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第61話 こんな日が欲しかった

「っ、あ……」  思わず目を開く。    マイカ。 「俺が、そんなところまで好きだったから、気づいちゃったんだ」  そう言いながら、グエンは手のひらをそっと背中に添わせた。  そっと、添えるだけの手のひら、指先に、体が驚くほど震えた。    咄嗟にその胸に手をやり、だが、押し返す前に力が抜けた。  拒絶したいわけでは、なかった。 「ジェス、ちゃんと、……拒んで」  顔を見ることができなかった。  だけど俯いたままの眼前、グエンの顔が入り込んできて、どうしようもなくて目をつぶってしまった。  拒めない。 「しちゃうよ」  目の前。  ささやくかすれ声。  それでも、グエンはそのまま何もせず、待っていた。  背中に触れた指は少し震えたまま、    待っていた。  答えを。  そのことに気がついて、胸の奥がつぶれそうなほどきしむ。  お互い、怖かった。  怖かったんだ。  薄く目をあけると、眉を下げてこちらを覗き込むグエンの顔が、すぐ近くに見えた。  顔をあげて、その唇を迎えにいく。  そっと。  少しだけ、触れた。  グエンは、エミリアと離縁した。  エミリアはマドックの家で養育係兼家庭教師として働いていたそうで、トフィはそのままエミリアが育てることになったらしい。  グエンはあのかわいいお姫さまに会いに、時々マドックの帰省に付き合うつもりだと聞いた。  そのことは、少し嬉しかった。  血は繋がっていなくてもグエンは「お父様」だったし、「お父様」の顔をしたグエンは、とても穏やかだった。 「なーあー、巡回のローテーションってそんな厳密なもん?」  グエンの部屋、寝椅子の上でごろごろしながらぼやくのは、寝椅子の元の持ち主のハネスだ。 「厳密って?」  寝椅子の下に腰を下ろして、低いテーブルに置いた葡萄酒のグラスを取る。  つまみは先日の遠征のついでにグエンが獲ってきた鳥の干し肉で、それを食堂に持ち込んでおばちゃんに調理してもらったのはハネスだった。 「なんかさあ、うちの奴ら巡回に交ぜてってお願いしたら、当番は厳密に決まってるからそんな簡単に動かせないって言われちゃって」  ハネスの言葉に首をひねる。  グエンも、それを聞いて眉を上げた。 「俺が中央に来た日、お前が師団長になるとかで人が出払ってたから、その夜の巡回は急遽交代したぜ。  割と柔軟なんじゃないか?」  口に放り込んだ鶏肉の脂の味を噛み締めながら、葡萄酒を口に含む。  素朴な味付けながら、旨味の濃い肉の味に目が細まった。 「俺は巡回に出ることないからよくわからないけど。  そんなにがちがちだと、欠員出たとき、……困るだろ」  葡萄酒を口に含んで、少し頬を赤らめたグエンが言う。  相変わらず、グエンは葡萄酒には弱いみたいだった。 「な、あんまり飲みすぎるなよ。水飲んどけ」 「うん」  ぽやんとした目でこちらを見たグエンは、寝椅子の座面に頬を預けてとろんと微笑んだ。   「こいつこんなに弱かったっけ?」  ハネスの言葉に、小さく笑い声がこぼれた。 「葡萄酒だけ、弱いんだ」  へえ、と相槌を打ったハネスは、そのまま寝椅子から足を下ろして立ち上がった。 「じゃあ、巡回の当番表と、稼働記録みれたらなんとかなりそうだな。  ありがと。助かった!」  さっきまでぐだぐだとぼやいていたとは思えない顔で笑ったハネスは、そのまま自分のグラスをあおって葡萄酒を飲み干し、出入り口へと足を進めた。 「俺行くな。ありがと、また飲もうぜ」 「ああ、おやすみ」  にっと笑ったハネスは、寝椅子の影になって見えていないであろうグエンのことをちょっと指差した。 「多分ほっといてもそこによじ登って寝てるから、ほっとけよ。  じゃ!」  ハネスが教えてくれたグエンの癖は、これまでにもう何度か見たことがあった。  手を上げて見送り、自分も寝椅子に顔を預けてグエンを見やる。  もうすでに、少し眠りそうになっているグエンの額をぺちんと叩き、寝支度を促す。  戻っていいか?と聞くと、ちゃんと目をあけて寝支度をしてくれることは、つい一昨日くらいに気づいたことだった。 「グエン。もう寝るなら、俺、戻るな」 「や、だ」  特に何かあるわけでもない夜だけど。  こんな日が欲しかった。  そう、しみじみと思った。      それから数日して、  ハネスはあっさりと巡回のローテーションに師団員を紛れ込ませることに成功していた。  何をどう丸め込んだのかは知らないけれど、ハネスがやろうと思ってできないことはなさそうに思えた。 「ガレスさん」 「よう。元気そうだな」  ハネスが送り込んできた師団員のうち、ジェスとニルガスと共に動くことになったのは、ディッカーのガレスだった。 「ガレスさんも、なんか健康そうになりましたね」  ニルガスがそう言って、ジェスの方を振り向いた。 「お前の魔法騎士、なんだっけ」 「ん、グエン?」  自分の魔法騎士ではないけれど、ニルガスがそう呼びそうなのはグエンしかいない。 「そうそうグエンだ。あいつ最近見かけないけど、元気なん?あいつも不健康そうだったよな」 「お前に比べたら大抵どいつも不健康そうに見えるんじゃないか」  ガレスがそう言って、ニルガスはぱっと顔を輝かせた。 「ほんとですか?俺そんなに元気そうです?」 「ああ、まあ」  ガレスが何を言いたかったのかは置いておいて、ニルガスの言う通り、グエンはまだ相変わらず忙しそうにはしていた。  それでも、遠征から戻ればジェスと夜に飯を食べて、先日のように時々は酒を飲んだりして、それなりに元気そうには、していた。 「元気ですよ。忙しそうですけど」  ニルガスに答えると、ガレスは少しだけ眉をひそめた。 「魔法騎士は、まだ足りないと思われてる。  本当は、お前たちみたいな騎士の方が向いている現場だって多分たくさんある、が」  言葉尻を濁したガレスに、ニルガスが笑って言った。 「俺らからしてみたら、魔法騎士が何ができんのかわかんないですもん。  なんか理屈はわかんないけど便利なもんがあったら、つい頼りたくなっちゃうんですかね」  言いながら、足元でつまづきかけた子供の腕を取って立たせる。  周り見て歩けよ。人ごみで走んなよ。と腕を離してやるニルガスに、ガレスは小さくぼやいた。 「俺は、お前たちがどうやってスリを見分けたり、転びそうな子供を見分けてんのかの方が、理屈がわからねえよ」 「慣れっすね!」    そう朗らかに答えたニルガスに、ガレスは少し笑って頷いた。  そこへネロが合流して、四人は巡回へと出発した。 「え、ガレスさん、もう魔法使えないんすか?」  驚きで少し声の大きくなったニルガスは、はっと気づいたように口をつぐんだが、ガレスは笑って頷いた。 「ああ。だから、これからは騎士として続けるか、それとも別のことをするか。考えてるところだ」  先日の腐獣の対応にて。  無理を圧して魔力を使い続けたことで、もうガレスの体は魔力を作れなくなってしまったという。  ハネスはガレスのことをディッカーだと言い切ったが、確かに、魔法を使えない魔法騎士を、ディッカーと呼ぶことには戸惑いがある。    治癒術師との会話を聞いてしまった気まずさから、ニルガスとガレスの会話にはあまり関わらないようにしていたが、  ガレスのその言葉に思わず振り向いてしまった。 「騎士を、やめるかもしれないんですか」 「わからない。  だが、魔法を使えなくても騎士としてやれることが証明できなかったら、やめざるを得ないだろ」  思いのほかからりと笑ったガレスは、道端で困った顔をしている老女を見つけて、声をかけるために足を向けた。 「あの人、巡回より遠征のが向いてそうだけどな」  ニルガスが言って、つられて頷く。  とはいえ、なんでもやっておいて損なことはない。  ガレスが必要だと思うのなら、なおのこと。  

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