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【2部】第6話 かくしごと
週に一度、決まった時間に穂高と密会の約束をしている。
夕方の空の下、先週の別れ際に穂高に指定された喫茶店を目指していた。昼間の強い日差しは和らぎ、生ぬるい風が頬を撫でてくる。それでも、やはり汗は掻く。
古めかしい純喫茶の扉を開くと、カランカランと音が鳴った。入った瞬間にタバコの匂いが充満しており、近年では珍しく全席で煙草が吸える店だとすぐに察知する。見渡すと奥のソファ席で穂高がアイスコーヒーを飲みながら、こちらに向かって手を挙げていた。
コウはマイペースに穂高へと歩み寄り、軽く会釈すると、席についた。穂高は「今日も暑いね〜」とありきたりな挨拶をして、コウは適当な相槌を打った。
好きなものを頼んでいいと言われたので、店員にコーヒーフロートを頼むと、早速穂高が本題に入る。
「最近、理一は家だとどんな感じ?」
「……この前伝えた状態とあまり変わらないです。部屋にいる時はテレビばっかり見てる」
「あっそう……」
穂高は肩をすくめてから煙草を咥え、オイルライターで火をつけた。コウは煙草の先端が炎で赤くなるのをぼんやりと見つめる。
「そういや、組長が君のこと気に入ってたよ」
「はあ」
「やっぱさ、うち来ない? 君なら理一のことコントロールできそうだしさ。うちの未来のために、ねっ」
穂高が軽い調子で両掌を合わせておねだりしてくるが、内容が内容であるため、茶番でしかなかった。筿原とノリが似ているあたりやはり付き合いが長いのだろうと、勧誘を無視して思考は斜め上を行っていた。
話に割り込むようにコーヒーフロートが運ばれてくると、コウは少し溶けているアイスクリームに視線を移して凝視する。
──うちの未来のために。
コーヒーとアイスの境界が滲む様を見て、ようやく穂高の言葉を咀嚼した。
「……俺は、未来のことなんて考えてないですよ。あと少しで全部終わるから」
溶けたアイス部分をマドラースプーンでかき混ぜて、無表情で答えた。穂高は煙を吐いて、天井を仰ぎ見た。
「そうだったねぇ」
アイスが全部溶けてしまう前に、単体として楽しむべくスプーンで掬い取って口に含む。コーヒーに合うように設計されたミルク感の強いバニラ味。両親の墓参りの後に、祖父が決まって連れて行ってくれた茶屋があった。コウはそこで頼んだクリームソーダを思い出していた。
それと同時に、もう一つ。
「穂高さんは、有理くんがどんな子か知っていますか」
食べることに集中しながら、穂高の目を見ずに放つと、視界の隅で穂高が姿勢を正した。
「あー……まぁ、性格とかは詳しく分かんないけど、多少はね」
「教えてください」
今度は大きな瞳に穂高を映して懇願すると、穂高は気だるげにしながら灰皿に灰を落とした。
「享年は十歳。当時はジュニアサッカークラブに入ってたらしい。その練習帰りに、君のお父さんに撥ねられた」
コウはストローでバニラアイスの溶け込んだ甘いコーヒーを飲みながら、耳を傾けていた。
「勉強はちょっと苦手だったけど、運動神経はかなり良かったみたいね。理一もガキの頃おんなじクラブに入ってたって聞いたよ。だから、理一と共通の友達もいっぱい居たそうだ」
付随して知らされる理一の過去。話を聞いても、サッカークラブに所属する理一をいまいち想像できなかった。
「……有理くんは、理一さんと仲良かったんですか」
問いかけて、再びストローを咥える。
「いや、それがね……兄弟仲は冷めてたらしいよ。理一ってあの性格でしょ? 意地悪したり、鬱陶しがったりしてたみたい」
穂高も手元にある短くなった煙草を咥えて、煙を吐き出した。
「大切だったってことに、失って初めて気づいたんだろう。アイツは有理くんに優しくできなかったことを悔やんで生きてる。ずっと、有理くんに囚われてんだよ」
今までの理一の行動を裏付ける言葉だった。
彼は、弟にできなかったことをコウにすることで罪の意識を和らげようとしている部分がある。そして、コウを傷付けることでそれが敵討ちとなり、弟への思い遣りにもなる。それとは別に、コウを一人の人間としても愛してしまった。この複雑な矛盾が、彼を苦しめ、彼を彼たらしめている。弟に重ねる感情と、他人として愛している感情がぐちゃぐちゃに混ざり合って、今の花澄理一が存在している。コウに弟を重ねて見ている部分は、あくまで理一を構成する一部分にすぎない。
いつの間にか半分以下にまで減ったコーヒーフロートに気がついて、コウは一旦飲むのをやめた。
「俺と有理くんって、似てるんですか」
穂高は狐につままれた顔をしてから小さく笑い、短くなった煙草を灰皿の上ですり潰した。
「会ったことはないからなんとも言えないが……まぁ、似てないでしょ。君って結構独特な子よ?」
コウは再び考え事に囚われながら、残りのコーヒーフロートを飲み干した。喫茶店内にある掛け時計を見てから立ち上がる。
「いろいろお話ししてくださって、ありがとうございました」
「んー……いや、大した話できなくて申し訳ないね」
穂高がニコニコと笑う。
「じゃ、また理一の様子聞かせて」
「はい」
本当は、穂高の方が理一のことを聞きたかったはずなのに、あきらかに逆転していたと帰り道を歩きながら思う。
コウは帰りに夕飯の買い出しをして帰宅した。
玄関を開けると、理一の靴があった。食材の入ったエコバッグを抱えてリビングに踏み込むと、ソファに腰掛けてテレビのリモコンを操作している理一の姿が見えて、ふと目が合う。
「おかえり」
理一がソファから立ち上がってこちらに近づいてくる。
「なんでいるの。今日は帰り遅いって言ってたのに」
見上げながら言うと、理一が目を細めて微笑む。
「たまたま早く帰って来られたんだよ」
その微笑みには久しく不穏さが紛れていた。
「コウくんはどこ行ってたの」
「……晩飯の買い物だけど」
「ほんとに?」
穂高に近況報告をしている事実は理一には伏せているため、どう言い訳するかで沈黙すると、さらに疑念を抱かれる。
サコッシュに手が伸びてきて、両手でエコバッグを持っているがために、阻止ができなかった。
──やばい。
思った時には、筿原からもらったスマートフォンを取り上げられた。
「これ、なに?」
理一は柔らかな口調とは裏腹に、想定外の動きを見せたコウに嗜虐心にも近い感情をちらつかせて迫ってくる。
──最初から、怪しまれてたんだ。だからこうやって試されて、泳がされて、暴かれてる。
コウは目を閉じて息をつくと、再び理一を見上げた。
「……もらった」
「誰から?」
「筿原さん」
観念して質問に答えていくと、筿原の名前が出たことは予想外だったのか、目が見開かれた。理一の様子にぎこちなさが生まれる。
「あの人と会ったの」
「うん」
「いつ」
「先週」
「何を話した?」
話した内容が喉まで出かかるが、『俺と会ったことは理一には内緒だよ。怒られちゃうからさ』という筿原の言葉に制止させられる。
しかし、自分が大切に思っているのはこの花澄理一であって、筿原治ではない。全て話すのが、理一のためになる。だけどこれは自分だけの問題じゃなかった。筿原治は、花澄理一に執心している節があった。それが意味するものを考えると、最善が分からなくなる。
その煮え切らない態度に理一は苛立ちを露呈させ始める。コウから押収したスマートフォンを荒い手つきで自身の後ろポケットにねじ込むと、鋭くコウを捉える。
「言えよ」
エコバッグを持っていた両腕を理一の大きな手に取られ、抱えていたものが呆気なく地面に落ちて、中身がこぼれた。
食材を踏まれ、そのままぐいぐいと壁の方まで押されると、磔にされる。掴まれた腕に力を込められて痛みが走った。
理一の大きな体に圧をかけられると、彼が自分にとっての絶対的な支配者であることを再確認させられる。コウは痛みに小さく喘ぎ、眉根を寄せて小さく告げる。
「……理一さんを、返せって言われた」
「は」
「死にたいなら、俺が殺してやるって」
全てを白状すると、腕が解放される。
告げられた事実に、理一は抜け殻となってその場に立ち尽くす。力の抜けた体に同調するように、目には動揺が色濃く浮かんでいる。まるで、悪い大人に宝物を盗まれた子供に似ていて、絶望が深く根差している。
コウは理一の胸に縋りついた。
「あの人に殺されるくらいなら、俺は今すぐ理一さんに殺されたい」
願いを口にすると、理一の表情がさらにこわばる。
「理一さん」
「ちょっと黙れ」
理一はコウを突き放すと、自身の顔をおさえながら状況を整理しているようだった。冷静さを取り戻して、コウを再び認識する。
「他になんて言ってた?」
「連絡したら返事しろって」
「はは」
理一は小さく笑うと、次に大笑いをする。ひとしきり笑うと大きなため息をついて、コウを見下す。その目からは不安や絶望といった弱々しいものが消え去り、むしろ何かを決心したような強かさがあった。所有したものを絶対に手放さないという、持ち主の意地だろうか。
「あの人には僕から話しとくよ」
理一はソファへと戻って、また映画を再生する。
コウは地面に落ちた食材を拾い上げ、冷蔵庫にしまった。理一に踏まれたのは、幸いにも固形カレールーの箱だけだった。
「理一さん」
「なぁに」
コウはソファの前まで来ると、理一を見下ろす。
「有理くんと俺、どっちが大切?」
その質問に、理一の表情は不快感を露わにした。
「有理に決まってんだろ」
「俺を殺すことで有理くんが生き返るとしたら、俺のこと殺すの?」
「そう、殺す。でも、君を殺しても有理は返ってこないだろ」
「そうだね」
理一が「邪魔。テレビ見えない」と言うので、コウは理一の隣に腰掛けた。
「有理くんはどんな子だったの」
「教えない」
「有理くんは──」
舌打ちに遮られる。
「黙れ、お前なんかが有理の名前を口にするなよ」
睨みつけられ、コウは一度口を閉じた。
「理一さんはまだ俺のことちゃんと憎んでるんだね」
理一がリモコンでテレビの音量を上げる。
「もし死んだのが有理くんじゃなくて理一さんだったら、有理くんは俺のことを躊躇わずに殺したんじゃないかな」
「有理はそんな奴じゃない、知ったような口を聞くな」
理一がリモコンを放り投げると、コウの胸ぐらを掴んだ。
「お前、さっきからなんなんだよ……!」
この必死さは、自身を証明するアイデンティティを脅かす要素を排除しようとする防衛本能だろう。
「俺よりも、有理くんが大切なんだ」
「そうだって言ってんだろ。何回も言わせるな」
「じゃあ、殺せるはずだよ」
コウは胸ぐらを掴む理一の腕に手を添える。
「殺して」
囁くように口にすると、理一は葛藤に苦しんで、胸ぐらを掴む手から力が抜けていく。
コウはその様をつまらなそうに見つめた。
「もっと理一さんのこと怒らせないとダメ?」
問いかけて、答えを待つより先に立ち上がる。理一はその不可解さに異様な目線を送る。
「なにするつもり……」
コウは花澄有理の写真を手に取り──地面に叩きつけた。フレームが割れ、ガラス板は粉々に砕け散る。その下にある写真にも少し傷がついた。
理一はコウの取った行動を信じられず、愕然とする。そして、じわじわと今起きたことを理解すると、それは殺意に変わる。
理一が足早にコウに近づくと、コウの頬に思い切り拳を打ち込んだ。その衝撃に、軽い体は簡単に吹っ飛んで床に転がる。追撃するべく理一はコウに馬乗りになって、もう一度頬を殴った。口内が傷付いて唇の端から血が滲み、頬はすぐに腫れあがる。それでも気が収まらずに、理一はコウの首を絞め始めた。
──俺を殺した後、理一さんは少しでも喪失感を抱いてくれるのだろうか。それとも、清々しい気持ちになるのだろうか。こんなやり方、正しくないのに。筿原治に殺されるのが嫌で、焦っている気持ちがあった。花澄有理に嫉妬する気持ちを衝動に変えたのも最悪だった。こんなことしたら、母さんと父さんにはもう会えないんだろうな。死んだ後、有理くんに謝ることはできるのだろうか。
視界が白んで、ぼーっとする。耳鳴りがして、ドクドクと脈打つ感覚が響く。このまま力を込められ続ければ、死ねる。
この人を傷付けて、孤独に縛り付けてやりたい。西垣洸という人間のこと以外考えられないようにしてやりたい。
けど、やっぱり──この反応を見るに、花澄有理には勝てないんだ。
意識を手放す間際。首を絞める力が無となり、いきなり供給された酸素にむせ返る。コウは激しく咳き込んで、体を捻って床でもがいた。
理一が立ち上がり、ゴミを見るような目でこちらを見ていた。
「二度と有理に関わるな」
その目を見て、失敗したことを理解する。
──この人は、いつになったら俺を殺してくれるんだろう。
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