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第62話 この時は。

「しばらくハネスと、近衛に混じって遠出してくることになった」  グエンからそう聞かされたのは、それから割とすぐのことだった。  この日は、簡単な食事をグエンの部屋に持ち込んで、二人でのんびりと食べていた。 「近衛とハネス?」  近衛騎士たちに混じっての遠出。  不思議に感じて聞き返すと、グエンは肩をすくめて少し首を振った。 「隣国の王族が外遊においでらしい。  近衛はいいとして、儀礼的なところをわかってるディッカーがハネスしかいないから、貴族出身の魔法騎士ってことで俺ともう一人で応援につくんだ」 「あぁ、なるほど」  国内ならばともかく、他国の王族を出迎えるにあたって、それなりの儀礼的なことを弁えていることは必要なのだろう。    貴族出身のディッカーが、ハネスしかいない。  そのことがグエンにとってどんな意味を持つ事実なのかは、考えるまでもなかった。 「グエン、さ」  手元のパンをちぎって、少しそれを見下ろす。 「うん?」  安易に口にすることは、少しためらわれた。  慎重に、口にすべき言葉を探す。 「ディッカーに、憧れはなかったのか?」  ほんの少し、フォークが皿にあたった小さな音がした。  そのままグエンはフォークを置いて、背もたれに背中を預けた。 「……そりゃ、子供の頃は。  俺が目指せるものの中で、一番の頂点に見えてた」  小さく息を吐く音が聞こえた。  ジェス、と名前を呼ばれる。  目線を上げると、グエンは思いのほか気の抜けた顔で微笑んでいた。 「ディッカーの真実を知る頃には、俺はもうお前しかいなかったから。  そんな憧れはとっくに消えてたし、ディッカーじゃなくても、できることはたくさんある」  今回のこととかな。  グエンはそう軽い調子でつけ足してグラスの水を一口含み、  こくりと喉を動かしてから、言葉を続けた。   「その程度。  もちろん、お前の俺になれるのは、魅力的だけど」 「ば……っかなこと言うなよ」 「ばかなことじゃないよ」  グエンのセリフの恥ずかしさに、思わず憎まれ口を叩くと、即座に否定された。  笑顔を引っ込めたグエンは、寝椅子の座面をそっと撫でて言った。   「ばかなことじゃない。それは本当に魅力的だけど、  そんなのなくても、こうして飯食って笑ってられる方が、ずっといい」  その言葉に、自分も思わず寝椅子を手のひらで撫でた。    あの日。  今だけだと思い詰めて、いっときの夢のようなグエンのあたたかさをもらった寝椅子。  何も見えていなかったけれど、だからこそ、本当に欲しかったものはずっとここにあった。 「うん。そうだな」  グエンと笑い合う、何でもない夜。  お互い、欲しかったものはこんな些細な幸せだった。 「そういえば」  部屋の真ん中にどんと居座るこの寝椅子。  元はハネスの持ち物だったはずだった。 「これさ、元はハネスのだろ?何でお前が持ってんの?」 「え。っ、いや」  ふとした疑問を口にすると、口にしたものが変なところに入ったのか、少し喉を詰まらせたような息をしたグエンは、かっと顔を赤らめた。 「えっ、大丈夫かよ。変なとこ入った?水、ほら」  水のグラスを渡してやると、少し涙目になったグエンはグラスを呷って水を飲み干し、水差しからもう一杯グラスへ注いだ。 「ごめん、変なタイミングで話しかけた」 「いや、……ううん」  背中に手を回して、軽く叩いてやる。  グエンの頬の赤みがおさまるまで、しばらく時間が必要だった。    そんな、いつもの、なんでもない一日の終わりだった。    その翌日、グエンは王族の出迎えのため、ハネスたちと共に王都を出発した。  グエンが王都を発ったあとも、王都ではネズミ対策の後始末が続いていた。  ジェスも匂いのついた紙を配り、王都のネズミに心配はないこと、小型の魔獣の侵入さえ感知できる守りが敷かれるようになることを説明して回った。  そして巡回にも慣れたガレスは、ジェスたちに今後のことを決めたと教えてくれた。  西の、ジェスがいた騎士団の近く。  街の警備隊へ入隊することが決まり、騎士は辞めることにしたという。   「すみません。俺、あの医務室でおふたりが話をしていたところ、居合わせてしまったんです」  どうしても黙っておけなくて、ガレスが中央を発つ日の朝、ガレスに盗み聞きのことを打ち明けた。  荷物を積んだ馬の手綱を引いていたガレスは、足を止めてこちらを振り返った。 「ああ、後で、端のベッドで寝てるお前を見たから、もしかしてとは思ってたんだ。……悪かったな」 「いえ」  もう少し言いつのろうとしたところを、ガレスに手振りで止められた。 「あの話を聞いて気まずく思うってことは、要するに、お前も誰かのウルラなんだろ?」 「あ、その」 「言わなくていいよ。とにかく話を知ってるってことだ。  だから、悪かった。お前が番っててもそうじゃなくても、不安にさせただろ。ディッカーの、あり方を」  何を謝られていたのかに気がついて、口をつぐむ。  ガレスの、言う通りだった。 「俺たちは、お前たちの顔がわからなくても、お前たちのことを恋しく思うし、託された誇りを守り切りたいと思ってしまう。  でも多分もう、大丈夫だ。」  ガレスは目線を上げて、王宮のほうを振り仰ぐ。 「師団長が、その辺の不健康さからディッカーたちを守ってくれるさ。  お前のディッカーも、もうきっと大丈夫だ」  その横顔は、どこか晴れやかなものに見えた。 「ジェス、ニルガス。明日の予定変更だってさ」  ネロがこちらに駆け寄りながらそう言った。 「なんかあったか」  深夜勤務明け。  ガレスが発ってまた三人一組になった巡回業務の終わり。  報告に行っていたネロが、慌てた顔をして戻ってきた。 「なんか、本当は今日どっかの王族が王都入りする予定だったけど、旅程遅れてるらしくて。明日か明後日にずれ込みそうなんだってさ」 「……ああ、そうなんだ」  グエンたちだ。  王族方の移動で旅程のずれ込むことは珍しくない。  何かの式典に参加するはずが、どこかの湖が気に入ったとかで数日気ままに逗留して、結局式典に参加せず帰った王族の話を聞いたことすらある。  今回は外遊だそうだから、なおのこと気ままにやってもおかしくない。  なんだか変に納得して、ネロたちと変更後の予定を確認した。  結局、それから都合三日、隣国の王族の到着は遅延した。  毎日のように予定が組み直され、その度に事務官が警備予定の再通達をしてくれたのを気の毒に感じたが、三日で済んでまだよかったと言える。  遅れた理由は、同行した騎士の出身地——家の領地を、王族が視察し歓待を受けたからというものだった。    魔法騎士の正装、華美すぎないが品のあるマント、整えられた髪型。  久しぶりに帰ってきたグエンは、お手本のような魔法騎士の装いのままジェスの部屋の扉をノックして、扉を開けて微笑んだ。 「ただいま」 「——おかえり」  初めて見る正装に、一瞬言葉が出なくて、返事が遅れてしまった。  グエンは嬉しそうに笑みを深めて、それからマントを脱ぎ去った。 「その、さ。……ジェスが見たいかなと思って」  そんな笑顔で、そんなことを言うグエンがかわいくて、つい、その背中に腕を回してしまった。  番ってなくても、グエンは、自分の自慢のグエンだ。  改めてそう思った。  それからしばらくグエンの正装姿を堪能したが、遠出帰りだ。  疲れた体を休ませるためにも、早めに部屋へ帰らせることにした。    そうはいえ、ハネスが師団員たちと同様に魔法騎士にも休みをもぎ取ってくれたそうで、明日は一日休みらしい。  もう少し話していたかったけれど、こちらはこちらで、予定のずれまくったしわ寄せが明日に降り注ぐことがわかっていて、早めに休んでおく必要があった。  余裕があれば明日の夕食を一緒にしようと約束して、その日は二人別れた。  思わず抱きしめてしまった体温も、それに嬉しそうに笑った顔もあたたかくて、その気持ちのまま寝台に上がると、ジェスはすぐに眠ってしまった。  そんな二人の間にある、誰にも見えないささやかな幸せを、  この先も当たり前のように守っていけると、本気で思っていた。  まだ、この時は。      ◇ ◇ ◇  妃殿下への報告  整理番号:八四〇の一  件名:ステファン・イルゲート/ジェス・バロウズ組み合わせ  当該組み合わせについて、以下の通り報告いたします。    一.交渉経過  四月八日 バロウズ氏へ新規組み合わせ打診、内諾  同日   イルゲート氏へディッカー番い組み合わせ打診、保留  四月九日 バロウズ氏の書面申し出により、組み合わせ解消  イルゲート氏へは書面にて交渉取り下げの旨伝達、承諾の回答あり    二.譲渡状況  開始前解消のため該当なし    三.健康状態  該当なし  以上をもって、当該組み合わせは制度上の手続きを解消する。 (関連情報)  整理番号八三八の一  グエンダリオ・ハーウッド/ジェス・バロウズ組み合わせは、  バロウズ氏の本交渉初回内諾に伴い解除済み。  魔力資源管理課  歴八四〇年 四月十日  セロ・ワーグナー  

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