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【3部】第20話 消えない追憶

 車の外で、理一さんの声がする。  撃たれたばかりの時は痛みを感じなかった肩が、時間が経つにつれて疼痛を伴うようになっていた。こんな痛みは生まれて初めてで、コウは理一の声に耳を傾ける一方で、体を動かすことが億劫になっていた。  ぼんやりとしていると、まるで目覚ましのように大きな音が響き渡る。銃声だった。  何かがぶつかり、バタンと倒れるのを車の揺れから感じ取る。男が、理一に撃たれたのだろう。 「コウくん」  理一が血相を変えて後部座席までやってくる。今朝まで一緒にいたというのに、まるで数日ぶりの再会のように思えた。理一の焦がれるような熱っぽい視線を浴びて、張り詰めていた心が急に解凍されて、気が抜けてしまう。 「理一さん……」  魘されたように呼びかけると、理一が車から外へコウを連れ出す。肩の痛みはあるけれど、今は歩けないほどではない。 「撃たれたの」 「うん……でも、平気……」  思わず理一にもたれかかり、熱い息を吐き出す。立ち上がって分かったが、思ったよりも体力の消耗が激しかったらしい。 「理一さんは、平気……? 怪我はない……?」  見上げて、血の気の引いた理一の頬を撫でる。 「ないよ……」  コウは本格的に安堵して、また理一の胸に縋りつく。 「穂高さんが、言ってた……理一さんが、抗争に参加するって」 「……するわけないだろ」 「ごめんなさい……俺、やっぱり騙されたんだ」  迷惑をかけたことに罪悪感があるが、それ以上に抗争と理一が無関係であることが証明されて、心が穏やかに凪いでいる。 「理一さんがいなくなるのが怖くて……頭の中が理一さんのことでいっぱいになっちゃって……後先考えずに飛び出しちゃった……ごめんなさい」  コウは理一の心音を聞きながら安らぎ、ポツポツと胸のうちを曝け出す。 「無事でよかった……もう、全部どうでもいい」 「これで僕の気持ち、分かった?」  理一が切羽詰まった表情で、苦しげに訴えかけてくる。 「君がしようとしてるのは、そういうことだよ……君がいなくなったら、僕は──」 「うん……」  コウは理一が言い終わる前に遮った。 「すごく、最悪な気分……でも、俺はそうやってあなたを傷つけたい」  うっすらと口角を上げると、理一の瞳には動揺や狼狽のような感情が浮かび上がっていた。それをさらに揺さぶる。 「早く、理一さんの誕生日にならないかな……」  ふと、夏木に頼んだ指輪の存在を思い出す。  ──夏木さんは、約束を守ってくれるのかな。あの指輪がないと、自分はこの人の記憶にとどまることができないのに。 「逃げるよ」  理一は、一度思考を止めたかのように、しゃんとした面持ちでコウの手を握った。 「組の奴らがここまで追いかけに来た。もうここにはいられない」  痛みと共に踏み出す。 「これからも君と一緒に生きてく。例え、君から大事なものを奪ってでも」  理一は、覚悟を決めたように強かな目をしているのに、苦しそうで、泣き出しそうな子供のような切実さもあった。 「愛してるよ」  そう囁いて、頬を撫でてくる。  コウは理一らしからぬその表情に気を取られた。同時に、自分はこの人を深く愛していることを思い出し、自覚させられた。  ──でも、一緒には生きていけない。  ──どんなに必死になっても、生きていたらあなたの一番にはなれないから。  刹那。  ゆらりと何かが立ち上がる気配があった。亡霊を彷彿とさせるその影に、筿原治の存在を重ねてしまう。  コウは弾かれるように気配の先を見遣る。  銃口。  会話を盗み聞きした時に知ったこの男の偽の名前──矢薙が口から大量の血を流し、血まみれの状態でこちらを睨んでいた。照準の先は、花澄理一。  体が、勝手に動く。  ──嫌だ。  ──この人は、俺のことを記憶に刻んで、ずっと、独りで生きていてほしい。  ──俺が壊れても、ずっと。  ──生まれて初めて、心の底から愛した人だから。  コウは理一を庇うように前に立ちはだかり、盾となる。  次の瞬間には、銃声が轟いていた。  胸に穴が開く。痛みはまだ感じない。けれど、じわじわと血が流れ出す、熱くてひんやりとした感覚を体に味わう。耳鳴りがして、時間の流れがゆっくりに感じられる。  矢薙は最後の力を振り絞ってトリガーを引いたようで、そのまま床に倒れて、目を開けたまま事切れた。  コウも地面に膝をついて、そのまま前に倒れ込む。  視界に映る赤。さっきの小さな血溜まりとは比にならないくらい、大きい。これが全部、自分の体から出ていることが信じられなかった。  母さんと、父さんが死んだ日と一緒──そうだ、母さんと、父さんともう少しで逢えるんだ。  心のある場所に、やっと還れる。 「コウくん……?」  理一に名前を呼ばれて、違和感を抱く。  今自分の胸には──確かな心があるのに。  新しく芽生えた心が、体から引き剥がされてしまう。  ──これが、俺の望んだこと?  理一が愕然として、コウを抱き抱えた。 「コウくん……」  返事をしようとして、胸から込み上げた血に咽せ込む。血が溢れ出し、口元を汚した。息がしづらい。  コウは胸に手を当て、自分の血を見つめた。  ──君、死相が出てるよ。  佐野の勘は、本物だったらしい。  見上げた理一の瞳には涙が滲んでいて、目の前の現実を受け入れられずに取り乱しているように見えた。まるで、大切なものを奪われることに怯えて、無様を晒すような──。  この顔。  理一さんは怯えてる。悔やんでる。苦しんでる。俺がいなくなることを怖がってる。受け入れられずにいる。  きっと、これから毎日、俺に囚われてくれる。想ってくれる。  ──愛してくれる。  これで、いいんだ。 「俺も……愛してるよ」  喉に血が絡まって、喋りづらい。  持てる力を振り絞って、理一の首に縋り付く。  理一の口に血濡れた唇を重ねて、舌を捩じ込む。消えゆく鉄の味を理一に知らしめ、憶えさせる。二度と忘れられないように。  口を離すと、理一の唇が赤くなっていた。瞳からは涙がとめどなく、静かに流れてる。  その事実に胸が満たされていく。  徐々に視界が霞んで、腕は脱力し、身体が理一の胸にずりおちた。  朧げになっていく意識の中で、自分も後悔する。  指輪、直接渡したかった。

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