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第65話 預かりもの、ひとつ
ジェスへは、一通の手紙を送った。
近衛で学ぶべきことがあること。
自分にもまだ学ぶべきことがあることへの感謝。
体に気をつけて欲しいこと。
それから、
マイカからの預かり物をひ と つ 、届けて欲しいこと。
書けることは、限られていた。
それでも、ジェスには伝わるはずだ。
そう信じられた。
「ダリオン、植物園ですって。今はどんなお花があるのかしら」
マルグリッタ王女殿下は、あまりうまくない平民の装いで城下へ降りた。
グエンのことをダリオンと呼ぶことにしたようで、グエンにはリタと呼ぶようにお申し付けになった。
あらかじめ調査したリストランテで食事をいただき、その店内から見える植物園の看板に王女が興味を示した。
「すみません。王都にはあまり詳しくないもので……」
「あら、いいのよ。知らなければ知ればいいのだわ。入りましょ」
植物園は警護の観点からはあまり好ましくない場所に思えた。
木々が密に茂る場所があれば、ほかの警護の者から見えづらくなる。
少し後ろを見て合図を送る。
後ろの席に座った先輩は、小さく頷いて入園を促してきた。
「わかりました。そうしましょう」
そう答えて立ち上がり、エスコートのために手を差し出す。
すると、王女は面白そうに笑った。
「いやだわダリオン。それじゃあまるで貴族みたい。緊張してくれているのね」
「……あ、申し——、すみません」
慌てて引っ込めようとした手を取られて、なんとも気まずい気持ちになった。
この日王女は平民の装いであり、グローブを着けておられなかった。
もちろん自分も。
素手のまま手を繋ぐことが、王女ほどの身分の女性にとってどのような意味を持つか、わからないほど愚鈍なつもりはない。
「リタさん……。これは、よくありません」
「どうして?ダリオンなら構わないわ。
——照れてくださるわけじゃないことはつまらないけれど」
後半を小さな声で言い切った王女殿下は、にっこりと微笑んでから、グエンの腕にその手を絡め直した。
「行きましょう」
「……はい」
エミリアならば、平気だった。
彼女はグエンのことをわかっていて、お互い夫婦として振る舞うことがお互いのために必要なことだと、わかっていたから。
この方は、違う。
同じ偽装でも、その先に何かを求めることがあるのなら。
このように微笑んでいただくことが、とてつもなくいたたまれなかった。
植物園を出て王女殿下を馬車に乗せ、礼儀正しい婚約者の顔をして見送るグエンに、先輩が後ろから声をかけた。
「ハーウッド、殿下がお出になったらお前はこのまま上がれ。
ご当主殿から呼び出しだそうだ」
当主の呼び出し。
思わず息を呑んで、それでも、殿下をお見送りする表情は変えなかった。
華美でない馬車は、それでも普通のものよりはずっと静かに動き出し、グエンから遠ざかっていく。
傾きかけた陽光が街路樹の葉を照らし、その間を行く馬車を少し離れて他の先輩方が馬で追う。
「わかりました。ありがとうございます」
おままごとのような随行。
多くの近衛達に見守られ、わかりきったような結末へ向かおうとする道の先。
「タウンハウスとのご指定だ。悪いがそのまま向かって、今日中に戻っておけ。きっとまた明日お召しがあるぞ」
先輩の言葉の意味を、考えたくはなかった。
騎士団に寄る時間はあるだろうか。
走り出した馬車から顔を背けて踵を返す。
知らず、駆け出していた。
「グエンダリオ様、そのお召し物は……!」
「すまない、あまり時間がない。父上にお会いしたい。
着替えは何か用意してくれるか。この衣装は後で王宮へ届けてくれ。近衛の備品だ」
ハーウッドの屋敷に入るにはあまりに質素な装いだったが、驚く使用人たちに事情を説明している時間が惜しかった。
自室にいるという父親に会いに廊下を進むと、中庭から賑やかな笑い声が聞こえてきた。
ついと覗き込むと、もう三つになった甥が、まだ幼い弟二人と絵本を囲んで笑い合っていた。
兄嫁は一人目を産んだ後、双子の男の子を出産し、今また少し体の線を隠すような装いをしている。
兄の跡継ぎに不安がなかったことも、エミリアを解放できた理由の一つだ。
「父上、グエンダリオです」
「入りなさい。早かったな」
扉を開けて姿を見せると、グエンの姿を認めた父——ハーウッド伯爵は少し眉を上げた。
「申し訳ありません。つい先ほどまで護衛任務についておりました。
すぐに戻らねばなりませんので、着替えの時間が惜しく」
「いい。構わん。近衛のことを細かく聞かないよ。それより……」
父が出ずからグラスに水を注いで、手渡してくれた。
「落ち着きなさい。どうした、お前らしくもない」
「——あ……。はい」
「なるほど。……お前の希望はわかった」
予想とは少し違って、家に届けられたのはグエンの縁談の状況の問い合わせだった。
何もないと答える前に、グエンが何か決めた人がいるのならば聞くべきと考えて、父が呼び出してくれた。
決めた人ならいる。
だが、その人と婚姻できるかというと、そうではなかった。
だから父には、自分には、もう誰かとの婚姻は考えられないこと。
それから、この国を出るつもりもないことを改めて伝えた。
「だが王女殿下だけでなく、お前の縁談の引き合いは少なくない。
お前はハーウッドの人間だし、勤勉で、今や近衛の騎士だ」
それから父は顎に手を当てて、ゆっくりと息を吐き出した。
重たげに目線を上げて、グエンの顔を見る。
「お前は、このことが陛下のお心遣いだということもわかっているな?」
「……はい。」
父の顔を見て、それでも、しっかりと頷いた。
「私がやってやれることにも限界はある。
それも、わかっているな?」
「はい、わかっております。——ただ」
本当は、前々から考えていたことではあった。
だけど、家族のことも、愛しているのだ。
「どうしようもなくなった時には、ご迷惑をおかけすることのないようにいたします」
まっすぐ。
父の目を見て伝えた言葉は、過たず父に伝わったのだろう。
しばらく二人の間に沈黙が落ちて、父は、そっと目を伏せた。
「……そうか……」
それ以上、言葉はなかった。
この後、少しだけ兄と言葉を交わし、兄嫁へのねぎらいの言葉をかけて、家をあとにした。
陽の落ちかけた街並みを、騎士団に向けて走る。
この時間なら、夜番だとしてもまだ捕まえることができる。
会いたかった。
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