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第62話 第九章(2)

 ヴォルコフの手にかかった違法行為全てを把握しておくための手段だ。  しかし、仁の目的はそれだけではなかった。ヴォルコフが愛する全てを手に入れたい。そう企んでいたのだ。  純奈を女にすることは容易かった。彼女は世羅を監視しているのではないかとすぐに察した。それを利用し、無駄な情報を流し続けたのだが、半年ほど前、純奈が全てを暴露した。  ヴォルコフの愛人だったこと。そして世羅を監視しろとヴォルコフから命を受けていること。  そして彼女は言った。ヴォルコフにそっくりな息子が、日本にいると。  トゥルー・ブルーというEUが後ろ盾している備兵派遣会社でスナイパーとして働いている。武器ディーラーとしての任務にも就いているようだから、利用すればいいと。  そして、ヴォルコフが余命半年だと告げられた。  その時、細胞のすべての活動が止まった。視界が真っ暗になり、何も聞こえなくなった。匂いもしない、何の感触もせず、五感が機能していない。  それほど仁は衝撃を受けていた。ヴォルコフが不死身だと思っていたわけではない。しかし、追いかけ続けていた男がいなくなることに現実味がどうしても持てなかった。  何としても、ヴォルコフが欲している息子を手に入れたい。  純奈の話ではヴォルコフは息子龍一の母親の千寿、つまり、志野の姉を溺愛していた。何としても千寿の血を残したくて龍一の子供を作らせようとしたがそれも失敗に終わった。龍一はゲイで、その見込みはほぼないと言う。しかも少年時に負ったトラウマで父、ヴォルコフを嫌いすぐにKGBを退職した。  龍一こそ切り札だ。ヴォルコフとの確執に決着をつける最後のその時、龍一をどうしても自分の側に取り込んでおく必要がある。  トゥルー・ブルーは弟の蓮が仕切っている。何という運命の悪戯だろうか。いずえにしろ武器を日本の裏社会に流す必要がある。警視庁公安部の検挙率を上げることに利用しなくては、任務自体が水の泡となる。予算の都合で任務打ち止めになることは避けたかった。  蓮から武器が流れてくれば身内の間で金が行き来しているだけに過ぎない。そうなれば今以上に仕事がしやすくなる。ヴォルコフが死ねば、もうブラトーバは必要なくなる。  全てが上手くいく。  仁は10年間の任務にやっと光明が見えてきた気がした。  しかし、龍一を目にした瞬間全てが変わった。写真で見ていた若き日のヴォルコフに瓜二つの龍一に心が乱される。  なぜこんなに龍一に囚われてしまうのか自分が理解できなかった。  自分はゲイではない。それなのに、龍一から目が離せず、この男に欲情している自分に呆然とした。  龍一を抱いたのは挑発に煽られたからだが、それ以前に仁自身が龍一を求めていたことを自覚していた。  自分の衝動が何を意味するのかは考えたくない。だが、確かに言えることは龍一がロシアに戻ることだけは阻止しなければならないと言うことだけだ。  嫌な予感がまとわりつき、まともに考えることも不可能に思える。  ヴォルコフの様態がそれほど悪いのだろうか? それについては純奈の情報に頼るしかない。しかし、純奈が信用できるとは思えない。彼女はまだヴォルコフを愛している。しかしそれが忠誠に繋がるとは思えない。  純奈は世羅仁人に忠誠を誓っている。純奈は世羅に全てを打ち明けた。ヴォルコフを愛しているが忠誠は誓っていない。いまでもKGB のエージェントとしてヴォルコフの下で働いているが、もう終わりにしたい――と。手を貸してくれるなら忠誠を誓うと彼女は告げた。  しかし、愛と忠誠を天秤にかけた際、どちらが彼女の決断の秤を揺らすのかは分からない。  愛は忠誠よりも重いものなのだろうか……?  龍一はヴォルコフに忠誠を誓っているわけではない。肉親としての愛があるとも思えないが、本人がわかっていないのに他人が知る術はない。  つまり、龍一は最後の最期で情にほだされヴォルコフの最期を看取るために渡露することもあり得る。  世羅はドアのチャイムに物思いから覚醒した。  志野が来たのだ。いつものようにドアを開けるとそこに龍一が立っていた。志野よりも先に来たのはこれが初めてだ。  仁は無表情になるように意識して、龍一を見た。 「ヴォルコフが危篤だ。ロシアに戻る。純奈も一緒だ」  なるほど、愛が忠誠に勝ったのかと純奈の決断に対して笑いたくなった。多分無意識のうちにそうしていたのかもしれない。龍一の表情が怪訝なものに変わった。

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