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第八章 眞の表裏(1)
九月の最終週の水曜日。相馬に誘われて宿題を一緒にやった俺は、18時を少し過ぎた頃に彼のマンションを辞した。俺の気持ちを尊重してくれているのだろう。性行為 なしの純粋な勉強。予習にも付き合ってもらったので、明日の準備も万端だ。ようやく学生らしい日常に戻ってきた俺は、少し浮かれた気分で自宅への帰途に就いた。
けれどもそんな気分は長くは続かなかった。
歩き始めて三分ほどしたところで、「自業自得なのではないかしら」と、聞き覚えのある凛とした声が耳に飛び込んできた。園崎さんだ。微かに剣呑さを感じる物云い。何が起こっているのだろうと声のした方に目をやると、少し先にある十字路に長い影が幾つか伸びている。恐らく、角を折れて直ぐのところにいるのだろう。俺の位置からは園崎さんが話をしている相手の姿は見えなかった。
「うるせぇな。お前が大人しく俺たちに付いてきてれば、こんなことにはなってねぇんだよ」
「止めて頂戴。また警察を呼ぶわよ」
もしや――と、思った俺は一成と一臣を振り返った。ふたりも同じことを考えたようだ。「行きましょう、望海様」と駆け出す。
「何をしている!」
一成と一臣の後に続いて十字路を折れると、園崎さんと学園の制服を着たふたりの女子、そして五人の男が対面するような形で立っていた。男子の方はここから五キロほど離れたところにある県立高校の制服姿だ。耳にピアスを開けていたり、首にチェーンのネックレスを下げていたりと、わかり易く素行の悪い格好をしている。
「こっちに!」俺は園崎さんたちを俺の後ろに招いた。
「城石じゃねぇか!」
五人の中央に立っている男が、俺の姿を目にしていきり立つ。かなりいかつい体つきをしていて、顎の下に少しだけ生やしている髭も相俟って高校生とは思えない。髪の毛は短めのモヒカン。ぎらついた光を宿した瞳が俺に向けられている。
「誰?」俺は云った。
「はっ、覚えてないってか。お前と小学校が同じだった大原だ!」
覚えていないも何も、今の容姿から当時の面影を探すのは難しい。そのくらいに大原は外見を大きく変えてしまっていた。確かに小学校高学年で大きく身長を伸ばしていたが、あの頃の大原はもやしのようにひょろりとしていた。それがこの四年間で何があったと思うぐらいに各所に肉が付いている。これを一瞬で思い出せというのは無理だ。俺は大原の容姿をまじまじと見詰めた。
嫌味な奴だったんだよなあ、こいつ。
親がどこかの大企業の部長だとかいう大原は、いつも親がどれだけ金を持っているかを自慢してばかりだった。夏休みに上海のディズニーランドに行ったとか、ハワイで海水浴三昧をしてきたとか。お前らにはこんなの持てないだろって云って、学校にセイコーの高級腕時計をしてきたこともあった。これには流石に望海も腹を立てたとみえて、父親に頼んで、オメガのスピードマスターを貸してもらって学校にしていってたっけ。そうしたらこいつ、オメガのブランドを知らなくて全く話にならなかったんだよね。
「ああ、君かあ。随分、大きくなったね。ところで時計のブランドには詳しくなった?」
「う、うるせぇな。昔のことを蒸し返すんじゃねえよ!」
「いや、そっちでしょ。昔のことを蒸し返してきたの。君たちが俺の名前を出してくれたことで、俺はかなりの迷惑を被ったんだから」
俺がむかっ腹を立てているのと同様に、望海もこいつには腹を立てているようだ。すらすらと嫌味や皮肉が口を衝いて出てくる。
それに大原は虚を突かれたようだった。脇に控えている男たちをぐるりと見渡すと、「誰だよ、こいつが真人間になったとか云った奴。全然、昔のままじゃねーか」などと宣ってくれたものだ。
「あのねえ、俺だって腹を立てる時には立てるんだよ」
処分を取り消されたからといって、一週間の謹慎生活がなかったことにはならない。その間に進んでしまった勉強に追いつく為に、俺は勿論のこと、一成や一臣だって苦労した。それもこれもこいつらが口から出まかせで俺の名前を出してくれやがったからだ。
幾ら過去の望海が碌でもない奴だったとしても、理不尽な仕打ちを黙って受け入れられる程、俺は人間が出来ていない。怒るべきところで怒らねば、こういった連中は際限なく付け上がる。わかっているからこそ、俺はきちんと怒った。園崎さんだってそうだ。ここで事態の収拾を付けないと、延々巻き込まれることになってしまう。
「大体、君たち何で園崎さんに絡んでるの?」
「関係ねーだろ、お前には」
「惚れた腫れたの話だったら、分不相応にも限度があると思うんだけど、まさか、まさかねえ」
俺はにっこりと笑ってやった。
俺のところに直接文句を云いにくるならまだしも、再び園崎さんを狙ったのが許せない。挑発的な物云いになってしまったのは、だからだった。
大原どころか残りの四人に対しても、俺は体格的には完全に負けている。そうである以上、殴り合いになったが最後、ただでは済まないのがわかっていた。だが、それでも俺は引けなかった。俺の怒りは勿論だったが、望海の怒りも相当だったからだ。
「てめぇ、この、舐めやがって……!」
「なあに? もっと酷いことになりたいの?」
「てめぇの所為か!」俺の言葉に大原が顔を歪めた。「親父があんなことになったのは……!」
相馬が彼らにどういった報復をしたのかを俺は知らないままだったが、俺に云えないようなことをしたのは間違いなかった。なら、そこを突いてやればいい。それ以上の報復があり得ることを知っても尚こちらに手を出してくるというのであれば、徹底抗戦だ。そうでないと今後の学園生活が不穏なものになってしまう。
「知らないよ」
だから俺は惚けてやった。
「はあ?」
「俺は何もしてないもの。謹慎処分を受けてたし。でも、誰かは何かをするかも知れないね」
「くそ……っ、このっ、クソ野郎が! おい、やっちまえ!」
大原の号令で四人の男が動く。喧嘩慣れしているような構え。じりじりとこちらとの距離を詰めてくる彼らに、「いいの?」と、俺は尋ねた。
「俺に何かあったら、どうなるかは知らないよ。それでもいいって云うなら、俺も男だしね。受けて立つけど」
俺は脇に控えている一成と一臣を押し退けるようにして前に出た。
まさか俺がそういった反応をするとは思っていなかったのだろう。四人の男たちが一瞬怯んだ様子をみせる。
「いいからやっちまえ! その身体だぞ。ワンパンで一発だ!」
大原の言葉に、その通りなんだよなあ。と、俺は自分の手足を眺めた。
望海には武術の経験なんてない。それどころか、殴り合いの喧嘩の経験だってなかった。前世の俺は学校の授業で柔道の経験があるが、何せスポーツにおいては云うことを聞かない望海の身体である。どう考えても殴り倒されるのは間違いなかった。
それでも俺は退く気はなかった。
ええかっこしいなのはわかっている。でも、一成と一臣を前に立たせて、自分が高みの見物というのは俺の性分ではない。相手が大原だとわかった今となっては尚更だ。過去の遺恨をどこかで終わらせなければ、いつまでも城石望海には悪い評判が付き纏うことになってしまう。だったら殴られてでも終わらせてやる。俺が意固地になったのは、そういった理由からだ。
「望海様」
俺の無茶な振る舞いを危なっかしいと感じたのだろう。背後から焦りを滲ませた一成と一臣の声がしてくる。
けれども、その声さえも俺を正気に戻してはくれなかった。俺と望海の方向性が一致しているのだ。どうしてここから尻尾を巻いて逃げ出せたものか。
「ふたりは園崎さんたちを安全なところに避難させて。ここは俺が時間を稼ぐから」
稼げると云っても二、三分もてばいい方だろうか。そんなことを考えながら、彼らに指示を出す。けれども一成と一臣はそんな俺を放っておいてはくれないようだ。
「そういう訳には参りませんね」
一成が俺の右隣に立つ。
「一対五よりも三対五の方が勝ち目はありますよ」
一臣も俺の左隣に立つ。
「お前らで俺たちに勝てると思うなよ!」
三人ともこの場を引かないとわかったことで、大原は更にムキになった。声を荒らげると一歩前に進み出てくる――と、その瞳が微かに動いた。「なら、これで四対五」同時に響いてきた声に俺が視線を向けると、いつの間に来たのか。一成の隣に銅音が立っているではないか。
「え、銅音?」
「いないよりはマシでしょ」
指を鳴らしながら正面に立つ男を顎でしゃくった銅音が「こいつは俺が貰うね」と、宣言する。
「いや、でも、銅音は関係ないし……」
それに銅音は応えなかった。ただ俺に向けてにっこりと微笑みかけてくる。
これは大事になってしまった。内心、俺が焦りを感じていると、「始めてもいい?」呑気とも取れる声で銅音が云った。
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