37 / 42

第37話 空虚

 前線では、想像していたよりもずっと統率の取れた討伐が進んでいた。  腐獣は確かに数が多かったが、そのほとんどが動きの鈍い個体ばかりで、結界で囲い込みながら各個撃破していけば十分対処できる程度だった。  ただ異様なのは、先ほどまで点在していた死骸が、この前線では一箇所に集まっていることだった。  その死骸を取り囲むように広がる結界と騎士、その後ろにディッカーのガレス。 「ジェス、攻撃に加わる前にハーウッドの状況を」  副隊長に呼び止められて足を向ける。  見回した限りでは、まだグエンの姿は見えなかった。 「ハーウッドだが、お前のいう通り結界を扱えるというので、単独で森の奥から腐獣を見つけて追い立てる役目を任せている」 「単独で……、あいつが?」  思わず目を見開くと、副隊長は軽く頷いた。 「まだ若手のくせにこんなところへ応援に寄越されるわけだ。ずいぶん戦い慣れてる」  騎士になって、まだ二年。  そんな風に慣れてしまうほど、戦ってきたというのか。  黙ってしまったジェスを気にすることもなく、副隊長は言葉を続けた。 「次戻ってきたら、一旦休憩を取らせたい。ガレス殿もそろそろ休みが必要だ。  こっちは追い込みで手が離せないだろうから、お前が後ろに下がらせろ」 「了解いたしました」  反射的に応じて、腹の底がじわりと重たくなった。 「――二体だ!」  騎士たちの中から誰かが声を上げた。  副隊長はそちらに顔を向けた。 「戻ったみたいだな。頼んだぞ」 「はっ」  応じて声のした方へと足を向ける。  森の奥、炎の壁に追いやられるようにして、二体の影が見えた。  透明のカーテンのような結界が、ゆらめきを見せて形を変えていく。  気づけば、走り出していた。  火の壁の威力はさほど大きくはない。  それでも退路を絶たれた腐獣達は、前線から伸びる結界に取り込まれ、あっという間に騎士達に包囲された。  火の壁が消え、その向こうから人影が姿を現した。  灰色のマントに、細身の剣。  魔法騎士の出で立ち、グエンだ。  腐獣に矢を射かける騎士達の後ろを走り抜けて、結界の端に駆け寄る。  グエンがこちらを見て、目が、あった。  目を見開いたグエンが、手を動かしながら何かを伝えようとしてきた。  騎士たちの怒号にかき消されて、声は届かない。  何を言っているのか確かめたくて、もう一歩足を踏み出す。  その途端、グエンがこちらへと駆け寄って来た。 「ジェス、結界を出るな」  目の前に来るなりそう言ったグエンは、それだけを言うとまた踵を返して結界を出ようとした。    休ませないと――。  咄嗟に、その腕を掴む。 「待て――」  グエンの腕が、反射のようにジェスの手を振り払った。  言うべき言葉を、見失う。  結界の境界。  確かに、迂闊だったかもしれない。    ただ、こちらを見返すグエンの、信じられないものを見るような目に、  喉の奥がぎゅうっと引き攣れた。    言うべき言葉が、うまく意味にならない。  一歩、後ずさる。  なんとか、口を開いた。   「……休憩だ。副隊長の命令だ。  水でも飲んで、……少し休んどけ」    そのまま、体の向きを変えてグエンから遠ざかった。  弓を取り、騎士達の中に加わり、矢をつがえる。  得意なはずなのに、指が震えて、なかなかうまくいかなかった。    大型魔獣は縄張りが広く、個体数もそれほど多くはない。  だから、一帯の大型魔獣はもうほとんど狩り尽くされたといえた。  中型はまだいるものの、核が見つかっていない。  だから、しばらくの休憩の後に前線を押し上げることとなった。    核とは、腐敗の毒に冒されても弱ることなく生き延びた個体のことだ。  体力のある大型魔獣であることが多く、小型の報告例はない。  軒並み魔獣たちの体力が落ちる冬眠明けの今、  ここまで狩り尽くして、まだ核に出くわさないことが不気味だった。  隊はさらに森を奥へ進む。  時折、小型魔獣の死骸が見つかり、それらは見つけ次第火魔法を使える騎士が焼却した。  ガレスは先頭に立ち、グエンは最後尾で結界を補助していた。  グエンの様子を見るよう命じられているジェスは、自然とそのそばを歩くことになる。 「……さっきは、悪い」  後ろを歩くグエンから、遠慮がちな声が聞こえて来た。  ――さっきのこと。  一瞬唇の裏側を噛んで、それから口を開く。 「いや、俺が迂闊だった」  視界の端、何かが動いた気がした。  目を向けると、藪から飛び出した葉っぱが揺れていた。  些細なことに神経を尖らせる自分に、口元を歪める。  念のため、剣に左手を添えたまま、拾った枝で藪をつついてみた。  死にかけの腐獣が潜んでいないかを確かめる。   「何かいたか」  背後からグエンの声。  首を振って応える。 「気のせいみたいだ」  すぐ前を歩いていた副隊長も、こちらを振り返っていた。  薮の葉が揺れていたことを伝えると、副隊長は一つ頷いてから首を巡らせた。 「今回、腐ってないヤツらに出くわしていない。  森はかなり前から毒に冒されてたはずだ。  小さいのは、もうほとんど死んじまってるだろうな」  その言葉に、ジェスも森を見まわした。 「生き残ってるのは、……いないんでしょうか」  そのグエンの言葉が示す空虚さに、ぞっとした。  からっぽの森。  眠りから覚め、腐ったまま死んでいく魔獣たち。  獣たちに、密やかに近づく何かの姿。  脳裏に浮かびかけたその影に、思わず動きを止める。  その時、隊列の前方から声が上がった。 「でかいぞ、応援頼む!」  魔獣の唸り声が、あたりに響き渡る。  反射的に弓をとり、声のする方へ足を向けた。  大型の、熊。   「意外と動くぞ!核かもしれん!受けるな!  盾持ちは下がれ、槍で押し込め!」  隊長の指示に、騎士たちの輪が少し大きくなった。  その端に加わり、弓を構える。  矢をつがえて熊に向け、背中で弓を引き、狙いを定めた。  熊の皮膚は分厚い。  距離を取ると、一矢のダメージはさがる。  だが。  槍に押し込まれて、熊が腕を振るった。  熊がこちらを振り向く。  その目が見えた瞬間、矢を放った。  森をつんざく咆哮。 「片目をやったぞ!続け!」  片目に矢を受けながら、なお威嚇を続ける熊にもう一度矢を向ける。    誰かの声、周りの金属音。  それらが一瞬遠くなって、    大きく開いた喉の奥へ、深々と矢が吸い込まれた。  続けてもう一矢放つ。  それも喉奥へと突き刺さった。  動きの止まった体の脇、腹、背にも槍を突き立てられて、熊はそのまま、地面に倒れた。  

ともだちにシェアしよう!