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第31話 喪失
「や……、やめろ……」
硬い声が、グエンを拒んだ。
両腕で頭を覆い隠すようにして、
身を、固く縮めて。
「――っ」
そんなふうに、拒んで欲しくなかった。
ジェスの殻に、手を伸ばす。
掴んでから気がついた。
べっとりと、二人の精にまみれた手のひらだった。
ぬるりとした手のひらで、ジェスの腕を汚して、
その、自分の醜さに、
それ以上、何もできなかった。
だから。
「どう、して……。――俺に」
止められなかった。
「俺、に、」
ジェスの、
――マイカの拒絶に。
言ってはならないことを、
「抱かれにきた、んじゃ」
――違うと、わかっているのに、
口に――。
止められなくて。
腕の隙間から垣間見えた、マイカの、目と、目があって。
そのまま、脱ぎ捨てた服を引っ掴んで、
自室へ続く「扉」へと、
グエンは逃げた。
この日、
グエンは、ディッカーには、なれなかった。
そして。
ジェスは、この日を境に、グエンの世界から、
――消えた。
「お前は、すぐに任官するんだと思ってたよ」
ハネスが、グエンから鍵を受け取りながら言った。
自分も、そのつもりだった。
もとより、ディッカーとなれば、自分に選択の自由はそれほどなかっただろう。
そして、そうでありながらグエンの自由をある程度守ってもくれたはずだった。
だが、一介の魔法騎士ならば、任官を急がされる理由も、
家より仕事を優先する理由も、ない。
「まあ、――縁があってな」
ジェスから逃げた日の翌朝。
隣室の物音に、思わず廊下へ飛び出したグエンが見たのは、
空になった部屋へ、荷物を運び入れる下の学年の生徒の姿だった。
聞けば、ジェスは二日前には退寮しており、おそらく配属先へ移動した後だと言われた。
何も。
何を謝ることも、できなかった。
そのまま、最後の科目の試験を受け、家へと呼び戻された。
予想に違わず婚約の話で、すでにその場にエミリアもおり、
グエンは、その晩エミリアをハーウッド家にとどめ、家へ帰さなかった。
婚約を成立させた後とはいえ、あまりのことにデーテルハイド子爵から、奥方から、侮蔑と怒りのこもった目で見られようと、
グエンには関係なかった。
自分の果たすべきことを、さっさと、果たし切りたかった。
翌朝、エミリアを一度家に帰し、グエンも寮へと戻ってきた。
寮を、引き払うために。
「なんだ、そういうことには興味なさそうだったのに。
フィアンセ、かわいいのか?」
ハネスの言葉に、口の端を歪めて笑う。
「――興味ないことなんてないよ。誰でもいいわけじゃないってだけで」
ひゅう、と口笛を吹かれて、これでも次期子爵殿なんだと思うと、少し肩から力が抜けた。
「なんにせよ、おめでとう。
――俺も、そんなふうになれるかなあ」
珍しく弱気なハネスに、心の底から、餞別の言葉を贈った。
「お前は、お前だろ。俺とは違う」
本当に大切な人と、絆を結べるといい。
ハネスも、――他の奴らも。
その日には、届を提出するだけの慌ただしい婚姻をすませ、
グエンは一週間をエミリアと実家で過ごしたのち、
中央の中では最も討伐遠征の多い騎士団へと、任官することとなった。
たった一箇所、自ら希望して、受け入れを認められた配属先だった。
祝い代わりにと、ハネスに頼み込んで貰い受けた寝椅子だけを配属先の宿舎へ運び入れ、
それから二年、グエンは任務に明け暮れる日々を過ごした。
エミリアは、産月より少し早くに難儀しながら娘――トフィを出産した。
トフィが一歳になる頃には、マドック――同じ魔法騎士科の友――の家へ、子供の養育役として奉公に出るようになった。
トフィはかわいらしく、グエンは年に数回しか会わない薄情な父親ながら、心から慈しむことができた。
マイカのために用意した共鳴具は、あの日、
大切なものと一緒に、どこかへなくしてしまって、
――それっきりだった。
◇ ◇ ◇
妃殿下への報告
整理番号:八三八の一
件名:グエンダリオ・ハーウッド/ジェス・バロウズ組み合わせ ハーウッド氏婚姻に伴う運用見合わせの件
標題の件につき、交渉期間中のハーウッド氏婚姻に伴う番い組み合わせの運用見合わせについて、下記の通りご報告申し上げます。
一.交渉経過
一月九日 相互顔合わせ
四月九日 交渉開始、未達成
四月十一日 ハーウッド氏婚姻届提出あり、受理を確認
二.組み合わせ継続に関する確認
ハーウッド氏婚姻を受け組み合わせ継続の是非を双方に確認。
バロウズ氏からはハーウッド氏へ一任との回答あり。
ハーウッド氏からは、一時的運用停止への合意、ならびに相手方の別組み合わせ候補確定まで候補継続を希望する旨の回答あり。
以上より、運用規範に従い、既婚者への組み合わせ交渉の積極運用は差し控えるものとし、本組み合わせは一時的または永続的な運用停止が妥当と判断する。
三.バロウズ氏認識阻害に関する事例報告並びに再発防止に係る検討
バロウズ氏については、認識阻害処置に関わらず、本人の申し出によらない匿名性の破綻を確認。
詳細経過は不明であり、現時点で原因分析および再発防止策の具体化は困難。ただし、双方既知の間柄であり、身体的特徴等から匿名性が破綻した可能性が示唆される。
以上より、近しい関係者間の組み合わせについては、運用見送り、または認識阻害処置の限界に関する事前説明を要すると考えられる。
以上
魔力資源管理課
歴八三八年 四月十一日
セロ・ワーグナー
◇ ◇ ◇
報告受理
ただし、本組み合わせの運用再開は原則禁止とし、
婚姻継続中の候補者による通常運用での交渉実施はこれを認めない。
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