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第8話 流浪者
ちらりと相手の刀に視線をやる。
敵三人が構える大刀に対し、菊正が携えているのは脇差の短い刀のみ。約二倍ものリーチの差がある。遊んでやるとは言ったものの、圧倒的に不利な状況ではあった。
「おいおい菊正ちゃんよぉ、早く抜刀しないと斬りかかっちゃうよ」
気持ち悪いほどの抑揚がついた声で言うと、にんまりと口角を上げた。
菊正が睨みつける。
「おぉ、怖いねぇその目。整った顔が……台無しだッ!」
直後、脳天をめがけて刀が大きく振り下ろされた。
菊正は目を閉じ、ちいさく息を吐いた。
目を開ける。
すべては、一瞬の動作だった。
左手が相手の右手首を掴み、逆手で力強く引っ張るのと同時に、右手は腰の鞘へ。
至近距離で目が合った。
流浪者の目が、一瞬見開かれる。
(狙い通りだ)
左へ流すように引っ張り続けたまま、腰の鞘から脇差を右斜め上へと振り上げた。肉を裂く鈍い手応えが右腕に伝わる。慣れたはずの感触なのに、胸の奥がわずかに軋んだ。
位置が入れ替わった。
両者とも中段の構えで向き合う。
「く……っ」
見つめあうこと数秒。
ゆっくりと、男が崩れ落ちた。
脇差によって切り裂かれた小袖が、右腰から左脇腹にかけて真っ赤に滲んでいく。
残り二人が抜刀した。
正面打ちを仕掛けてきた男に対し、菊正は音もなく大刀の下まで滑り込むと、頭上の刃を脇差で横から受け止めた。
キ────ンと鋭い金属音が響く。
一瞬の速さで両者の刃が擦れ合い、相手の切っ先が真上を向いた瞬間。すかさず左手で手首を掴み、脇差の切っ先を首元めがけて振り上げる。
男は反射的に体をのけ反らせた。その隙を見逃さず、蹴り込んだ。一人が体勢を崩したのと、最後の一人が斬りかかってくるのとが、ほぼ同時だった。
「……っ」
(かわしきれなかった……ッ)
刃先が肩をかすめ、熱いような痛みが走る。息が一瞬詰まった。それでも足は止めず、相手の刀を背で受け止めるようにして流し、首へ刀を回す。相手が下がる。その動きに乗せて、刀を上へと弾いた。
シャン────と、先ほどとは異なる金属音が鳴る。脇差が横へ流され、菊正の胴体ががら空きになった。
それを見た流浪者が、ほくそ笑みながら再度踏み込んでくる。
直後、菊正は左手を相手の両手の間へ滑り込ませ、右足を軸にして背を向けた。自然と手が柄に当たる。相手と横並びになった体勢で、流浪者は必死に刀を奪い返そうと振り上げた。
(そうするって、知ってた……っ!)
肩の痛みに歯を食いしばりながら、振り上げようとする力に乗るように、柄を同じ方向へ引っ張る。予想以上の勢いが刀につき、流浪者はその反動で後ろに倒れ込んだ。
その隙を逃さず、脇差を相手の首へ当てた。肩からじわりと血がにじむのを感じながら、菊正は乱れた呼吸を殺して声を張った。
「なぜ僕の名前を知っていた。雇い主は誰だ」
絡んできた時点で、彼らはすでに菊正の名前を知っていた。誰かに依頼されて襲撃してきたに違いなかった。
「答えるわけないだろう……ッ」
「五秒やる。それまでに雇い主の名前を言え」
「……っ」
「五、四……」
口止めされているのか、男は口と目を閉じたまま何も言わない。脇差に力を込めると、刃が首にくい込んだ。
殺されると思ったのだろう。
男はさらに目をきつく閉じた。
「三、二……一」
「桜都殿だ……!」
腹を抱えたまま倒れていた、最初の男が声を上げた。
「桜都殿が、お前を襲えと依頼してきた。大金を渡してきたもんだから、二つ返事で了承したさ。でも死ぬなんてまっぴらごめんだ。お前ら、行くぞ」
押さえ込んでいた腕から力が抜けた。
その隙に三人は立ち上がり、そそくさと町の奥へ姿を消した。
「桜都殿、だと……?」
足も、手も動かなかった。
肩の痛みも、もはや感じなかった。
路地に一人立ち尽くしたまま、その名前だけが耳の奥にこびりついた。
*
「ただいま戻りました」
襖を開けると、桜都はまだ文書に目を通していた。一瞬だけ顔を上げ、砂埃で汚れ、右肩がわずかに赤く滲んだ菊正の服に視線を落とす。
「ご苦労。すいぶんと遅かったな」
「……途中で、何者かに襲われたので」
ぴたっと桜都の動きが止まった。
「襲ってきた流浪者達は、桜都殿に依頼されてやったと言っていました」
「……っ!」
桜都の指先がぴくりと震えた。
菊正はしばらく桜都の横顔を見つめる。そして静かに口を開いた。
「……あなたの、兄君の仕業ですか」
弾かれたように桜都が顔を上げた。
その瞳は今まで見たことがないほどに揺れていた。
「この間、壬芽から聞いたんです。桜都というのは、代々頭首が受け継ぐ名だと」
「……」
桜都は何も答えない。
ただ、微かに揺れる瞳を向けるだけ。
「なぜ、あなたが正式な頭首にならないんですか」
菊正の向ける真っ直ぐな視線から逃れるように、桜都はまた文書に目を落とした。
「……知る必要はない」
「それとも、ならないんじゃなくて、なれないんですか?」
「知る必要はないと言ったはずだ」
二度目の声はこれまでに聞いたことがないほどに低く威圧感があり、これ以上踏み込んでくるな、という無言の圧を感じた。
それを受け止めながらも、菊正は桜都のことを見つめ続けた。だが、彼が何も話さないとわかると、諦めたように息を吐いた。
「これを」
懐から大切に仕舞っておいたお香を取り出した。
ふわりと部屋の中に漂った香りに、桜都もわずかに表情を和らげた。
「殿へ、贈り物です」
差し出すと、桜都はそっと両手を差し出した。その上で手を離す。小さなお香袋が、白い手のひらにすっぽりと収まった。
「あ、ありがとう……」
小さな声が返ってきた。
相変わらず表情は変わらない。それでも、声の奥に滲む喜びを隠せていなかった。心なしか、頬もほんのり赤づいているように見えた。
(また、新しい顔が見れたな)
それだけで行ってよかったと思ってしまった自分に気づいて、菊正はひっそりと苦く笑った。
(僕はこの人を殺しに来たというのに)
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