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第43話 残滓

「――マイカ」  熱っぽいグエンの声。 「かわいい。……もっと、聞かせて」  息をつめて、首を振る。  頭が重たくて、言うことを聞かなかった。 「すごく……、いい」  いつもの夢だ。  そう気がついたのに、いつも通り、どうにもならない。  身体中、どこもかしこも敏感になって、グエンの熱に腰を震わせる。  気づけば、グエンの重さにのしかかられていた。  ぬるりとした手に腕を取られて、  目を細めて、嬉しそうに微笑むその顔が近づいて―― 「好きだったんだ……、――ジェス」  目を開く。  カーテンが引かれたままの室内は薄暗く、医務官に促されて退室したグエンも戻ってきてはいなかった。  一人きりだと言う事実に、心の底からほっとする。  何かを口走ってしまっていなかったか、ひやりとしながら夢の中身をなぞり直す。 「……くそ」  体の熱を意識して、思わず悪態をついた。  少し頭を揺らしてみて、一瞬だけ天井が遠くなった。  でも、すぐに現実が戻ってくる。  かなり持ち直した。そう感じた。  体を起こして、身ごろの前を開ける。  左袖を落として、脇の下を覗き込んだ。  赤い発疹が、いくつか。  どれくらいよくなったのか、変わりはないのかはわからなかったけれど、  控えめに赤く色づくだけのそれに、それほど長くはかからないことを予感した。  ノックの音。 「――ジェス、入るぞ」  少し間が空いて、それから扉を開く音がした。 「……グエン。さっぱりしたな」 「っ、起きてたのか」    ひげも剃って、身綺麗になって、それから目の下のくまも薄らいだグエンに、思わず声をかけていた。  グエンは一度そこで逡巡して、すぐに室内へと入ってきた。 「頭、くらくらしないか。体起こして大丈夫か」 「とりあえず。少しくらいは大丈夫そうだ。  それより、……用を足したい」 「ああ……」  右腕に繋がれた管を見せると、グエンは少し眉を下げた。  医務官に診てもらってから、体のあちこちにつながっていた管はずいぶん取り払われた。  だけど、この腕の管だけは最後まで外されなかった。 「これ、何?」 「念のため。毒の拮抗薬を少しずつ入れてるらしい。  ちょっと待てよ。動けるようにするから」  グエンは寝台に片足を乗り上げて、奥の壁、管に繋がる瓶を外して頭上に掲げた。  それから足を下ろしたグエンに、手を差し伸べられる。  思わず、その手をまじまじと見下ろしてしまった。 「……いや、……いいよ……」 「――あ、ごめん」  ごく当たり前に。  差し伸べられた手に、手を重ねてしまいそうになった。  寝台から、慎重に足を下ろす。  さすがに、あまり不用意に動けばまた目眩に襲われることはわかっていた。  補助も、本当はあったほうがいいのだろう。  それでも。  その手を取るのは、この手であるべきではなかった。 「どこで寝てきたんだ?」  努めて、なんでもないふうに声をかける。  ここはグエンのための居室で、グエンがどこで休めたのかは気にはなっていた。 「ん。詰所」 「……は?――っ、と」  思わずその顔を見上げて、世界がぐるりと一回転した。  体が追いつかなくてあおのけに倒れそうになったのを、グエンの腕に支えられた。 「何してんだよ」 「……それはこっちのセリフだろ……」  思わず身をすくめてしまったのは、目眩に耐えるためだ。  その腕の温かさのせいではない。   「――なんか、騒がしい?」  薄いスープのような粥をすすっていると、部屋の外からざわめきが聞こえてきた。  ゆっくりと窓の方へ頭を向ける。  カーテンは引かれたままで、室内は相変わらず薄ぼんやりと暗かった。 「なんだろ。あとで様子見てくるよ」 「……ん」  カーテン越しの弱々しい光が眩しくて、目を逸らす。  感覚が過敏になっているらしくて、それが目眩や眩しさを引き起こす。そう説明されていた。  外のざわめきをよそに、室内は静かな空気に包まれていた。  匙が粥を掬う音、腕を動かす時の衣擦れ、グエンが足を組み替える音。 「お前さ、……寝る時は俺の部屋使えよ」  口の中でしばらく粥を転がしてから、ゆっくりと飲み込んで、言葉を舌に乗せる。 「――え?」 「詰所のベンチじゃ疲れ取れないだろ。寝台使え。俺の部屋ここの隣だから」  言い切ってから、匙を口に運ぶ。  ぬるく冷めた粥はほんのりとした塩味がして、舌に優しかった。 「だ、め、だろ」  その声に目線だけあげて顔を見る。  なぜか、グエンは困ったような顔をしていた。  粥を飲み込んで、口を開く。 「なんで?」  ゆっくり顔を上げて、目を合わせる。  ダメ、の意味がわからなかった。 「俺がお前の寝台占領してるんだから、お前は俺のを使えよ。  俺まだここから動けないんだろ?」 「……そうだけど……」  眉を下げたグエンの顔は、昔も時々見た表情だった。  何かを遠慮している時や、自分が冗談のように距離を詰めた時、よく見せてくれた顔。  器に残った最後のひと掬いを匙に乗せて、口の中に運ぶ。  しっかりと味わって、こくりと飲み込んだ。  器を台におこうとすると、さっとグエンに受け取られる。    困っていても、そんなとこは気が回るんだな。  そう感じて、少し口元が緩んだ。 「ちゃんと体休めろ。お前といいガレス殿といい、休むの下手かよ」  二年経っていても、そんなところはグエンのままだった。    それから、またしばらく体を休めた。  寝ている間は、一人にしてほしいことも伝えた。  ずっと付き添っている必要はないはずだったけれど、グエンは少しだけ、眉を下げた。  それでも。  夢うつつでまた、グエンの暖かさをかすめとるようなことはできなかったし、  自分が何を言ってしまうかわからない恐ろしさを、抱いたままにしてはおけなかった。  ノックの音。 「――ジェス、……起きてるか……?」 「起きてる、どうかしたか」  扉を開けて室内へ入ってきたグエンは、少し足早に寝台へと足を進めた。 「ガレス殿が帰ってきてた。……昏睡状態だ」 「……昏睡?」  グエンの声は密やかで、横になったままでは少し話をしづらかった。  体を起こそうとすると、グエンが背中を支えてくれた。  体力は思ったよりも落ちていて、自分の思った動きができないことがもどかしかった。 「核が小型だったから、一体じゃないかも知れないってことで。  一帯にかなり目の細かい結界を張りつづけて、無茶したらしい。  最後の死にかけまで叩いたら、そのままぶっ倒れたって」 「え、もしかして、この三日ずっと?」  思わず聞き返すと、グエンがゆっくりと頷いた。  それからかぶりを振る。 「考えられない。小型まで捕捉できる結界は、かなり丁寧に張らないといけないんだ。  魔力もたくさん使うし。……俺なら気力がもたない」  騎士なら、一晩くらいの徹夜はなんでもない。  それだけの訓練は受けているし、前線に慣れた騎士なら二晩三晩もありうる。  それでも、徹夜続きで張り続けられるほど、生やさしい結界でもない。そういうことだ。 「……なんなの、お前の隊のディッカー……」 「いや……、俺も驚いてる。そりゃちょっと、ガレス殿はいつも少し、……酷使されてるけど」  酷使。  その言葉に、なんとなく不穏さを感じる。 「ディッカーって、そんな扱いなのか……?」 「……ああ、いや。他の隊のことはわからないけど。  ガレス殿は。……あの人は、とにかく派遣に出たがる人だから」  それもあるかも。  そう、自信なさげに口にしたグエンに、背中がざわざわとした。  二年前。  グエンを、そんな場所に追いやろうとしたのは。  自分だった。    

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