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【1部】第8話 保留、その先

 穂高と接触してから、理一は自分のものを奪われる恐怖と戦っているように見えた。だからこそ、コウに対して乱暴な手つきで触れることが完全にできなくなっていた。壊れないように、少しでも長く使えるように、大切そうにする。  二人で食事をしながら、一緒に鑑賞した映画の話をして、一緒に風呂に入って夜はベッドでまぐわい、口付ける。普通の恋人のような共同生活を送っているが、これが間違っていることだというのはお互いに、心底理解していた。小さな箱に無理矢理大きなものをねじ込んでいるような、壊れてしまいそうなのに誤魔化し続けて、保たれている。もっと力を入れて捻じ込めば箱は壊れるのに、理一は怯んで壊そうとしない。  ふと、覆い被さる影から目を逸らして、掛け時計に目をやると、ちょうど深夜一時を指し示していた。集中していないと気づかれると、口を塞がれて、下腹部にある異物はさらに奥まで押し進められる。  叩きつけるような衝撃ではなく、あくまでゆさゆさと緩く与えられる悦楽にコウは甘い吐息をこぼすだけだった。  口を離されると、感情の読み取れない平坦な目線とかち合う。 「ずっと、気になってた」  その瞳に言葉を投げかけると、表情に少し変化が生まれる。 「どうして前みたいに乱暴にできなくなったの」  律動は止み、ただ向かい合う。 「いつになったら、俺を殺すの」  ただの疑問をストレートにぶつけると、理一が硬直する。 「俺に近づいた理由、忘れちゃった?」 「うるさい」  ぴしゃりと跳ね除けられ、コウは一度口を噤んだ。理一は心底消耗したように、現実から目を背けて自己を保っていた。 「どうでもいいだろ」 「どうでもいい?」  コウの冷たい声に理一の肩がピクリと揺れる。 「そんなわけない。理一さんは気づいてるはずだよ。俺を殺せば、有理くんの敵討ちは終わる」  理一は誤魔化すように、ぎこちなく口角を上げる。 「そんなことしたら、有理に嫌われる気がしてね……できないんだ。有理を殺したのは君の父親で、君じゃないから」  余裕を装っているつもりなのかもしれないが、側から見れば偽りでしかない。 「それは言い訳だ」  責めると、首筋に顔を埋められる。 「自分でも、もう分からないんだよ」  震えながら、訴えかける声。 「君を有理と重ねている自分と、仇だと思って憎んでいる自分と……君を、一人の人間として愛してしまった自分とが……いつも心の所有権を奪い合っている」  首筋から離れる切羽詰まった顔が、頭上から見下ろしてくる。 「なぁ、僕はどうすればいい?」  自嘲しながら心に縋りつき、答えを委ねてくる。 「君を生の中で壊し続ければいいのか、殺せばいいのか、優しく愛すればいいのか……僕は、一体どうすればいい」  コウは押し黙り、手を差し伸べることをしない。すると、理一の表情は葛藤に揺さぶられて、平穏を完全に保てなくなっていた。 「僕はどうすればいいんだよ……」  理一の首に腕を回し、自分のもとに手繰り寄せると自ら口付ける。繰り返すことで、どうやってキスをするのか身体で明確に覚えた。  絡まり合う音をしばらく響かせ、名残惜しく離すと、お互いに火照った顔で向き合う。 「俺は、理一さんに殺されたいよ」  理一の目には、何故か裏切られたことを責め立てるような理不尽さがあった。それでも、続ける。 「俺も理一さんが好き。多分愛してるんだと思う」  コウの言葉に振り回されて、理一は自分の心が余計に分からなくなっている。 「理一さんの中で、どの感情が一番強い? 壊し続けたいか、殺したいか、愛したいか」 「それが分からないから訊いてんだよ……」 「じゃあ……飽きるまで壊して、愛して、最後に殺せばいいんじゃない」  理一の頬を両手で挟み、額と額をくっつける。 「でも約束してね。俺のこと、最後には絶対に殺すって」  利己的な願いを最終地点にセットして、理一を追い込む。 「俺をこの世界に閉じ込めてるのは理一さんなんだから。責任とって、ちゃんと俺のこと終わらせてね」  この世に取り残された身体を、魂のある地獄へと還すのは、この人の役割。それがお互いの愛の証明で完遂すべき事だった。そう決めつけて、コウはこの世界に立ち尽くしている。  頬から手を離すと、理一の顔が少し遠ざかる。葛藤の色も何もかもが消え失せ、ただ虚の瞳で見下ろしてくる。 「できるよね?」 「できなかったら、どうなる」 「俺は理一さんを許さない。絶対に」  虚の瞳が瞠目する。 「理一さんは、俺が消えた世界で一人で生きていくべきだ。俺は理一さんの幸せを担保する存在じゃない」  突き放すと、理一は怒りに飲み込まれ始めた。裏切られたことに対する怒りと、思い通りにならないことへの不安。そして、自分自身を見失うことへの恐怖。それを自立させるために、己の欲望を叶えるために、鋭く研ぎ澄ませた言葉のナイフを理一に突き刺し、楔を打つための下穴を開ける。 「あなたは一人でも生きていける。一人でも幸せになれる」 「なんで、そんなこと言うんだよ……なんなんだよっ……ふざけんな……! お前に、何が分かるんだよ!」  唐突に両手首を強く掴まれ、折られる寸前まで力を込められる。掴まれた腕はベッドに沈み、痛みを伴う。 「お前、何様のつもりだよ……っ!」 「ぁ……、…っ」  律動が再開され、性感帯を激しく擦られる。理一が表情を歪め、コウの身体を激しく責め立てながら、快楽で流して欲する言葉を無理矢理に吐かせようとあがく。 「謝れよ」  久しぶりに謝罪を求めて追い詰めてくる。 「謝れ」  乱暴に揺さぶられながら、はしたなく喘ぐ。コウはいつもとは違い、理一の命令を頑なに無視した。ただ、快感する声だけが宙を舞う。それが気に食わなくて、理一はさらに表情を歪めて、怒りをあらわにする。 「絶対に逃がさない。僕を置いて、一人で楽になろうとするな」  怒りの奥底に、子供の頃から成長できなかった未熟さが覗く。 「お前は、ずっとここにいるべきなんだ」  ぽたぽたと、頬が濡れる。  理一の瞳から生ぬるい涙が溢れると、コウの頬にこぼれていた。  縋りつかれると、理一の表情が見えなくなる。 「嫌だ……そばにいて」  怯えた声が、耳元で懇願してくる。 *** 「結局、アイツは君のことを殺せなかったか」  穂高は、コーヒーを啜ってから煙草を咥え、火をつけた。喫煙席のあるカフェで待ち合わせをして、西垣洸に近況報告をさせている。  洸はサンドイッチを口にして、咀嚼を終えて腹に飲み下すと、穂高を見た。 「殺せないというより、先延ばしにしているみたいです」  穂高は理一の性格を思い出すと、妙に納得してしまう。 「この調子じゃ、君を殺すっていう目的は有耶無耶になりそうだな……じゃあどうだ? うちの組に入る?」 「向いてないと思う。俺弱いし」 「そうかぁ? 別に力が全てって世界でもねぇけどな」  交渉してみるが、まるで相手にされない。洸はサンドイッチを半分以上平らげ、アイスティーで流し込んだ。 「俺は、理一さんに飼われてる今が一番性に合ってる」 「あっ、そう……もしかして、洸くんも理一のこと好きなの? 愛しちゃってる?」  問いかけると、アイスティーから視線をすり替えて、まっすぐに。 「はい」  そう答えられると、穂高は心底理解に苦しんだ。やはり、このガキは頭がおかしい。 「親を殺した相手なのに? 恨んでないの?」 「仕方なかった」  残りわずかになったアイスティーグラスの水面が揺れる。 「父さんはそれなりのことをしたから。その息子である俺にも責任はあるし、仕方ない」 「でも、赤信号無視して飛び出したのは有理くんだよ? 実際、君のお父さんは不起訴になってる。言ってしまえば、アイツの逆恨みじゃないか。損害賠償だってちゃんと支払ったんでしょ?」 「でも、父さんが有理くんを殺した事実は変わらない」  淡々と告げられる。この男は言っていた。  ──両親が殺された日に俺の心は死んだ。身体だけが此処に残ってる。早く心のある場所に還りたいんだ、と。 「俺の身体と命を使い潰すことで理一さんの気が晴れるなら、それでいい。理一さんは俺が壊れるまで続けるって言ってた。きっといつか、終わりは来る。この世に永遠はないから」  穂高は煙草の灰を灰皿に落とし、再び咥えた。 「やっぱり、肝が据わってんなぁ……あーっ、欲しい! うちの組に! 頼むからおいでよ、悪いようにはしないからさ、君みたいな子がうちには必要なんだよ」 「すみません。晩飯の準備あるんで」 「釣れな〜い……」 「ごちそうさまです」  席を立ち、会釈して遠ざかる青年を引き止めず、ただ見送る。  穂高は短くなった煙草を灰皿にすり潰し、すぐに新しい煙草を咥え、火をつけた。  彼は、理一の目的を〝復讐としての殺人〟ではなく〝愛ゆえの殺人〟に作り替えようとしているんだろう。彼が理一にさせようとしていることを察すると、その恐ろしさに余計あの青年が欲しくなる。 「なるほどねぇ」  それと同時に、やるせない気持ちにも支配されてしまう。  穂高は、離れて小さくなった西垣洸の背中を視界から覆い隠すように煙を吐いた。あの背中は、花澄理一を組織から奪い取る可能性すらある危険因子だ。 「あーあ……つまり、共依存が完成しちまったわけだ」  吸い始めたばかりの煙草を灰皿の上で擦り潰す。 「バカな奴ら」

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