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第10話 第三章(1)
――志野千寿と、世羅の背後に絡む組織、ブラトーバについて詳しい詳細を調べるべし。
簡単にラテン語でメールをアルジュンに送り、黒龍は世羅の会社へ向かった。今日から世羅の護衛、そして部下の訓練を行うことになる。
世羅の会社は、側近の志野、田中と的場だけで廻っている。
「このフロアはうちの専用になってる。廊下を出た突き当りの部屋がジムになっているからそこでトレーニングをしてほしい」
志野から田中と的場を鍛え上げてくれと指示された。
「了解。じゃあ一人ずつ、時間を決めて毎日トレーニングする。まず、筋トレ、格闘をメニューに入れる。戦闘については、目をつぶっても銃を組み立てられるようになること、そして狙撃を重点的に鍛え上げる。実践とゲームと両方で訓練を行う。今日中に1週間分のトレーニングメニューを作っておくから、明日から開始しよう」
「はい。よろしくお願いいたします」
田中も的場も20代だろう。田中は170センチほど筋骨隆々としたマッチョタイプだ。腕や太ももが動くたびスーツがはち切れそうだ。的場は小柄でどちらかと言うとボクサータイプ。しっかり筋肉は付いているが痩せているためスーツの中で体が泳いでいる。格闘には体格はそれほどハンデにはならない。もしかしたら的場の方が田中をあっけなく倒せてしまうこともあり得る。
なかなか楽しくなりそうだ。世羅が出かけることでもない限り、黒龍にはすることがない。この二人の訓練があることで暇にならずに済むことに少なからず安堵していた。
退屈が至極苦手なのだ。
そもそも護衛は初めてだった。黒龍はヒットマンだ。指定された場所に向かい、指定された時間にターゲットに照準を合わせトリガーを引く。ターゲットについての干渉はしない。それがそもそも原則だ。それなのに今回の任務はターゲットのことを知ることから始めなくてはならない。心が乱されるし、混乱してもいた。息の根を止めるのではなく護らなくてはならない。人を殺す方が簡単だと言えば正直そうだ。善良な市民を殺しているわけではなく、テロリスト、政治犯、危険人物と大国の政府が見なした犯罪者を抹消するのが仕事だった。この任務を追行することに意義があると信じていることには違いない。疑問を持つことを禁じ、隊長であるレン、そして組織を信じて自分に与えられた任務を全うすることの方が簡単だった。
今、事情は180度違う。しかも誰も信じられない場所に放り込まれている。その状況に対応できるようになるには相当な時間がかかるに違いなかった。
早くて2日、長くても1週間で終わっていた任務が、今回はいつ終わるのかさえわからない。
しかも敵の情報が少なすぎた。
スマートフォンの着信音で思考を遮られ、スーツの内ポケットからそれを取り出し画面を見る。アルジュンからの返信だった。ラテン語で書かれてあるので人の目を気にすることもなく読める。
志野、そしてロシアマフィアについての回答だった。志野に不審な過去はなく、エリート街道まっしぐらの経歴を見てさらに疑念を持った。クリーンで、優秀な男がどうしてヤクザの手下になり下がっているのか……なかなか興味深い。
そしてロシアマフィア、ブラトーバ。世羅はブラトーバから銃を仕入れ桐生組に流している。10年もの間ビジネスの相手だったにもかかわらずなぜ今この時にブラトーバを切ろうとしているのか? 意味がわからない。しかし、世羅がブラトーバを切ろうとしているという志野の言葉の裏が取れている。桐生組長は金になるならどこと手を組んでも文句はないだろう。何か裏があるには違いない。
ウルフが情報を掴めばすぐに知らせてくるだろう。
今の段階で世羅を消したい動機があるのは、まず、桐生を蹴落として時期組長の椅子を狙う松尾、取引を打ち切られる寸前のブラトーバ。最初にレンから聞かされた名前だけしか浮かんでこない。しかし、ブラトーバから狙われる可能性は低いと言っていい。ロシア、いや世界一の勢力を誇るブラトーバの後ろにはロシア政権の力がある。国際問題に発展しかねない危険を冒してでも日本のヤクザに喧嘩を売ってくるとは考えにくい。世羅がダメなら他の組と商売すればいいだけだ。
世羅の個室のドアが開く音に顔を上げる。世羅と視線が絡まり、姿勢を正した。
「昼飯に行く」
それは自分に言われた言葉だと理解し黒龍は世羅の後を追った。もちろん志野も世羅の横のいつものポジションについている。
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