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【3部】第1話 嫉妬と最愛

 ──結局、死ねない。  長い時間、壊れるくらいの激しい衝撃を存分にぶつけられたせいで、体の内側がヒクヒクと痙攣している感覚が続いている。理一は片腕でコウを抱きかかえ、地上につながる階段を登り、もう片方の手でスマートフォンを取り出した。すぐに微かなコール音が聞こえてくる。 「夏木」  呼ばれた名前は、知らないもの。  コウは理一の首に縋りついて、体重の全てを預けながら会話を盗み聞きするべく耳を澄ませていた。 「ごめん、ちょっと今から迎えに来てよ」「いや、違くてさ……前に誘ってきただろ、例の件」 「そう、すぐに日本を出たいんだよね」「あ、悪いんだけど、もう一人分パスポート作ってくれよ」「それは後で話すよ」「工場分かるだろ? なるはやで来いよ」  理一は上機嫌に話していた。  相手の声ははっきりと聞こえず、返答がどんなものだったか何も分からなかった。理一の言葉を聞く限り、国外逃亡のサポートをしてくれる頼もしい存在であることは確かだ。そして、誰にも頼らないこの男が、心から信頼して横暴な依頼をしているのを見るに、気の置けない間柄。  通話が終わり、理一がコウを抱え直す。散々に吐き出された白濁はまだ身体の中に残っていて、下着を汚していた。理一に抱えられることで肌と衣服が密着して気持ち悪さが拭えなかった。熱い息を吐いて、ぎゅっと理一の首に縋り付く。 「夏木の部屋でシャワー借りよう」 「……誰」 「僕の友達」  ──理一さんに、友達なんて居たんだ。  信頼できるビジネスパートナー程度の人間だろうと思ったが、実際は違った。花澄理一という歪な存在を支える柱の役割を果たしている、かけがえのない友人。自分よりもきっと深い繋がりがある、替えの利かない存在。  また、自身の無力さを目の当たりにして、胸が締め付けられていく。再び、ぽたぽたと温かい涙が頬を伝う。一度泣いてしまうと、ちょっとしたことで心が揺れ動いて、溢れてしまうことを初めて知った。母さんと父さん、じいちゃんが死んだ時でさえ涙なんて出なかったのに。心なんて、どこにも無かったはずなのに。  花澄理一という存在は、俺の奥深くまで侵食して、透明だったものをどす黒く染め上げてしまう。その上から他の色を被せても意味がない。この人だけが、俺の全部。なのに、この人にとっては、違う。  しゃくりあげると、理一が背中を優しく摩ってくれる。その手にまで依存心が芽生え、独占欲が根を張る。全部欲しいのに、手に入らない。その事実に、何も受け入れられなくなる。泣き疲れて呆然としていると、車のエンジン音が聞こえてきた。  理一は「自分で立てる?」とコウを地面に下ろすと、すぐに手を握って廃工場の外に出た。見上げれば、夕暮れの空が浮かんでいる。薄暗い地下にいたせいで今が真夜中だと錯覚していた。  視線を下ろすと、シルバーのボックスカーが留まっていた。中から明るい茶髪に黒縁の眼鏡を掛けた平凡な青年が出てくる。この人が〝夏木〟だろうか。 「久しぶりに連絡よこしたかと思えば……ほんと、人使い荒いな。お前らしいけど」 「悪いね」  理一はヘラヘラと笑い、夏木を遮って許可なく後部座席にコウを乗せ、自分も乗り込む。その様子を見た夏木が大きなため息をついた。 「組長には話したのか?」  夏木が運転席に座り、シートベルトを閉めながら問いかける。理一は背もたれに肘をついて外を眺めていた。 「話すわけないじゃん」  車が発進して、景色が動き出す。 「そうだよなぁ……あの人のことだ、きっと追いかけてくるぞ……そんときはどうすんの」 「来ないよ。さっき殺したから」  さらりと告げられた内容に夏木が言葉を失い、バックミラー越しに理一を見据えた。 「お前……」  理一の手がコウの肩を掴み、抱き寄せる。 「だから、この子と逃げんの。高飛び」  コウは身も心も磨耗しており、ぼんやりとした意識から抜け出せなかった。人形のように理一に体重を預けて、意味もなくどこかを見つめていた。 「その子は?」 「うーん……なんて言えばいいのかな」  理一が顔を覗き込んでくる。それは、嬉々としながらも歪んでいて、支配欲に満ち満ちている。 「友達でもないし、恋人でもないし……もちろん、家族でもない」  胸に突き刺さる言葉。 「僕たちの関係ってなんだろうね?」  コウは理一から目を逸らした。 「なんかよく分かんないけど……彼、体調悪そうだけど大丈夫?」 「大丈夫だよ。この子、意外とタフネスだから」  二の腕を摩っていた手が這い上がって輪郭を撫でてくる。手持ち無沙汰ゆえに触れているだけの所作。  理一は「部屋着いたらシャワー貸してよ」「あと、返り血ついちゃってさ、この服も着替えたら処分してほしい」「そうだ、コンビニで僕たちの下着も買ってきてよ。こんな身なりだから人目につくとまずいんだよね」と、一方的に夏木に要求を積み重ねていた。 「本当に人使い荒いな!」 「その分働いて返すからさ」  理一の涼しい顔を見て、再びため息をつく。  夏木の住処は東京都内ではないようだった。一時間ほどかけて移動した部屋は、なんの変哲もないマンションの一室。鍵を開けると、真っ先に我が物顔で侵入した理一を夏木が目を細めて睨んでいる。  コウが最後に玄関に入り、サンダルを脱ごうとした時。 「君、名前は?」  優しく、穏やかな表情で問いかけられる。悪意を感じない微笑みを見たのが久しぶりだった。 「西垣です」  フルネームで答えるべきだったかと再び口を開けると、夏木が愕然として頭の中で何かを探す素振りを見せる。 「西垣……」  ハッとすると、夏木は一足先にリビングにいた理一を追いかけた。 「おい、理一」 「んなことより、風呂貸してってば。身体中ベトベトで気持ち悪い」  夏木は口をハクハクと動かしてから肩をすくめ、舌打ちをした。 「……はいはい、どうぞ」  理一のこういった態度に慣れているのだろう。諦念を漂わせ、手のひらを表にしながら風呂場を指した。 「着替えはー?」 「あー、もう……ちょっと待ってろ」  夏木は自室から部屋着を2セット持ってくると、理一には乱暴に押しつけ、コウには優しく手渡した。 「パスポート、二日はかかるぞ」 「二日か……際どいな。まぁいいや」  偉そうな態度をとる理一に心底イライラしていた夏木だが、コウの肩を抱いて一緒に風呂場の方角を向くと呆気に取られる。 「い……一緒に入るのかよ……」 「そうだけど。変?」 「変だろ!」  理一はキョトンとしてから「変だってさ〜」と笑いながら、そのままリビングを出ていく。 「どうかしてる……」  夏木の呆れた声が背中越しに聞こえた。  短い廊下を歩き、脱衣所につながる扉を開ける。理一のマンションの風呂場よりも少し広い。  服を脱がされ、二の腕を掴まれて引きずるようにシャワールームに押し込まれる。すぐに暖かい湯をかけられ、ぼんやりとする感覚に拍車がかかる。乱暴にこじ開けられ、核まで叩き潰された心は決して温まることはない。凍えたまま、変わらない。  自らの意思などすでに削がれて、自分は理一だけの人形も同然だった。理一は優越感を漂わせて、まるでお気に入りの玩具を甲斐甲斐しく手入れするようにコウの髪を洗い、体を洗っていく。見上げる顔はやはり機嫌が良くて、自分とは対照的だった。  使ったことのないボディーソープの匂いに包まれながら、従う程度には意思のあった心さえも略奪され、何もかもがされるがままになる。 「コウくん、英語は喋れる?」  声をかけられて、ようやく自我を取り戻す。返事の仕方を忘れて一瞬固まるが、なんとか首を左右した。 「どっちにしろ、英語圏じゃないから多少は不便するんだけどさ」  シャワーを当てられ、泡が足元を流れていく。 「でも、日本じゃ考えられないくらい治安悪いからなぁ……そもそも、コウくんのこと外に出してあげられないかも」  低い位置にあるハンドルをキュッと捻り、湯を止めた理一が下から見上げてくると、すぐに立ち上がって見下してくる。 「それでもいいよね」  シャワーヘッドをフックにかけ、コウの頬に触れる。殴られた箇所にはやはり痛みがある。 「返事は」  抑圧してくる瞳に自分が映り込む。この人の望む姿を維持しなければいけない使命感はまだ残っている。そんなことをしても、この人から一番に愛されることはないのに。 「……うん」  言うと額に口付けられて、濡れた髪を撫でられる。  ふと、内股を白濁が伝う。理一がそれに気がつくと、コウの体をひっくり返し、壁と向き合うようにして、中に指を挿れる。生々しい音を響かせて、中を抉られる。  コウは両手で口を押さえて、その責苦を耐え忍んだ。精液を掻き出されているだけなのに、指に吸い付いてしまう。  ぐちゅぐちゅと粘膜の擦れる音に犯されたあと、指は呆気なく引き抜かれた。背後から耳元に近づく吐息。 「息んで」  言われた通りに力を入れると、出されたものがほとんど押し出される。 「いっぱい出しちゃったな」  また湯を体に当てられる。  肩で息をして震えていると、理一が小さく笑う。後ろを振り返ると、大きい体が覆い被さって、その様を吟味するように、楽しむように見下ろしてくる。  コウは無表情のまま、視線を返した。  この人に辱められて、おもちゃみたいに扱われるのは嫌いじゃないのに、心のどこかで反発している感情もあって、バラバラになっていく。自分の中にある矛盾を飼い慣らすには、どうすればいいのだろう。  脱衣所に出て、バスタオルで体を拭われる。気がつけば、微かに染み付いていた血の匂いも綺麗に消え去っていた。  ──そういえば、自分はさっき人を殺したのに。  そんな重苦しい事実よりも、花澄理一への感情が占めているのは、どう考えても異常だった。

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