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第64話 幸せ、この上ない
それからしばらく、毎日のように王女殿下の護衛の一人として付き従う日々が続き、殿下から個人的にお声かけを頂戴することもあった。
まだ年若い女性王族が、成人を迎えて他国にたった一人視察においでになる。
そのことがどれほど心細いことか、察するのは難しくなかった。
だから、お声かけを賜れば失礼のない程度にお話しをし、
請われて魔獣対応のお話などもさせていただいた。
あくまで王族お一人でのご視察の無聊を慰めるための対応だった。
「ハーウッド、この日は王女殿下が城下の視察をご所望だそうだ。随行のために装いを改めてから参上するように」
その日の警護を終え、夜番の騎士と交代した後。
先輩とこの先の予定を確認していると、城下への随行予定を告げられた。
「お忍び、ということですね。どのような装いといたしましょうか。他の方と被らないようにするのが良いですよね」
告げられた予定に、どのような装いが良いか少し考えていると、先輩から微妙な顔をして見返された。
「お前なあ……。殿下の随行がお前だ。我々が周辺で警護する。
商家の娘程度の装いとするそうだから、その婚約者程度の小綺麗な庶民に化ておけ」
「私がですか?私は王都内はほとんど詳しくありません。あまり案内役に適任とは思えませんが」
領地の案内をした時の失敗が頭をよぎり、思わず眉をひそめた。
だからこそもう一度機会をいただいたのかもしれないけれど、まだ何も学べていなかった。
「殿下が興味を持っているのは、城下じゃない。お前だ。それくらいわかってるだろう。
この機会にお前のふるまいを見定めたいとお考えなんじゃないか」
「は?」
聞こえた言葉が意外にすぎて、ほとんど話が入ってこなかった。
呆けた顔をしたグエンに、先輩も微妙な顔をした。
「なんだ。わかってなかったのか?お前、王女殿下から気に入られてここに来たんだろう?
婚約者候補として十分アピールしてくるよう言われなかったのか?」
「まさか。……いえ」
婚約者候補?
そんな馬鹿な。
「私は、妻と、離縁したばかりです」
「だからだろう。陛下方も、お前がさみしい思いをしているのではないかと心を痛めておいでだった。良いご縁だ。
我々も全力で後押ししていると騎士団にも伝えていたはずだ。
どうなってるんだ」
寂しくなど、なかった。
この上なく、幸せだった。
ようやくジェスの笑顔を見られるようになって、これ以上何も望むことなんて、なかったのに。
「……望んで、おりません」
なんとか舌に乗せた言葉に、先輩が苦く笑った。
「まだ前の奥方が恋しいのか?
ああ、子供がいたな。
大丈夫だ、王女殿下は情の深いお方じゃないか。
会いにくるのをお咎めになることはないさ。終わったことは諦めて、前を向いてみろ」
この想いは終わってなど、いない。
終わったと思い込んでいたあの頃ですら、結局諦めることなんてできなかったのに。
先輩の、周りの優しい気遣いが、
そっと自分の頭を押さえて、身動きが取れなくなるようだった。
翌朝。
近衛隊長へと目通りを願い出て、すぐにこの応援、つまり所属の異動の意図をお尋ねした。
「なんだ、何も聞いていなかったのか。まあ、何も聞いていない方が、飾らないお前の姿をご覧いただける。
その方がハーウッドにとって良いと考えたのかもしれんな」
「それでは、私のこれは……。
何か、私に不足があり、十分学ぶようにということでは……」
近衛隊長からもそのようなことを聞かされて、戸惑いながらも重ねて尋ねると、隊長は破顔して言った。
「ハーウッド。お前は十分に近衛としての所作をわかっているし、殿下への対応も十分だ。領土での視察など、殿下はいたくお喜びだったそうじゃないか」
笑顔のまま、隊長はさらに続けた。
「お前の立ち振る舞い、騎士としての実力、これまでの実績、家柄と容姿。加えて先日、腐獣の核に襲われた同僚を命の縁から救いもした。
殿下がぜひお前のことを国へ連れて帰りたいとお考えになることは、ごく自然なことだろうな」
「私は魔法騎士です。この国の人々を守る騎士です。他国へは参りません」
嘘ではなかった。けれど、一番の理由でもなかった。
好いた相手がいる、とは言えなかった。
誰何されても答えられないし、答えられないような相手なら、ますますそんな相手はやめておけと言われることは明白だった。
「ハーウッド」
少しだけ笑顔を和らげて、隊長がグエンを呼んだ。
「お前は十分に国に尽くした。
奥方に愛想を尽かされるほど任務に明け暮れて独り身になったお前を、陛下が放っておけないのだ。
私も魔法騎士達の過酷な現場のことは聞いたことがある。
自分を追い詰め過ぎるな。一度、魔法騎士のことは忘れろ」
そうじゃない。
どれほど忙しくても、やりがいのある仕事だ。
「それに、殿下とうまくいかなかったとしても、お前は近衛に向いている。魔法騎士に戻るのはもったいないぞ。栄誉ある職だ。上を目指せ」
栄誉よりも、欲しいものがある。
ほんの些細な、小さな。
穏やかな笑みを浮かべる隊長目をじっと見返す。
そうではないのだと、わかって欲しかった。
「私は、騎士団に戻ることは、叶いませんか」
無駄なことと知りつつ、問うてみた。
「ハーウッド。
陛下のご慈悲を、無碍にするようなことはしてくれるな」
隊長の言葉に一つ礼をして、その場を辞した。
急激な焦りが沸き起こっていた。
エミリアとの婚姻を解消する時も、両親からは随分と心配された。
仲の悪いわけではなかった妻と離縁し、娘を手放そうという自分を心配して、次の縁談を用意すると言って聞かなかった母。
もう誰かと一緒になることはできないと何度も説明して、当面は、と納得してもらったというのに。
もしもこの話を家に打診いただいていたとしたら、両親がどう思うのかなんて日を見るよりも明らかだった。
この話が、この身分には過分なものであることくらいわかっていた。
その上で、あれほど心配してくれた両親が、断ることなど想像もできなかった。
それに。
ジェスに、会いたかった。
せめて伝えたかった。
急いで自室にとって返し、両親に宛てて手紙を認める。
婚約の話が来ても、自分の確認なしに決して答えることのないように。
もしも急ぐようであれば、父親が当主として自分を呼び出して欲しいこと。
近衛騎士の私信は、全て内容を検められる。
断って欲しい、とは書けなかった。
それでは、届けてすらもらえないような恐ろしさがあった。
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