ベルリン、３月。 　寒波到来で、突きさすような寒さの中、黒龍はニット帽をかぶりダウンジャケットを着て、ビルの屋上からターゲットにライフルの銃口を向けていた。 　肌を突きさすような冷たい風も、耳を掠める風の音さえ聞こえなくなる。息を止め、トリガーに指を掛け静けさの中ただ待った。 　狙ったポジションにターゲットの男が現れると、指が動いた。 　男の額に穴が開き倒れたのを確認し、ライフルを解体し、バックパックにそれを入れ、観光客を装いその場を後にした。 　冷たい雪が頬を掠める感触に我に返る。空を見上げると真っ白な雪で埋め尽くされていた。 　吹雪いてきたようだ。 　機械のように動き、感情さえも捨てた。それが今の黒龍だった。世羅と志野、ふたりを失くした痛みは日を追うごとに現実味が増し黒龍を苦しめた。辛くて苦しくてそして孤独だった。 　孤独がどんなものか黒龍はよく知っている。母を亡くし、幸せだった日々を根こそぎ奪われ知らない土地に連れて行かれた。それだけでなく、全く言葉も通じない。 　孤独だったロシア時代よりも、今の方がはるかに辛く苦しい。 　現実を受け止められないからこそ、黒龍は仕事に精を出した。ライフルを持てば集中していられる。辛い現実から一瞬でも目を背けていられる。 　建物の外に出て、指定場所へ向かう。人が多いわけではないが吹雪で視界が遮られ、黒龍は下を向いて歩いた。 　ドンと体が大きく揺れた。前から人がぶつかってきたのだ。 「Pardon(すみません)」 　その声に黒龍は敏感に反応し顔を上げた。視線と視線がぶつかる。黒龍の体が勝手に動き、男の腕を掴んでいた。 　顔を近づけ視線を近くで合わせる。 　男が目尻に皺をよせほほ笑む。 「ここにいる」 　名刺のようなものを渡され我に返る。 　頷くと手を離した。男は謝るような仕草をして立ち去って行った。その後姿を名残惜しそうにただ黒龍は見つめるしかなかった。その姿が消え我に返る。手渡された名刺を見ると、ホテルのカードだった。裏を見ると部屋番号らしき数字が書かれてあった。 　ここにいる――。仁も一緒にいるのだろうか？ 　胸が張り裂けそうなほど鼓動が強く打ち付け始める。一刻も早く確かめたい。 　黒龍に接触してきたのは志野だった。いや、叔父の黒木だ。黒龍にとってはたった一人の身内になる。信じていた。世羅と志野が生きていることをただ信じることが黒龍の生きる意味だった。 　生きる意味。そんなことを考えたこともなかった。世羅はよく言っていた。生きる意味がない――と。黒龍の生きる意味は世羅そのものだと言うことを、世羅がいなくなって知ったのだ。 　いつものように待ち合わせ場所にライフルが入ったバックパックを置く。前の席に座る白蛇の姿を目の端に捕らえ、スマホを出してメッセージを送った。 　――見つけた。 　それだけで白蛇は理解するだろう。すぐに返信音が鳴る。 　――了解。一応待機しておくけど、必要なかったら知らせて 　黒龍はひそかにほほ笑んだ。 　――OK 　白蛇が置いた同じバックパックを掴むと席を立ちカフェを出た。無意識に早足になり駆け出したいのを懸命に堪える。ホテルはここから徒歩１０分ほどの所にある５つ星ホテルだ。 　急く気持ちを抑え、自然に見えるようにふるまいながら、ホテルのエントランスをくぐった。エレベーターに乗り込むと１２階を押した。 　クリーム色の壁にチャコールグレーの毛足の長いじゅうたんが敷かれた廊下を進みながら部屋番号を確かめているうちに心臓の音が半端なく早くなる。早くこの鍵で開けることのできる部屋に辿り着きたい。その気持ちでいっぱいだった。 　１２０８、その数字のプレートがかかったドアの前に辿り着いた。深呼吸をし、カードを差し込む。グリーンに点滅したのを確認し、ドアノブに手をかけた。 　カチャリ 　その音に気持ちが更に急かされる。期待で心がはち切れそうなほど膨らんでいた。 　ドアが開くその瞬間がまるでスロ―モーションのように感じられた。