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【1部】第7話 凋落
──犯した後に殺そうと思ってたけど、やめた。これから毎日しよう。君の身体が壊れるまで──君の身体が使い物にならなくなった時に殺すよ。
この言葉が、今では半信半疑になりつつあった。誕生日を境に理一の不安定さは更に増して、しかし暴力性には落ち着きが見られるようになった。
頬によく触れてくる手と、迷いを映す瞳。時折見せていた迷子の子供のような表情を頻繁に目撃する。理一はおそらく、もがき苦しんでいる。
口付けられることも増えた。
相変わらず、理一から憎悪という醜い感情を向けられているのに、それとは相反する感情も伝わってきて、矛盾が螺旋状になってコウの日々を侵食していた。
自分は、永遠にこの人の隣にいたいわけじゃない。己の還るべき場所に彼を道連れにしたいわけでもない。ただ、彼の手で『西垣洸』というちっぽけな魂に特別な理由を刻みつけてもらいたかった。死んでもなお、この世に残るような楔を、何度でも理一自身の心の奥深くに突き刺したかった。
共に食事を繰り返し、対話をして、体を繋げると、取り返しがつかなくなっていく。自分たちはもう戻れないところにいる。あと一押しだった。
食事の準備をして、しばらく放置していた調理器具を洗っている時。今まで鳴ったことのなかったインターホンが機械音を放つ。
コウは手を拭い、インターホンのモニターに近づいた。映っているのは見たことのない男性。雰囲気からして、理一の知り合いだろう。
インターホンが鳴った時、『出ろ』とも『出るな』とも言われていないので、自己判断で玄関扉を開ける。
無表情で男と向き合うと、目を見開かれる。理一と同じくらいか、それより少し低いくらいの身長で、年齢は四十代半ばくらいであることが伺えた。
「コソコソなんか飼ってんなって思ったら……」
玄関扉を片手で押し開き、一歩侵入してくる。
「君、何?」
問われて、コウは考えた。自分は、なんだろう。ここにいる理由を話せば良いのだろうか。
「……理一さんに監禁されてます」
監禁と言っても自由はあるし、自ら望んでいる部分があるため、語弊があるかもしれない。どちらかと言えば軟禁。
「あのバカ……」
男が額に手を当ててため息をつくと、めんどくさそうに口を開く。
「帰っていいよ。俺が許可する」
コウはじっと男を見上げる。
「アパートを引き払えって言われたので、ここを出たら寝床がなくなります。仕事も辞めさせられました」
伝えると、男は口をあんぐりと開けて停止し、更に大きなため息をついた。
「アイツは一体なにをやってんだよ……完全な囲い込みじゃねぇか」
すると、視線が品定めするようなものに変わる。
「昔から女っ気ないとは思ってたけど、アイツそっちだったのかぁ……しかし最近、表情豊かなんだよな、アイツ」
男がニコリと笑う。
「きっと、君のことが好きなんだろうね。でも、カタギに手を出すのはなぁ」
「俺は、有理くんを殺した男の息子です」
淡々と告げると、空気が冷たく変わった。男の目から朗らかさが消え失せ、殺伐としたものに変わる。
「あぁ……なるほど」
男が後ろポケットに手を突っ込み、思案顔をする。
「なんだアイツ……殺すっつって、殺せてねぇのかよ……おかしいなって思ったんだよ、死体の処理は自分でなんとかするなんて言うもんだから……いつもならめんどくさがって押し付けてくるくせによ」
男の手が後ろポケットからジャケットの懐に移動する。そのまま玄関内に侵入して、扉が閉じられた。
「俺もね、君の親父さんにはちょっと思うことがあってな……君、代わりに償える?」
久しぶりに見る、実銃。それはトンと重さを伝えてコウの額にあてがわれた。
コウは動じることなく、男の目を見ていた。見つめ合うと、男が低く唸った。
「いや、でもな……アイツが君を生かしているのには何か理由があんのかな……」
男がボソボソと独り言ちると、銃口が離れる。
「アイツに何されてる?」
コウは自身の顎に手を添え、短く答えた。
「……強制性交?」
と言っても、自分は合意しているつもりなので、厳密には違うが、しかし表面上はそういうことになるのだろう。少なくとも、理一はそのつもりでいるはず。
男はコウの言葉にドン引きしながらも口角を上げていた。
「あー、はいはい理解してきたよ……」
男が近くで顔を覗き込んでくる。
「なんで理一は君のことを殺せないんだと思う? 情が湧いちゃった? それとも、体の相性が良いから手放せない? 生き地獄を味わわせたい? それか……単純に顔が好みなのかな? さて、どれか」
「全部だと思う」
即答すると男が大笑いする。
「君、肝が据わってんね」
コウは何が面白いのか分からなかった。だからとにかく、気になったことにズカズカと踏み込んでいく。
「本当は、理一さんに殺されたかったんだけど……おじさんが俺のこと殺す?」
笑っていた男の眉尻がぴくりと吊り上がる。
「両親が殺された日に俺の心は死んだ。身体だけが此処に残ってる。早く心のある場所に還りたいんだ」
男の手にある銃の先端を掴み、自らの喉仏に当てる。
「ねぇ、早く撃って。俺を殺して」
この人に殺されたら、理一さんはどんな風に傷付くんだろう。喜ぶのか、喪失感を抱くのか、怒りを抱くのか、それとも憑き物が落ちて、平穏を手に入れるのか。それが気になって、この人に殺されるのも悪くないと感じる。死んでしまえば、真相を知ることはできないけれど。
男はコウを異端なものでも見るようにして、それから乾いた笑いをこぼす。
「あのね……銃をつけられたら普通は取り乱すのよ? それどころか、自ら『殺せ』とは」
男はコウの手を振り解き、銃を懐に仕舞うと微笑みを浮かべる。それは呆れの色が濃い。
「君、相当頭おかしいね。理一も参っちまってんだな」
さっきまで銃を握っていた手が伸びてきて顎を掴まれると、自分が〝物〟であることを分からされる。
「殺したら君の思う壺ってワケか。そりゃあ殺せないわな」
顎から首元にするりと落ちる大きくて熱い手。
「理一には結構仕込まれてるの?」
「まぁ……」
「じゃあ、おじさんのことも慰められる?」
肯定も否定もせずにただ沈黙すると、男が口角を上げる。
「ふーん」
シャツのボタンを三つ外されて、胸元を捲られると、理一がつけた噛み跡や肌を吸われて生まれた鬱血の痕があらわになり、男が「あーらら」と笑う。
──これから、このおじさんの相手をさせられるのかな。
──まぁ、理一さんがそれを許すなら良いか。
四つ目のボタンが外されそうになった時、ドタドタと表の廊下を走る音が聞こえて、玄関扉が勢いよく開かれる。
「穂高さん」
理一が息を切らしながらこめかみに汗を滲ませて現れる。切羽詰まった表情で穂高と呼ばれた男を睨むと、穂高も理一を睨み返した。
「てめー、こいつはどういうことだ」
「やめてくださいよ」
コウを引き剥がして自身の後ろに隠すと、理一は悪事がバレた子供のように萎れて伏し目がちになる。
「ちゃんと……自分で方を付けますから」
まだ息が上がっていて、胸が大きく上下している。
「本当にできんのか」
諭すように問いかけられるも、理一は葛藤して潔い返事が出来ずにいるようだった。その様にどうしようもないと、穂高は困ったように笑う。
「はーあ……ま、いいや。別にお前の私怨だしな。俺が首突っ込むのも変な話だ」
踵を返し、穂高は横顔で理一に凄みを利かせた。
「殺すのか殺さねーのか、それだけははっきりしろ」
ばたんと音を立てて玄関扉が閉まると、理一はよろよろと壁に寄りかかって、ふーっと息を吐いた。
「だれ、あの人」
「うーん……一応上司かな」
理一の視線がはだけた胸元に集中すると、コウは思い出して外されたボタンを一つ一つ戻していく。理一の表情がほんの少し陰った。
「何かされた?」
「……何も」
「そう」
──なんで理一は君のことを殺せないんだと思う?
穂高の言葉が頭の中で勝手に繰り返され、疑問が浮かぶ。
「……この生活はいつまで続く?」
ぽつりと呟くと、理一が再び横目でこちらを捉えた。
「終わらせたいの?」
次に穏やかな口調で微笑み、詰め寄ってくる。
「コウくんは逃げたいんだ、僕から」
上から冷徹に見下され、無表情ながらもコウは後ずさる。久しぶりに見る形相だった。
理一の大きな手がコウの胸ぐらまで伸びると乱暴に掴み、コウを壁に叩きつけた。即座に両手を壁について、その中にコウを閉じ込める。
「終わらせるわけがないだろ。君はずっと苦しむべきなんだから。その汚れた血が流れている限り、ずっと」
責め立てる風情の中に、繋ぎ止めるための必死さが紛れている。
「君は僕のものなんだよ、全部僕の勝手だ」
それを見抜くと、複雑な気持ちにされる。コウが理一の背中に腕を回して抱きつくと、理一はその予想外な行動に戸惑い、壁から手を離した。
「そう、俺の全部は理一さんのもの。俺が生きているうちは理一さんの好きにして良い」
理一の鼓動が速く聴こえる。
「でも、理一さんが最初に望んでいたことは見失っちゃダメだ」
理一の体がぴくりと揺れて、心臓が嫌な音を立て続けている。
「じゃないと……この日々に、意味がなくなる」
穂高という男とのやり取りから感じ取った。
この人は、俺のことを守ろうとしている。殺したいと思いながら、手放せなくなっている。
必死さで塗り固められた卑劣なやり方で、守れなかった過去の光を今度こそ何がなんでも守ろうとしているような、あがいているような──自分は、この人が求めている光とはまるで別のものなのに。
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