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【3部】第9話 湯気
夏木の部屋にはなんでもある。コーヒーメーカーやテレビゲーム、漫画や小説、トレーニングマシーン。だけど、流石にベッドは一つしかなかった。
夏木が申し訳なさそうに「こういう時のために簡易ベッド買っとこうかな」と言ってくれたが、コウは「これからもソファでいい」と断った。
顔を洗い、歯を磨いてからぼんやりとテレビを見つめる。夏木はサブスクで日本の番組ばかり見ていた。理一は洋画をたくさん見ているイメージがあって、バラエティ番組を見る時は常に退屈そうだった。
──理一さん、今何やってるんだろう。
「洸くんって朝ごはん食べる人?」
思考を遮るように夏木が尋ねてくる。
「うん」
「じゃあデリバリーでも頼むか。どれがいい?」
夏木がタブレットを手渡してきて、フードデリバリーアプリを起動してくれる。朝から食べるにはハードすぎるものばかりが一覧に並んでおり、それは全て気分に合わない。救いを求めるように夏木の部屋の冷蔵庫を凝視する。
タブレットを無言で夏木に返し、勝手に冷蔵庫を開けると、意外にも食材が入っていた。コウは夏木を振り返った。
「冷蔵庫のもの使っていい?」
「いいけど……なんか作るの?」
「うん。夏木さんも食べる?」
「えっ、いいの?」
「夏木さんのお金で買った食材でしょ」
「まぁ、そうだけど……」
食材がこんなにあるということは。
「夏木さんも料理するんだ」
「あぁ、たまにね。君が来なければ昨日の夜はこれ使って料理しようかなって考えてたんだけど」
確かに、昨日の夜もデリバリーだった。いきなり理一に子守を押し付けられたのだから、おちおち料理などしていられなかったのだろう。
コウは冷蔵庫から卵とソーセージを取り出し、冷凍庫を開けるとカチコチに凍りついたロールパンが出てきた。朝ごはんはこういうのがちょうど良い。
冷凍庫をさらに漁ると、温野菜の冷凍も見つかる。
「理一にも作ってあげてるの?」
「うん」
「……アイツって独占欲強いだろ。これがバレたら、俺……やばいよ」
「バレてもお仕置きされるのは俺だから平気だよ」
コウは手際よく卵を焼き、ソーセージにも火を通した。それを夏木が真横で見守っている。
「お仕置きって……何されんの? まさか……殴られたりとか?」
「最近は拳で殴られたり、首絞められることは減ったけど……理一さんに逆らうと乱暴に犯されるのは変わらない」
パチリとソーセージの下に敷かれた油が跳ねる。
「理一さんはそういう支配的なセックスが好きなんだと思う」
皿にソーセージと目玉焼きを乗せて、コンソメスープで煮込んだ温野菜を味見してからスープボールに注ぐ。ちょうどトースターがチンッと間抜けな音を鳴らしてロールパンを焼き上げていた。
「理一さんって、昔から性欲強いの?」
淡々と調理をこなしながら淡々と質問すると、夏木の表情がぎこちなく固まっていた。
「いやぁ……むしろ淡白な方だったと思うけど……」
「そうなんだ。いつもしつこいから、昔からこうなんだと思ってた」
皿をダイニングテーブルに持っていくと、続いて夏木がスープボールを持ってきてくれる。
「なんていうか……つらくない? そうやって好きな人に性欲処理として使われるの」
夏木が複雑そうに問いかけてくる。
性欲処理の道具。他人に言われて、改めて実感する。
「俺は、あの人に酷くされるのが好きだから」
「えぇ……なんで?」
心底理解ができないという目を向けられるのは何度目だろうか。コウは湯気が立つスープの水面を見て、理一のことを思い出す。
「酷くされると、俺はあの人のものなんだって実感できて……嬉しい」
必死に求められることが、たまらなく嬉しかった。あの悍ましい征服欲の裏にあるのが愛だと知っているから。
満更でもないコウに夏木はドン引きしていた。
「ずいぶん肝が据わってるね……いや、変だよ普通に」
「でも最近は……分からないかも」
同時に、理一と筿原の言葉を何度も思い出す。
『僕の一番は有理だから』
『君の代わりは、探せば簡単に見つかるの』
愛されても、一番じゃない。
「俺は、あの人の所有物であることを嬉しく思う反面、大切にされない事実にムシャクシャしてる」
スープの水面に映る自分は、やっぱり醜かった。
「俺は、理一さんのこと愛してるのに。世界で一番なのに」
醜さを自覚しても、この心が変わることはない。
そんなコウをスルーするように、夏木が「いただきまーす」と言ってソーセージにフォークを刺した。
「あんな奴のどこがいいのかねぇ……」
夏木は表面がこんがり焼けたロールパンを頬張りながら、面白くなさそうにテレビに目線を向けていた。
「昔っから女のいるところに行くと、みんな理一のところに集まって、み〜んなアイツのこと気に入るんだ。俺だけ放置されてさ。……やっぱ顔か?」
──ホテルにいた時も手慣れてた。童貞も早くに捨てたと夏木が言っていた。理一のことを好みに思う異性は、この世界に溢れている。自分は子供を産めないし、一緒にいたところで泥舟だ。
──悔しい。
夏木がコウの無表情にしばかれたように萎縮して、フォークを置いた。
「ごめん」
突然謝られ、顔にハテナを浮かべる。
「洸くんって結構嫉妬深いよね」
言われて、我にかえる。
「……そうかも」
この感情も、嫉妬。
夏木はちゃんと人を見ている。自分でも気付かなかった感情を指摘してくる。
観察するように夏木を見るが、ただ美味しそうに食事をしているだけ。
「理一も嫉妬深いしな……いや、あれは嫉妬なんて可愛いもんじゃないけど……似たもの同士、お似合いだな」
お似合いと言われて、どうしてか冷え切っていた心が少しだけ熱を取り戻す。
昔から何を考えているか分からないとよく言われるが、夏木は過去に出会った人とは違って、明確な技術を持っている気がする。人身掌握術に近いスキルを。
会話が一旦止み、食事に集中していた時。夏木のスマートフォンが着信音を鳴らす。「ごめんね」と一言告げて、夏木が応答した。
「はーい……」
夏木がフォークを皿の上に置き、部屋の壁にかかっているカレンダーを振り返る。
「うげ、今日だっけ?」
夏木がテンパりながら部屋の隅にあるデスクに駆け寄り、何かを確認していた。
「え〜……ちょっと今子供預かってんだけど」
──子供って俺のことかな。
子供扱いされることにも慣れて、今では別に訂正させようとも思わない。
「まぁ、いいか……はいはい分かりましたよ、お前の大好きな茶菓子用意しとくよ」
夏木がため息をついてダイニングテーブルに戻ってくる。
「ごめん。ちょっとだけ知り合いが上がり込むんだけど、嫌だったらあっちの部屋行ってな」
「……嫌じゃなかったら此処に居ていいの?」
「いいよ?」
仕事仲間じゃなくて、ただの友達だろうか。通話中の言葉遣いも親しげだった。
考えながら、食べ終わった食器を流しに運ぶ。ダイニングテーブルに取り残されたコーヒーを飲むため、再び席について口をつけた時、ふと違和感を察知する。
そういえば、夏木さんは日本語で会話してた。つまり、来客は日本人。
──もしかしたら、理一さんの知り合いかもしれない。
どんなことでも、すぐに理一を知るための手掛かりとして捉えてしまう癖がついている。
きっと、あの人を深く愛しているからだろう。
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