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【3部】第10話 代償対価

 ──来月、理一さんの誕生日だよね。そこで終わりにする。  西垣洸のまっすぐな瞳と言葉が、呪いのように常に胸にもたれかかってくる。  密輸の荷が半分に減った車の中で、シートを倒す。外は真っ暗で、あと少しすれば日が昇る時間帯だった。  あんなことを言われた後に一週間がかりの仕事を任されて、正直気が狂いそうになっている。こうやっている間にもタイムリミットは近づいていて、焦燥感でじっとしていられない。  どうすれば、あの子を縛り付けられる。二度と離れないように、手元に置いておくにはどうすればいい。絶対に逃したくなかった。  捕まえても捕まえても、するりと腕の中から抜け出して、手の届かない場所までふらりと伸びていく小さな影。  理一は衝動的にスマートフォンを起動して、とある人物に電話をかけた。  元外科医にして元筿原組の構成員。同じく夏木を介して組を離れた男。同じ仕事を続けているのなら、今もこの国のどこかにいることになる。  賭けをする気持ちで呼び出し音をしばらく聴いていると、ブツリと途切れた。 『はいはーい』  上機嫌な返事がして、電話番号と本人が無事生きていることに安堵した。 「佐野」  佐野巧美。ひさしぶりに聞いた声は、昔と変わっていなかった。 『あれ、久しぶりじゃん。珍しいね、電話してくんの』 「ちょっと相談あんだけど」 『え、なに』 「どうしても捕まえておきたい子がいてさ……足ダメにすんのにいくらいる?」  落ち着いた声音で現実的ではない問いかけを真面目にすると沈黙が流れる。 『……なんじゃそら。拷問の一環? どうせ最後には殺すんでしょ、意味なくない?』 「殺さない」  食い気味に言うと、佐野が小さく唸った。 『生かすなら尚更めんどくさいよ? 主に介護が。アンタちゃんと世話できんの』 「気持ちではお世話できるんだけど、あいにく金も時間もないんだよなぁ。だから、とりあえず相談してんの」  佐野が大笑いする。 『筿原組の若頭ともあろう者が、情けないねぇ。後先考えず決断しないだけ偉いけど』  理一は眉根を寄せて、眼光を鋭くした。 『そういや、組が今ヤバいことになってんじゃん。平気なの?』  触れてほしくないものに躊躇いなく触れてくる図太さに苛つく。 「知らない。どうでもいい」 『あっそう』  佐野巧美という男は、昔からデリカシーがなかった。医者としての腕は確かだが、性格に難がある。  理一はため息をついてから気を取り直した。 「で? 金はいくらかかる」 『話が見えないんだよなぁ……それは何? 惚れた女の腱を切りたいっていう相談?』 「……まぁ、そんなとこ」  説明がめんどくさい。大きな誤解が生まれない限りそれでいいや、という気持ちにさせられる。 『あはー、なるほど。『捕まえておきたい』ってことは……相手はお前から逃げたくて仕方ないんだ? わはは、ダメじゃん。好きな子には優しくしないと。嫌われちゃうよ……あ、もう嫌われてんのか』  額に青筋が浮かび上がる。 「黙れ」 『ねぇ、それってカタギ?』 「……ああ」  揶揄ってきたり、真摯に受け答えをしたりで、佐野という男には調子を狂わされる。 『ふーん……じゃあ三千万でやったげるよ。もちろんアフターケアはナシね。介護サービスとかウチやってないんで』  理一は倒していたシートを起こして、髪を掻き上げる。 「三千万か……来月までに用意できるかな」 『え、マジでやる気? やんない方がいいって、その子のこと大事なら』  言われて、ふいにコウの横顔を思い出す。  コウから足の自由を奪えば、彼はもうキッチンに立つことができなくなる。すなわち、彼の作る食事を口にすることもできなくなる。  コウから抱きついてくることも無くなる。  一緒に夜のスーパーにアイスを買いに行った日が思い出の中に閉じ込められる。  足を失うだけで、今まで傍に居た西垣洸の存在が消えてしまう。  想像して、怖気付く。 『もう少し悩みな』  佐野は何かを察したように、諭すように言って電話を切った。  でも、じゃあ。  どうすれば、あの子をこの世界に繋ぎ止めることができるんだ?  なにも、分からなかった。

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