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第42話 第七章(1)

 いつも通りのルーティンな1日が始まった。嘉納組長の通夜は土曜日、葬式は日曜日に行われることが告知され、それまで何もできない状態だ。  黒龍はオフィスの真ん中に設置されたテーブルの上でノートパソコンとにらみ合っている状態だが、意識はイヤフォンから流れる電話の会話に集中していた。  白蛇が設置した盗聴器はすこぶる性能がいい。まるで耳元で世羅に話しかけられているようでぞくぞくしてしまう。 「リン、おはよう、大丈夫か?」  世羅が誰かに大丈夫か? などと労わりの言葉を投げかけるのを初めて聞いた黒龍は、それだけでリンと呼ばれた者が特別なのだと知る。 『大丈夫……って言いたいけど、そうでもないかな。桐生が心配で……大丈夫なの? ちゃんと護られてるんだよね?』  以外に声の主は男だった。しかも時期組長の桐生を呼び捨てにし、心から心配している様子だ。声の感じから若い男に違いない。 「ああ、桐生のことは心配しなくていい。それよりお前だ。お前に何かあったら俺が桐生に殺される。ほとぼりが覚めるまで部屋から一歩も出るな」 『猫の餌はまだあるから大丈夫だけど、いくら引きこもりの僕だって、必要に迫られれば買い物に行かなくちゃいけないんだよ』  確かにそのとおりだと黒龍は無意識に頷く。 「ああ、だから必要なものは志野が買いに行く。それでいいだろう」 『はいはい。いいですよ~。当分の間ね~』  念を押すようにリンが言った。  なるほど、この会話から多分、いや、確実にリンはあのマンションに住んでいる。黒龍はそう確信した。  その後のマネーロンダリングの話からどうやらリンは世羅のコンサルタントのようだ。会社や土地を買い取り売りさばく。そのタイミングを教授し、またはリンが任され操作しているようだ。 つまり、リンは世羅の事業の核であり、桐生と深い関係にある。恋人――? もしくは愛人の一人だろう。  リンに関しては追及する必要はないように思えた。桐生に敵対する相手が愛人であるリンを襲う可能性はあるが、リンによって世羅が危害を受けることはない。  世羅にとってはリンがいなければ事業に支障がきたすこともある。だから安全を確保しないといけない。  なるほど、だから大事にしているわけか。午前中だけでかなり深い情報を得られた。  桐生と世羅との間にはリンが絡んでいる。どっちにとっても大事な男。つまり二人は結束を外すことはない。後の問題は松尾や橘だ。橘は世羅襲撃を失敗している。それを考えるとそれほど懸念することもないだろうと黒龍には思えた。  つまり残るところはヴォルコフだけだ。  あの男が大人しく引き下がっているとは思えない。しかも息子である黒龍を盾にされているのだ。目先の危険はヴォルコフが牛耳るブラトーバだ。  いずれ仕掛けてくるだろう。直観がそう訴えていた。  世羅の盗聴を聞いているのは黒龍だけではない。常に近くで待機している白蛇も聞いている。白蛇は独自でかみ砕き、探りを入れているに違いない。  そんな風に考えていた時メール音に我に返る。  スマホを見ると白蛇からのメッセージだった。  ――昨日は楽しかった。あのソファ寝心地いいよ。また泊めてね。ところでリンはあのマンションの18階、龍と同じ3階建てのメゾネットタイプに住んでる。  白蛇の仕事が早くて思わず喉を鳴らす寸前で思いとどまる。ここはオフィスの中で目と鼻の先に志野がいる。やばいところだったと胸を撫でおろした。  思った通りだった。リンはあのマンションにかくまわれているのだ。住んでる部屋がわかればそれでいい。  後は世羅の素性とヴォルコフとの関係に絞るべきだろう。そして、ヴォルコフが動くかどうかを見張っている必要がある。  黒龍は白蛇に返信した。ヴォルコフが入国した場合、すぐに知らせろと付け足して。  即座に返信が来た。  ――あたりまえだ。そこまで言われるとさすがにうざい  なかなか笑えるフレーズだった。  黒龍はひそかに頬を緩めた。そして、決意する、今夜何としても世羅と話さなくてはならない。世羅仁人とはいったい何者なのかを。  ――覚悟はできているのか?   自分に問い質す。覚悟はある。傷つく用意もできている。もう十分だ。これ以上なぜ待たなくてはいけない。世羅とヴォルコフの確執を知った後で。待っている場合ではない。それが黒龍の下した判断だった。

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