14 / 31
第14話 無理
「――グエン?」
呼ばれて、目線をやる。
ジェスと、目があった。
ほっとして、手にした本を閉じる。
「良かった……、つらくないか?」
立ち上がり、今度こそ水差しからカップに水を移す。
「……飲めるか?」
ジェスの目線が揺れて、薄く口が開いた。
「はぁっ……、は……」
声にならない息が聞こえてきて、ぐっと喉がつまる。
カップを置いて、寝台に近づいた。
「……体、起こすぞ」
頭の下に腕を差し入れる。
――熱い。
汗で枕がしっとりと濡れており、服も肩や胸にへばりついて見えた。
体を拭いて、着替えさせた方が良さそうだ。
そう判断しながら、起こした体から腕を離すと、ジェスの頭がぐらりと揺れた。
「――っ、と」
「――わりぃ……」
慌てて支えると、ジェスが小さく謝る。
迂闊に手を離した自分が悪かった。
「俺のせいだろ、ごめん。支えてるから、もたれてろ。な?」
そのまま腕を伸ばしてカップを手にとった。
「持てそうか?」
聞いてはみたものの、力なく投げ出された手のひらを見て、無理そうだと判断した。
ジェスの口元にカップを近づけ、口を開くよう促す。
「な、ほら」
ぼんやりとした目線が、カップの水面を見て、それからグエンの顔を見た。
気づけばグエンは、ごくりと唾を飲み込んでいた。
唇が、ゆっくりと開く。
カップをそっと添えて、ゆっくり、ゆっくりと傾けた。
少しずつ水は流れ込み、ジェスの喉がこくりと動いた。
その瞬間、唇が一瞬閉じて、水が口の端を伝い漏れる。
「――っあ、ごめん」
慌ててカップを戻すと、ジェスはさらに唇を開けた。
チラリと覗く舌が、赤かった。
「いい。――もっと、欲しい」
看病してるだけだ。
ジェスに、水を飲ませている。
それだけ――。
「――ああ。ほら」
カップをもう一度唇につけて、傾けてやる。
人に何かを飲ませるのが、こんなに難しいとは思わなかった。
こぼしてしまわないようにゆっくりと傾けていると、
ジェスの手のひらが、グエンの手の上からカップを掴んで、もう少し傾きを強くした。
指先は熱く、力が入っていなかった。
それでも、ちゃんと飲んでくれたことに、ほっとした。
「……さむ……」
なんとかカップに半分の水を飲んだところで、ジェスが呟いた。
はっとして、ジェスの背中に触れる。
汗を含んだ服が、冷え始めていた。
「着替え……、着替えよう。汗も拭いた方がいい。それ、脱げるか」
クローゼットを指差して、開けるぞ、と声をかける。
ジェスはぽやんとしたままの目線で、グエンの顔を眺めていた。
「クローゼット、開けるぞ?」
顔を近づけて、ジェスの目の前で言ってやる。
ふと、左の頬が温かくなった。
「ああ、――冷たくて気持ちいい」
目の前の顔が柔らかくほどけて、
ジェスの右手に、頬が包み込まれていた。
「――ば、っかお前」
慌てて顔を引っ込める。
普段そんな顔絶対にしないくせに、今の顔はなんなんだ。
開けるからな!と言い放って、クローゼットを開く。
丁寧に畳まれ重ねられた衣類から、ジェスが普段寝巻きに使っているものを見つけ出して、何枚か取り出した。
ジェスの匂いが詰まったこのクローゼットを、何度も開け閉めする勇気は、グエンにはなかった。
「ジェス、脱げるか?」
クローゼットの扉を閉めて立ち上がりながら声をかける。
顔を巡らせると、ジェスは右の手のひらを、自分の頬に押し当てて、じっとしていた。
――無理だろ……。
手にした着替えに顔を隠してしまいたくなりながら、なんとか冷静を保つ。
「顔、熱いか?……冷やすか?」
「……寒い……」
「……だよな」
混乱しながらも、着替えを寝台の脇に置いて、たらいを手に取る。
せめて温かい湯で体を拭けるといい。
暖炉の前、たらいの中で湯と水を混ぜて、少し熱いくらいに調整した。
たらいを持って寝台の方を向くと、ジェスは服のボタンと格闘していた。
敢えてそれ以上目に入れず、サイドテーブルにたらいを置いた。
ジェスの服を、脱がせる?
――無理だ。
布を湯に浸して軽く絞る。
乾いた布は、着替えの上に置いてやる。
これで、ジェスが一人でも体を拭くことができるはずだ。
「――ジェス、水取りに行ってくるな。脱いだ服、そこ置いとい――」
布を置いた手に手を重ねられて、ゆっくりと、ジェスに見上げられた。
重ねられた手に、かすかに力が入って、
――諦めるしかなかった。
「――ボタン、無理?」
ほんの小さくジェスが頷いて、天を仰ぎたくなった。
「見せて」
「――悪い」
いいよ。そう言った声に、何もにじんでいなければいい。
そう願いながら、首元から順にボタンを外す。
途中まで――へそが見える前までボタンを外して、そこが限界だった。
「上から脱げるだろ、手上げな」
ジェスが、見た目にそぐわずものを大切にする性格で、
普段そんな横着なことはしないと知っていたけれど、
柔らかい寝着に包まれた下腹を意識してしまうと、それ以上は無理だった。
――そうじゃない。
そのあと、きっと何度も反芻してしまう。
そういう目で、今ジェスのことを見てしまいたくなかった。
「……ん」
貼り付く布に苦戦しながらも、もぞもぞと袖を抜く様子を見て、もう一度たらいに手を浸す。
まだ十分に湯は熱くて、ほっと息をはいた。
ジェスに寒い思いをさせたくはない。
一度絞った布をもう一度浸し、しっかりと湯を浸透させる。
ぱさりと音がして、ジェスが上を脱いだのがわかった。
布を引き上げて絞り、ジェスの顔を見て、差し出す。
「あったかいうちに拭けよ。脇の下とか、多分汗溜まってるか……ら……」
グエンの言葉に、左の腕を上げて、ジェスが脇をさらした。
薄く生えた脇毛に汗が絡んで、ところどころ光を跳ね返していた。
ほんの一瞬で、そんなところまで目に入ってしまった。
「……ん?」
ジェスの声に、肺の中から、熱い空気がはみ出してきて、
腹の底に、ぐっと力を込めた。
「……熱かったら、――言えよ……」
さらけ出された脇の下、指が触れてしまわないように布を持ち直して、
手が震えてしまわないよう気をつけながら、そっと汗をぬぐう。
くすぐったかったのか、二の腕と胸の筋肉がぴくりと震えて、肩も跳ねた。
「……もっと、強くていい」
「――っ、お前、なあっ」
言いかけて、目があって、
――何も言えなかった。
言えるはずもなかった。
目の前の隣人は、お前の肌に欲情する男だから気をつけろ。
――などと。
ヤケクソになって、ぐいと脇の下をぬぐう。
「――反対」
自分の声が、思ったよりも低く出て、そこになんの欲もにじんで聞こえていないことを願ったというのに、
ジェスはなんの躊躇いもなく体をこちらに向けてひねり、右の腕を持ち上げた。
ため息をこらえて寝台に片手をつき、腕を伸ばして、反対の脇の下に手を差し入れる。
まるで、ジェスに覆いかぶさるように。
「――背中も、いいか」
――背中くらい、いいけど。
そんなことを、そんなふうに耳元でささやくのは、
もう、だめだった。
ともだちにシェアしよう!

