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第45話 欲しがる権利
次の日から、ジェスは隊に復帰した。
とはいえ、医務官の言葉通り体は思うように動かず、少し歩くだけでも手足が重たくなった。
それでも、多くの騎士が負傷で休んでいた皺寄せで、応援のグエンすら前線の後処理に駆り出されている中、のんびり休んでいるわけにはいかない。
ニルガスと武器庫の確認を済ませ、詰所へ戻るために階段を降りていた。
「――……っ」
階段を降りながら、一瞬、足の運びが思うようにいかなかった。
「あ、ジェス」
ニルガスの声が背後から聞こえたとき、階下を歩くガレスと、目が合った。
その手が上がって、こちらを向き――
足を踏み外して落ちかけた背後から、ニルガスに腕を取られた。
「……っぶね。階段は俺が下歩かねえとだな」
「あ、――りがとうございます」
今更ひやりとしたものを感じていると、ジェスの腕を離したニルガスが呑気な声を上げた。
「ガレスさん、何してんすか?」
つられてジェスもガレスの方を見やると、ガレスは上げていた自分の手を一瞬眺めて、軽く握ってから下ろした。
「――いや。……なんでもない」
「そうなんすか?」
手を下ろしたガレスは、そのままなにもなかったように、廊下を歩き去った。
「助けようとしてくれたんかな」
ニルガスの声に、少し首を捻りながら頷く。
「あの人も病み上がりですよね……」
「確かに。お前のこと助けてる場合じゃない!」
なぜかおかしそうにそう言ったニルガスは、ジェスの先に立って階段を降り始めた。
「行くぞー」
「はい」
春めいた陽気漂う昼下がり。
グエンがこの地を去るのも、時間の問題だった。
「――俺とジェスですか?」
隊長に呼び出された先で聞かされた言葉に、ニルガスが困惑した声を上げた。
「そうだ。ガレスの体力が戻り次第、二人の帰還に随行しろ。
……一応、栄転だ」
申し訳なさげに添えられた「一応」の言葉に、押し黙るしかなかった。
腐獣の大量発生で、この隊が管轄するエリアの魔獣は半分以上が壊滅的な打撃を受けた。
魔獣から取れる素材も毒の影響で使い物にならず、向こう数年は隊の経営は困難となる。
国の補助が出るとはいえ、今の規模を維持することができないことは明白だった。
「他への異動は、選択肢にあり得ましたか」
よりにもよって中央への異動とはにわかに受け入れがたく、もしも、他の選択肢があるなら選びたかった。
希望が少ないことはよくわかっていたけれど。
「……中央も今回の件で人手不足だからな……。
応援の礼にはジェス、お前くらいは出さないと割に合わん」
「今回の件……ですか?」
思いもかけない言葉に疑問符を浮かべると、ニルガスが軽くのけぞった。
「隊長、……それって、俺はおまけってことですか」
「ああ、そう言う意味じゃない。ニルガス、お前の人付き合いのうまさは買ってるんだ。中央で人脈を作ってこい。
ジェスは、ガレスの代わりにはもちろん到底なれんが、養成院の首席って看板は伊達じゃない。うちからの詫びがわりに、行ってくれるか」
詫び。
つまり、ガレスの不調は、思ったよりも中央にとって大きな出来事だったということか。
ガレスが一人で無茶をすることになったのは、ジェスの怪我でグエンが離脱したせいでもある。
ガレスに無理をさせる原因を作った身としては、拒むことなどできるわけもなかった。
「はい。――今回の件、自分が原因のようなものです。
自分で足りるとは思いませんが、できるだけ役に立てるよう頑張ってきます」
「いや、そういうことじゃないぞジェス」
「そうだぞ。そもそもお前は中央の騎士一人助けてるんだからな!」
口々に言われて眉を上げると、隊長は、とにかく、と話を続けた。
「ジェス、お前は長距離移動に向けて体をしっかり治せ。
ニルガス、お前は一旦実家帰って親父さんたちに話してこい」
「「はい」」
行っていいぞ。と手振りで示されて、部屋を後にする。
扉を閉めると、ニルガスは「あーあ」と残念そうにため息をついた。
「どうしましたか」
「どうもこうも」
首を左右に振って、それから軽くため息をつく。
「最近やっとベラと話せるようになったのに、異動とかついてねえよ」
「……酒場の、でしたっけ」
先に足を進めるニルガスに問いかけると、ニルガスは情け無い顔で笑ってる言った。
「違う違う、それはサリー。サリーはこないだ結婚しちまった。
ベラは牧場の子だよ」
「牧場……」
ニルガスの守備範囲の広さに言葉を失っていると、そのニルガスが何かに気づいたように目を見開いて、声を上げた。
「――ジェス!お前、彼女どうすんだよ?!今度こそ振られんぞ!?ちゃんと話してこい!」
「――……ああ、……はあ……。」
なんと言ったものか答えに窮していると、ニルガスは何か少し困ったような顔をして、さらに言葉を続ける。
「出歩くなら、その、直前までなら付き合ってやるから。
俺同伴もおかしいだろ?ちゃんと話して」
「――ニルガスさん」
思わず、口元が緩んでしまった。
この地方に配属した直後、周りに知り合いもいない自分を心配して、恋人を作れ作れとわ ず ら わ し か っ た この先輩に、
咄嗟についた出まかせが、まだ細々と生きていたことに。
「ん?」
こちらの顔を見て口をつぐんだニルガスに、少し首を振って、それから、その目をしっかりと見た。
「すみません。恋人とか、……違います。
そんな、会えなくて寂しがってくれるような恋人、いないです」
「……え、じゃあ何、お前まさかその歳で人妻とイケナイ関係とか言わないだろうな」
「ふ、ふっは。――なんでですか!」
そんなものいない、そう言いたかっただけなのに。
思いがけないニルガスの言葉に、堪えきれなくて笑い声がもれた。
本当に。
そんなものはいないのだ。
自分でよくわかっていた。
『番いが成立するその日まで、
俺の、ひとときの恋人になってください。』
儀礼的な、約束。
自分が、――いや、マイカ、が。
その約束を、捨てたくなかった。
それだけのこと。
それから数日。
体力の回復に専念するよう言い渡されて。
なんとなく手持ち無沙汰なまま、隊の帳簿の確認だけをこなして日々を過ごした。
時折見かけるガレスは、しばらくすると騎乗で砦の外を出歩くようになり、ある時は厩舎の入り口で治癒術師に叱られていた。
「――ディッカーも人間なんだな……」
その様子を一緒に目撃したニルガスは、そんな当たり前のことを言ってから、ジェスを促してその場を離れた。
野次馬根性もあるし、お節介な人でもあるけれど、ここぞと言う時にはちゃんと放っておいてくれる。
ジェスの嘘のことも、それ以上ニルガスは突っ込まなかった。
「お袋に中央行くって言ったらさ、熱測られたよ……。おかしくない?」
「ふっ、はは。よっぽどびっくりしたんですね」
のんびり足を運びながら返すと、ニルガスはさらにしょぼんとした顔をして言葉を続けた。
「ベラもさあ……、あら良かったわねって。
寂しがってくれないもんかなあ……」
「……寂しがるだけでよかったんですか?」
ふと湧いた疑問を、ついそのまま口にしてしまった。
「え?」
「あ、いえ……」
振り返ったニルガスは少し驚いた顔をしていて、思わず口をつぐむ。
寂しがる。
――それだけで、良かっただろうか。
心臓の裏に引っかかった疑問が、もぞもぞと気持ち悪くて目をそらすと、ニルガスは唸りながら首を傾げた。
「確かに……。寂しがってくれたらなんか嬉しかったと思うけど、ついてきて欲しかったわけじゃないか……」
ベラにも、生活もあるしなあ。
ぼやくように言ったニルガスの言葉に、そのまま、ぶっすりと背中を刺された気がした。
「だよな。人生ごと引き受ける気がないなら、寂しがってもらいたがるのも贅沢か!」
「――その、俺には、よくはわかりませんけど……」
嘘だ。
引き受けられないのに、繋がりだけ掠め取ろうとした無責任が、ここにいる。
きらりと光る共鳴具の色が、なぜか脳裏をよぎって消えた。
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