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第七章 週末、そして週明け(1)
「わあ、嬉しいよ、望海。でもいいのかい? こんなに沢山貰っちゃって……」
俺が渡したギフトボックスを開いた真優が喜びの声を上げた。中にはQRコード式の図書カード五千円分と、模様が彫り込まれたステンレス製の栞が三つ。それとアフタヌーンブレンドの紅茶にフィナンシェが入っている。
「うん。真優にはいつもお世話になってるからね。これでも足りないぐらいだよ」
「読書の時間がもっと楽しくなるよ。有難う」
昨日の午後、本屋に雑貨店、デパ地下と三時間ほど時間をかけて選んだ品々を真優は気に入ってくれたようだ。特に栞は幾つあっても足りないからだろう。早速、手にするとバッグの中に収めていた数冊の本の中の一冊に挟み込んでいる。
出掛ける時に本がバッグに入っていないと落ち着かないのだそうだ。移動時に読み切ってしまって手持ち無沙汰になるのが怖いらしい。真優は常に三、四冊の本を持ち歩いている。
俺たちが通っている神代学園は羽ケ崎市という架空の都市にあるが、『エンジェルスフィア』の世界設定自体は現代日本に準じている。つまり、この世界にも電子書籍が存在しているのだが、真優は「サービスが終わったら読めなくなっちゃうだろ」と書籍のデジタル化には否定的で、電子でなければ読めないもの以外は、全て紙で揃えているのだそうだ。そうなると気掛かりなのは本の置き場であるのだが、神代学園に持ち上がりで通っているぐらいである。真優も一般家庭の子息ではない。
何でも、某有名メーカーの副社長である真優の父親があまり本を読まない子ども時代を過ごしたらしく、大人になってからそのことが原因で相当に苦労したとのこと。真優に同じ苦労を味わわせたくない父親は、だから真優の趣味を歓迎し、そして投資を惜しまないのだそうだ。部屋数二十を下らない豪邸に住んでいる彼は、自分用の書庫を三部屋与えられているのだとか。
「相変わらずここの蔵書は凄いね」
俺から受け取ったギフトボックスをバッグに収めた真優が、壁際を埋め尽くしている背の高い書棚を見上げて云う。
「そう? 大半ビジネス書だよ」
父親の書斎はデスクを取り囲むように書棚が並んでいる。その内訳はビジネス書が七割、小説が二割、百科事典や辞書の類が一割だ。正確な数を数えたことはないのだけれど、棚数×一段の冊数で概算すると千冊ぐらいになるようだ。とはいえ、購入した本を全て保管している真優の膨大な蔵書に比べると大分見劣りする冊数である。
「僕はビジネス書は買わないからね。だから見応えがあるよ」
「前も云ってたね、それ。どうしてビジネス書は買わないの?」
「買う本の幅を広げ過ぎちゃうと、部屋が幾つあっても足りなくなっちゃうからね。買うと決めたジャンル以外は図書館や電子書籍で済ませてるんだ」
「真優は何でも読むもんねえ」
雑誌、実用書から、小説や学術書まで、字さえあればどういったジャンルでも真優は読む。何でも本が自分を呼んでいるのがわかるのだそうだ。「背表紙のタイトルを見るとわかるんだよね。あ、これは僕が必要としている本だ。って」だからか、真優が本を選ぶスピードはとにかく速い。さっと書棚に視線を走らせたかと思ったら、ぱっとその中から本を取り出してゆく。あっという間に五冊ほど腕に抱え込んだところで、時間的に難しいと感じたのだろう。「今日はこのぐらいが限界かな」と、物惜しそうな表情を浮かべつつ俺を振り返った。
俺は真優を連れてリビングに向かった。
土曜日の父親は取引先の人たちと出掛けることが多い。母親も雑誌の撮影とかで早朝から家を空けている。一臣は週に一度の弓道の稽古。午後までみっちりしごかれてきます。と云って、実家に戻っていた一成と交代で出て行った。今、この家にいるのは俺と真優、一成、そして和香子さんだけだ。
「お茶をどうぞ」
リビングの一角。ソファコーナーに腰を落ち着けると、和香子さんがお茶菓子を持ってきてくれた。
今日のお茶は深蒸し煎茶。お茶請けは栗入り羊羹だ。
母親がモデルなこともあって美容に煩い我が家では、洋菓子よりも和菓子が出ることの方が多い。糖質は高めだが、洋菓子よりも圧倒的に脂質が少なく、水分がたっぷり含まれているからなんだとか。前世の俺はあまり和菓子は食べなかったけれども、今は物心ついたときから食べさせられているからか。すっかりこの味に慣れてしまった。
「お昼は何時ごろにいたしましょうか、坊ちゃま」
「んー。いつも通り正午でいいよ」
「では、十二時になりましたら声をおかけしますね」
今の時刻は十時半。ここから十五時まで、俺と真優は読書をする予定だ。その後は二時間ほどの雑談タイム。読んだ本の内容などについて語り合う。これがいつもの読書会のルーチンだ。
「一成はどうするの?」
俺はソファコーナーから少し離れた位置に立っている一成を振り返った。
「私は和香子さんのお手伝いをいたします。本は用意しておりますので、午後から参加させていただければ」
俺が出掛けずにいると、土曜日の一成は和香子さんに料理を教わり始める。望海が食べて育ったお袋の味を身に付けたいのだそうだ。今日の一成もそのつもりなようで、いつの間にかエプロンを手にしている。
「また料理関係の本なんでしょ」
「良くお判りになられましたね」エプロンを着けながら一成が笑った。「では、キッチンに行かせていただきます」
「いってらっしゃい」
本当は調理師免許を取って、レストランのシェフになりたいのだという。趣味を仕事にしたいと考えている一成に、けれども一成の両親は冷淡だ。特に一成に自分と同じ道を歩んで欲しい父親が頑固で、調理師学校などに金が出せるかと云われているのだとか。
この点、一臣はドライで、弓道はあくまで趣味。社会に出ても続けるつもりはあるようだが、嗜む程度にしておくつもりであるらしい。自身の父親のことはあまり良く思っていない一臣だが、それが一番俺と一緒にいられる確率が高いからか。「私は一生、公私に渡って望海様の傍にいると決めておりますので」などと歯の浮くような台詞を口にする。当然、第一志望は俺の父親の会社である。つくづく忠義心の強いタイプだ。
「じゃあ始めようか、望海」
「うん」
もう読みたくてうずうずしていたのだろう。早速と父親の書斎から持ってきた本を読み始めた真優を目の前に、俺はテーブルの上に手帳と万年筆を置いた。
世の中には推理をせずに推理小説を読む人間もいるが、俺は推理しながら読む派だ。特に今回は入り組んだ人間関係の館ものだけあって、メモは必須になっている。これまでの気になった点も、当然手帳に書き込み済みだ。
手帳をぱらぱらと捲って、これまでの要点を整理する。
準備を終えた俺はソファに身体を深く埋めて、続きを読み始めた。昨日も寝る前に少し読み進めたので、今日は63Pからのスタートだ。まだ登場人物たちの紹介が続いているが、この情報が後々活きてくるので読み飛ばせない。俺は丹念に情報を拾いながらページを捲っていった。魅力ある世界観に、流れるような文章。流石は『今年の一冊』に何度もノミネートされている作家だけはある。俺はあっという間に本の世界に引き込まれていった。
「坊ちゃま、お昼ですよ」
端々でメモを取りながら、読書に耽ること一時間半。和香子さんが呼びに来たので、昼食を取りに真優と一緒にダイニングに向かった。俺と真優と一成三人の食卓。和香子さんは俺たちが食事を終えた後、その片付けを終えてから昼食を取るつもりらしい。
「たんとおあがりくださいね、坊ちゃま。そして、真優さんも」
俺が友人を連れてくると、和香子さんは嬉しいのだそうだ。腕によりをかけた料理の数々。里芋と人参といんげんの煮物にあんかけ豆腐、しめじと大根とわかめの炒め物。そして麩の入ったお吸い物。メインディッシュは鶏肉の玉葱ソース和えだ。甘じょっぱいソースが鶏肉の旨味を引き立てている。
「いつも美味しいご飯を有難うございます。僕、和食が好きなので嬉しいです」
真優も和香子さんの料理を美味しいと感じてくれているみたいだ。良かった。俺は真優に今読んでいるビジネス書の話を聞きながら食事を進めた。「ためになるね。ビジネスだけじゃなく、日常の場面でも利用出来そうな理論が多い。やっぱり人間関係は相手を見るところからなんだね」そんな感想を述べながら真優も食事を進めてゆく。
和香子さんが得意なのは和食メニューを中心とした家庭料理だ。西の育ちの人らしく、味の濃い東の料理はあまり得意ではないらしいのだが、俺が――というより、望海が偏食激しい子どもだったのも関係していて、苦手な野菜の味を胡麻化している内に、どんどん味が濃くなっていってしまったのだとか。
「それと比べると、今は何でも食べてくださって」
空になった食器を目の前に和香子さんは幸せそうだ。偏食故に食が細かった望海がきちんと食べるようになったのが嬉しいのだろう。
とはいえ、一般的な男性に比べると望海の食べる量は少ない。ご飯は茶碗に半分ほど。それ以上食べると胸焼けがしてしまうのだ。だからこんなに細いんだよなあ。俺は自分のほっそりとした手足を、他人のもののような気分で眺めながらリビングに戻った。
午後からは一成も読書会に参加する。
今日、一成が手にしている本は『野菜の便利帳』だ。野菜の選び方や旬の時期、食い合わせなどについて書かれている本らしい。本人としては読書というより勉強のつもりであるのだろう。ノートと筆記用具を用意して、頻繁にメモを取りながら本に向き合っている。
既に二冊の本を読み終えている真優は『ストレングス・ファインダー』とタイトルが書かれた本を手にしている、内容を尋ねてみれば、自分の強みをテストで見える化する本であるらしい。納得ゆく結果が出たのか、うんうんと頷きながら本のページを捲っている。
俺は半分ほど読み進めた大井川周平の新刊をテーブルの上に置いた。
午後を迎えて西に傾き始めた太陽の陽射しが、窓から射し込むようになっている。厚めの遮光カーテンを掛けてはいるが、レースなこともあって、完全には陽射しを遮れない。エアコンの設定温度を少し下げ、トイレのついでに空になったお茶のおかわりを取りにキッチンに向かう。
「あ、和香子さん。冷蔵庫の中にお茶のおかわりある?」
キッチンに入ろうとしたところで、その裏側にある部屋から出てきた和香子さんと鉢合わせする。食事ついでの休憩を終えたところなようだ。食器を載せたトレーを手にしている和香子さんに尋ねると、「なら、私がお持ちしますよ」との返事。
「坊ちゃん、その後なのですが、食材の買い出しに出ようと思っていまして」
「ああ、いいよ。今日は外には出掛けないからね。俺たちでちゃんと留守番してます」
「何か食べたいものはありますか?」
「和香子さんの料理はどれも美味しいからなあ。強いて云うなら、お魚料理かな。お昼がお肉だったからね」
「畏まりました。活きのいいお魚を買ってきますね」
割烹着を身に着けた和香子さんがにっこりと笑う。見ているだけでつられて笑顔になってしまう福々しい顔。ふっくらとした頬にほんのりとチークが差してある。買い物の為に化粧をし直したようだ。
「何時頃に戻ってくる予定なの?」
「旦那様が十九時にはお戻りになられるということなので、遅くても十七時には戻ります。ですので、もしかすると真優様のお見送りが出来ないかも知れません」
「いいよ、いいよ。気にしないで」
俺はリビングに戻った。ひんやりとした空気が気持ちいいリビング。肌を撫でるエアコンの風が、室内に涼を運んでくれる。
ソファに陣取って、そこから約束の十五時までひたすら俺は読書に励んだ。真優と一成も熱中しているようだ。エアコンの駆動音の合間に、ページを捲る音が響いてくる。その静寂を切り裂くスマートフォンのアラーム。読書会の終了を告げられた俺たちは、それぞれ読んでいた本をテーブルの上に置いた。
「あー、楽しかった」俺は両手を上に上げて、ひとつ伸びをした。
読書に専念出来る環境だったからだろう。物語に没頭することが出来た。しかももう解決編が目の前だ。残りのページ数からして、今晩には読了するだろう。充実感を胸に俺は真優と一成に目を遣った。真優は五冊目の初めの方、一成は三分の二ほど読み進められたようだ。付箋がびっしりと挟まれている大判の本を閉じる。
「これ、借りてもいい? 望海」
真優が読み終えられなかった本を指差す。
「いいよ。父さん、真優が気に入ってるからね。貸しても文句は云われないよ」
聡明で利発、そして博覧強記な真優を俺の父親はとても高く買っていて、事あるごとに、真優は元気か。と、尋ねてくる。父親を固める頭脳 の中にはいないタイプであるらしい。ただ、会社の格は真優の父親の会社の方が上な為、真優に来て欲しいとは云えないようだ。ああいう人材がいればなあ。と、零すことも良くあった。
「一成はどうだった、その本」
「料理はやはり科学なのだと思いましたよ、望海様。こういうのを読んでいると、栄養学をきちんと学びたくなりますね」
「一成はいつも料理系の本を読んでるよね。どこを目指してるの? やっぱり料理人なのかな」
小学校の頃にバスケをやっていた一成は、偶にはバスケ雑誌を読むこともあったけれども、基本的には料理関連の本ばかり読んでいる。学園でもそうなのだから、相当だ。それを覚えていたのだろう。純真とも取れる真優の問いに、一成が困った風に笑った。
「そうしたいのだけれどもね、両親がいい顔をしないから……」
「ああ、ごめん。そういった顔をさせたかったんじゃないんだ」眼鏡の奥の理知的な瞳、うっすらと緑がった虹彩がしぱしぱと瞬く。「お互い色々あるよね。僕も検察官になりたいんだけど、親はそっち方面を目指すなら弁護士だろうって煩くて……」
「ふたりともちゃんと将来なりたいものがあるんだね。いいなあ。偉いよ。俺はその点、何もないからね」
俺は素直に羨ましいと感じる気持ちを口にした。
容姿は申し分ない。成績だって上の中だ。スポーツが苦手なのが玉に瑕だが、スケートは滑れるしピアノだって弾ける。父親はそんな望海に跡を継いで欲しそうだ。とはいえ、俺自身としては敷かれたレールに乗って社長になるのには抵抗感がある。
かといって、自分の幸せがどこにあるかはわからないままだ。
前世の経験もあって、普通の会社員はもういいという気分だが、なら、自分に何が出来るのか――そして何ならやりたいと思えるのかはまだ見出せていない。それと比べると両親の反対にあっていても、やりたいことがはっきりしている真優と一成は凄いと思う。
「あはは。まだまだこれからだよ、望海。だって僕ら高校一年生だよ? 考えを固めるのはこれからさ」
「そうかなあ。だってふたりはもう心が決まってるでしょ」
「僕だって考えが変わるかも知れない。幼稚園の時は警察官になりたかったしね」
「そう云われますと、私も小学生の頃の夢はNBAの選手でしたね」
「ああ、そうかあ。それ云ったら俺も獣医さんになりたかったっけ」
そうだ。俺は記憶を手繰ってはっとなった。
人間不信な一面があった望海は、だからこそ駆け引きの通用しない動物が好きだった。近所の野良猫に、いけないことだと知りつつも餌をやらずにいられないくらいに、動物には心を砕いていた望海。ペットを飼うのは両親が不在がちだからと認めてもらえなかったが、その分、ペットショップや動物園には良く通っていた。
だから、なのだ。
去年の相馬の誕生日パーティで、俺と望海の心がひとつになったのは。
「ね? なりたいものなんて、その時々で変わるものだよ。だから、これから。大学まであと二年あるしね。今から色々調べて探しても遅くないって」
俺は真優の言葉に深く頷いた。そして、探してみよう。そう思った。
思えば俺は城石望海というキャラクターの影に怯えて、彼の人生に真正面から向き合うということをしてこなかった。フィギュアスケートやピアノも辞めてしまったし、一度は断罪イベント怖さに家から逃げ出したりもした。ヒロインとも関わりを持たないように努めていたし、一成や一臣、相馬の気持ちに対しても真正面から受け止めようとはしてこなかった。
先ずは自分の立場を受け入れよう。話はそこからだ。
俺は強く思った。
そうすれば見えてくるものが必ずある。その先に、かつて望海が獣医になりたかったように、俺が目指す幸せの形――この世界でどう生きてくのかの答えがある筈だ。
「ところで、望海」
「ん? なあに、真優」
俺は視線を真優に戻した。先程までの表情とは一変、瞳の上に愁眉がある。
「昨日の夜、電話で眞と話したのだけど、また理事長に絡まれたんだって?」
辺りを憚る様子をみせた真優に、「大丈夫だよ」と俺は云った。
「和香子さんは買い出しに出てるよ」
「ああ、そう。なら良かった。でも、大丈夫かい? 何だか、体育の時間にもD組の女子と揉めたとか聞いたけど」
「うん。でも女子の件については園崎さんが諫めてくれたからね。理事長の件は、父さんに相談しようと思ってるけど」
真優と銅音は中等部最終学年で一度同じクラスになっている。その際に、掴みどころのない性格の銅音を真優は面白いと感じたようだ。珍しくも積極的に絡みに行き、銅音からも電話がくるくらいに仲良くなっていた。
その縁は高等部に入っても続いているようだ。偶に廊下でふたり並んで話をしているのを見かけることがある。飄々とした面がある銅音は、あまり他人とつるむことをしないので、恐らくは真優が一番の親友になるんじゃなかろうか。だからだろう。真優に話したことが銅音に、銅音に話したことが真優に筒抜けになっているということが良くあった。
「しかし理事長にも困ったものだね。どうしてそこまで園崎さんを贔屓するのだか」
銅音が園崎さんと同じクラスだからだろう。真優は理事長の園崎さん贔屓の実態をある程度知っているようだ。ずり落ちた眼鏡を元の位置に押し上げながら、途方に暮れた声を発する。
「俺は彼女と絡みがなかったから知らなかったんだけど、随分酷いみたいだね」
「そうなんだよ」真優が小さく溜息を洩らす。「元々厳格な人ではあったけど、贔屓をするような人ではなかったよね。それが園崎さんのこととなると、血相変えて飛んでくるようになってしまって……ちょっと僕たち生徒ではどうにも出来なさそうな感じだよね、あれは」
「うん。だから父さんに相談しようと思って。昨日は帰りが遅くて話せなかったけど、今日は話せそうだから、何かいい知恵がないか聞いてみる」
「僕も父に相談してみようかな。あれじゃ生徒が委縮してしまって、園崎さんが孤立してしまう」
「PTAの方から声が多数上がれば、学園のオーナーも本腰を入れてくれると思うんだよね。そういった意味で、真優にも動いてもらえるのは有難いな」
学園が二分されてしまうような状況は避けなければ思っていたけれども、園崎さん本人が迷惑をしているとなると話は違ってくる。どうにかして理事長の暴走を止めなければ。そう俺が自論を述べると、真優は理解してくれたようだ。
「わかった。なら今日にでも父に話をするよ。このままの状態は良くないってね」
「ありがとう」俺は真優に頭を下げた。そして、一成に目を遣った。「そういや一成は昨日家に帰ったんだよね? お父さんと話はしたの?」
いずまいを正して、真剣に俺たちの話に耳を傾けていた一成がこくりと頷く。
「昨日の夜、父に話をしました。一応、実態を調査する、とは云ってくれましたが、直ぐにどうこうとはならなさそうです。前回の件で学園側の動きが鈍かったこともあって、先ずは証拠固めからという気持ちがあるのでしょう」
「ふうん。じゃあ父さんにその辺の話もしてみるかな。足並み揃えないと上手くいく話もいかなくなっちゃうものね」
「有難うございます。父にもそのように伝えます」
そこで会話が途切れた。
今日はここで潮時かな。俺はリビングの時計を見上げた。そろそろ十六時を指そうとしている時計の針に「帰る?」と、俺は真優に尋ねた。
「あ、いや。もう一点だけ……」
「もう一点?」
俺は首を傾げた。
話の流れからして真優が俺に何かを忠告しようとしているのは明らかだ。とはいえ、心当たりは全くない。きょとんとしていると、悩まし気な表情を浮かべた真優が俺の方に身を乗り出してくる。
「これは銅音からの情報なんだけど」
「うん」
「女子には気を付けた方がいいよ」
「女子? どうして?」
意外な言葉に俺の目が丸くなる。
同じクラスの女子たちはさておき、他のクラスの女子とは殆どといっていいほど交流がなかった。困っていれば助けることはあったが、それだけだ。何せ前世で男子校育ちだった俺は女性に免疫がない。普通の友達付き合いですら気恥ずかしさが先に立ってしまって、上手く話せなくなるぐらいなのだ。そういった俺が、どうやら良くない意味で彼女らで目を付けられているようだ。真優の言葉でそれを察した俺は、だから訳がわからず、真優に尋ね返していた。
「俺、そもそもあんまり女子とは交流がないんだけど……」
「知ってる。望海って奥手だもんね」
「なのに、なんで?」
「正確には外部入学の女子たち、かな」
「外部の子たち? え? もっと交流ないよ」
「ほら、相馬様は人気が高いだろ。彼目当てで入学してきた外部の子って、そこそこいるから」
「まあ、学園の王子様、だもんねえ」
俺は恵まれまくった相馬の容姿と能力を思い浮かべた。まるでひとかどの彫刻家が彫り上げたような芸術作品。特に整い過ぎたきらいのある顔立ちは、長い付き合いの俺ですら直視が難しくなる時がある。油断していると魂を抜かれそうになってしまう美しさ。あそこまでいくと嫉妬を感じる気も失せる。そのぐらいに相馬の容姿は完璧だ。
おまけに文武両道ときたものだ。家柄だって申し分なかったし、性格だって一線を超えない限りは恐ろしさの片鱗に触れることがない。そりゃあ、相馬を良く知らない女子たちが彼を学園の王子様と祀り上げるのも納得する。
「それで? それが俺と何か関係する?」
「するでしょ」真優が苦笑を浮かべる。「相馬様は望海には距離が近いもの」
真優曰く、それが外部から相馬目当てで入学してきた一部の女子に良く思われていないらしい。あの金魚の糞は何なんだと陰で云われているのだとか。
「持ち上がりの子たちは、望海と相馬様が幼馴染みなのを知ってるけど、外部の子は知らない子も多いみたいだよ。だから、なんじゃないかな。今日の体育の件も、そういった子たちが中心になってたって眞がさ。しかも望海は可愛いしね。男でも油断出来ないって思われているみたい」
「うーん。でも、気を付けるってどうしたら」
「だよねえ。相馬様、割とマイペースだし……ね……」
きっと、音楽室の一件を思い出したのだろう。耳まで真っ赤になった真優に、反射的に謝罪の言葉が口を衝いて出た。
「ご、ごめんね。変なもの見せちゃって」
「あ、いや。僕ももうちょっと待ってれば良かったんだよね。いきなりドアを開けちゃったし」
真優の表情にあの瞬間の自分の痴態が思い浮かんでくる。恥ずかしい。お互いに気まずさに顔を伏せていると、見兼ねたようだ。一成が割って入ってきた。
「私たちが気を付けますよ、望海様。それに真優も。ですから、どうかお気になさらず」
確かに、この状況でどう気を付けろと云われても、女子とあまり接触のない俺には難しい。それならば、女子ともそれなりに交流のある一成と一臣に任せた方がいいのだろう。俺は「そうだね」と、顔を上げた。そうして真優に向き直った。
「ありがとう、真優。心配ばかりさせちゃってるね」
「あ、え、いいよ。大丈夫。僕は望海の友人だからね」
そう云って笑った真優だったけれども、何故だろう。その言葉は、何だか自分に云い聞かせているように聞こえた。
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