だ。先に仕掛けた方が勝つだけのこと」 桜都はほとんど汚れていない袴をわざとらしく叩いた。そしてもう一度菊正へ視線を戻す。 漆黒の瞳が静かに見下ろしている。 「改めて見事な腕前だった。菊正、お前を敵には回したくないな」 その言葉の意味を噛みしめる前に、桜都はすでに背を向けていた。ゆっくりと遠ざかっていく後ろ姿を、菊正は地面に寝転がったまま目で追った。 熱は体内に留まったまま、冷めることを知らない。ぎゅっと心臓部分を握ると、手のひらから鼓動が伝わってきた。 (……心臓が、うるさい)

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