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【3部】第5話 企み
たどり着いたのは、いつも過ごしている部屋の向かいにあるアパートだった。
理一の部屋と違って、新しい建造物であることが見て取れる。セキュリティ面も万全で、良い暮らしをしているらしい。
夏木はベルトループからキーフックを外して貴重品を机の上にポイと投げると、振り返った。
「なんで外に出たの?」
コウはぎこちなく夏木の後ろをついて歩き、所在なさげに片腕を抱いていた。
「……なんとなく」
「なんとなくって……さっきので分かったよね? 君みたいな子は格好の獲物。犯罪に巻き込まれるよ。大袈裟で言ってるわけじゃない」
叱るような語気で詰められるが、コウは正直反省など微塵もしていなかった。この人が来なければ、自分は今頃──。
「あーいや、もう巻き込まれてんのか」
夏木は大きなため息をつくと、「座りなよ」とコウをダイニングテーブルにつかせた。言われた通りに着席すると、夏木がアップルジュースをグラスに注いでもてなしてくれるが、これはデジャヴというやつだろうか。
感慨深く思いながらグラスを受け取り、夏木をじっと見つめる。
「夏木さんも筿原組の人?」
問いかけると、夏木が声を出して笑う。
「違う違う、俺はそういう義理だの人情だの宣うめんどくさい組織には入んないよ」
しばらく水分補給をしていないことに気がついて、コウは一気に半分までアップルジュースを喉に流し込んだ。視界の隅で夏木がテレビをつけると、サブスクリプションで日本のドラマを再生する。久しぶりにテレビから日本語が聞こえてくることに、どうしてか安堵している自分がいた。
「理一さんとはどういう関係なの」
夏木も向かいに腰掛けると、テレビを見ながら「うーん」と小さく唸った。
「腐れ縁かな」
夏木は微笑みながらも、油断ならない気迫を滲ませ、それは少し威圧感があった。
「君の目的はなに?」
コウはグラスに口をつけたまま、無表情を浮かべて視線を返す。
「何か企んでるよね」
「……俺の身に何か起きた時、理一さんの心に傷がつくのか気になっただけ」
半分は本当だけど、半分は嘘。ただ、この世界から逃げ出したい。その本能に従ったというのが正解だった。
「うーん、病んでるね!」
夏木は頬杖をついて、呆れながら笑っていた。
「でも、本当は分かってる。理一さんにとって俺はただの道具だから……俺が消えてもあんまり困らないと思う」
アップルジュースを全て飲み干し、テーブルに空のグラスを置く。夏木は相変わらずこちらを凝視していた。
「道具扱いしてる子にここまで神経質になるかね」
「俺は理一さんの一番にはなれない」
「……君はすでにアイツの一番に見えるけど」
「俺は生きてるから」
感情の宿らない声で淡々と告げる。
「生きてる人間の中でなら、理一さんにとって俺は一番だと思う。でも、それじゃダメなんだ。どんなものよりも、一番に……大切に思われたい」
──花澄有理よりも、大きな存在になりたい。
どうしてこんなことを話しているんだろう。夏木という人間は、コウにとって気心知れた者ではない。むしろ、警戒すべき人間。なのに、どうして。
──誰かに、この気持ちを共有したくて、後先考えずに頭の中をぶちまけてる。
「君、おかしいんじゃないの」
ピシャリと冷や水をかけるような、冷たく突き放す言葉が降りかかる。
「アイツは君の両親を殺した男だろう。そんな奴を愛するのは、おかしいよ。イカれてる」
──自分はこの男のことを何も知らない。だけど、この人は俺のことを知っている。
花澄理一に惹かれた理由。感覚だけが心にあって、明確な理由を考えたことがなかった。
コウは空のコップを見つめながら、自分の心を解体していく。
「あの人だけが、俺の存在に気がついてる」
ぽつりと呟くと、夏木が怪訝な表情を浮かべる。
「俺という人間を隈無く見て、全部を支配してくれる。俺に、囚われてくれる」
自分は、彼と出会う前まで幽霊みたいなものだった。まともに意思を示さず、ただそこにいるだけ。飯を食って生きろという祖父の言いつけだけを守って存続する抜け殻。そんな自分に役割や意味を持たせて、存在を強く意識してくれた。執着してくれた。甘美な終焉を夢見させてくれた。不器用な心で必死に絡みついて、縛り付けて、この命も体も全部を独占しようと雁字搦めにしてくる力強い腕。己の世界に閉じ込めようとしてくるその様が愛おしくて、そんな彼を余す所なく全部自分のものしたい。
──俺以外、誰のことも見ないでほしいのに。
それは結局、叶わない。
コウは理一への想いに胸が張り裂けそうになりながら、息苦しく紡ぐ。
「あの人は特別なんだ」
夏木はコウの持つ異常性に反応しきれずにいるようだった。
「はぁ……理解できないよ、その独特な思想」
そう言って席を立ち、テレビの向かいにあるソファに腰掛け、コウの話にはもう耳を傾けたくないと言わんばかりにテレビの視聴に集中する夏木。
しばらくコウもテレビに気を取られていると、それを遮るように夏木のスマートフォンが突然大きな着信音を鳴らす。
「もしも──」
夏木が応答すると、すぐにぎこちない反応を示した。
「怖いなぁ……違うって、保護したんだよ」
コウはダイニングテーブルから立ち上がり、夏木の隣に腰掛けて耳を澄ませた。何を言っているのかまでは聞こえないけれど、理一の声がする。
「お前の連れはずいぶん破天荒なんだね、もう手に負えないや。仕事終わったなら早く迎えに来いよ──しなっ、しねぇよ、バカが! いいから早く来い! 部屋の番号わかるよな、秒で来い」
コウは無意識に身を乗り出して、少しでも理一の声を聴こうと夏木に体を寄せていた。夏木は舌打ちをすると、通話終了ボタンを押下した。
「理一さん?」
「そうだよ。仕事終わったからこっち来るって。良かったね」
コウは心の底から安堵して、今すぐにでも理一に抱きつきたい気持ちに駆られていた。それは無表情の顔には一切滲むことのない感情だった。ふと、違和感を思い出す。
「そういえば、なんで俺が部屋を出たことが分かったの」
問いかけると、夏木の目があからさまに泳ぎ出す。
「えーっと……言っていいのかな。一応あの部屋の玄関にセンサー置いてあるんだよね。反応あったら出動するようにって理一くんが」
確かに、あの理一が何の対策もせずにコウを一人置いていくわけがなかった。しかし。
「なんで場所まで分かったの?」
まだ謎が残っていて、コウはそれらすべてを解明したかった。
「うーん……なんでだろうね? まぁ、真相は君のダーリンに聞きなよ、ベラベラ喋ると俺が殺される」
歯切れ悪く、はぐらかされて終わった。
場所の特定に使えるものといえば──監視カメラか、GPSだろうか。GPSなら、どこに仕掛ける? スマートフォンは愚か電子機器など何ひとつ買い与えられていない。持っている服全てに仕込むのは現実的ではない。決まって身につけるものは──靴。もしかしたら、サンダルに仕掛けられているのかも。
コウは確認しようか迷ったが、確認したところでどうしようもない。仕掛けられてるなら、それは愛や所有欲ゆえだし、悪い気はしなかった。
理一が自分に向ける欲や執念を感じ取ると、嬉しくてたまらなくなる。蔦の如く纏わりついていた不安が次第と消えていく。
ドラマがクライマックスに差し迫った時、玄関から音がする。
「おっ、やっと帰ってきた。良かったね」
夏木に頭をくしゃくしゃに撫でられ、一つの衝動が湧く。理一の足音が近づくと、それは肥大化して、形となっていく。
──あの人を困らせてやりたい。
咄嗟に夏木の首に腕を回して、そのままソファへ後ろ向きに倒れ込む。
息がかかる距離に夏木の顔があり、それは状況をうまく飲み込めずに、ポカンとしている。
程なくして、リビングの扉が開かれた。
現れた花澄理一は、窶れていても相変わらず端整で、存在感があった。
コウは久しぶりに見た理一の姿に胸がいっぱいになる。それと同時に、放置されたことへの当てつけで理一を深く傷付けたいという衝動を抑えることができなかった。
理一は目の前の状況に瞠目し、「は?」と間抜けな声を出した。徐々に空気が凍てつき、白けていく。理一の瞳が暗くひずみ、それは肩にかけた大きなボストンバッグに向き、静かな手つきで中を漁り出す。
「お前はそうやって人のモンに手ぇ出すんだ」
理一はバッグの中から銃を取り出して、シリンダーに弾が入っているかの確認作業を手早く済ませた。
「へっ⁉︎ あっ……は⁉︎ 待て待て待て待て、これっ、違」
首に絡みつくコウの腕を剥ぎ取り、身振り手振りで弁明しようとする夏木に対して、理一は容赦しなかった。カチリとハンマーを落として夏木に照準を定める。
「理一‼︎」
夏木が叫ぶと、理一が眉を寄せて銃口を少しずらした。
「落ち着け、一旦カメラチェックしよう。俺は無実だ」
理一は一瞬、夏木の言葉を信じるか信じないかで葛藤し、数秒後、慎重にデコッキングをする。
ホッとして、夏木は自室まで理一を連れていくと、PCモニターで監視カメラ映像を再生して無実を証明し始めた。その後ろ姿をチラリと見てからコウはリビングに戻り、部屋の四隅を確認すると確かに監視カメラがついていた。
──帰ったら、それ相応の罰が与えられるんだろうな。
理一に触れてもらえるなら、それでも良かった。
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