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第八章 眞の表裏(3)
放課後になった。
眠くはあった。何だかんだで三時間ほど、一成と痴戯に耽った翌日だ。ましてや望海は普段の睡眠時間が多いのだから、眠くない方がどうかしている。俺は欠伸を繰り返しながら、銅音が迎えに来るのを待った。
相馬は仕事があるようだ。もう教室を後にしている。
俺が銅音に描かれているところを見たかったようだ。俺が銅音の頼みを聞き入れたと知った相馬は、あの美しい顔を微かに歪ませて、しきりと残念がっていた。けれども、他人には見せないと約束した上でモデルになるのを了承したと聞くと、「条件が公平なら仕方がないね」と、態度を変えた。
恐らく、一成と一臣が現場に立ち会うと思っていたのだろう。彼らにも見せないよ。と、俺が言い切ると、安心した様子で教室を出て行った。
「望海様、ノートをどうぞ」
「何これ」
「今日の宿題のノートです」
俺とは対照的に今日の一成は元気だった。どうかすると眠気にやられそうになる俺とは異なり、いつも通りに一日を過ごしたばかりか、授業中の内職で宿題まで終わらせてしまったようだ。余程、要領がいいのだろう。渡されたノートは宿題だけでなく今日の授業の要点も確りと書き込まれていて、宿題と復習が同時に出来る作りになっている。
「え、でも……」
俺は言葉を濁した。
一成の好意に甘え切ってしまっては自分の為にならない。とはいえ、今日は銅音の絵のモデルになる日だ。真面目に宿題に取り組んでいては睡眠時間が削れてしまう。どうするべきか。俺は逡巡したが、「昨日のお詫びです」と引く気配をみせない一成に、結局は押し負けた。
「ありがとう。このお礼はするよ」
「結構ですよ。望海様のお役に立てるのですから」
「私も勉強が出来れば良かったのですが」
それがコンプレックスを刺激したようだ。勉強面で自分が俺たちに劣ることを気にしている一臣が、どこか気落ちした様子で言葉を継ぐ。
「なら、一臣は俺に体力作りに効果的な運動を教えてよ。スポーツ続けてるんだから」
俺は一臣の顔に視線を移した。
笑うとなくなる細い目が、今は筆で引いたように切れ上がっている。けれども厳つさは感じない。
「スポーツと言いましても、弓道は激しい運動を伴うものではありませんので」
「良く言うよ。筋肉あるでしょ。俺を運べるくらいなんだから」
「それは、まあ。望海様は華奢ですし」
少し気分を持ち直したようだ。一臣の弱り切った眉が位置を戻す。
「それでも充分」俺は一臣に笑いかけた。「何かで読んだけど、体力を付けるには筋力を付けるといいって。だから筋トレでもいいよ。俺がもう少し三人の相手が出来るようにしてよ。その方が一臣だって嬉しいでしょ」
「ええ、それはまあ……ですが、そうしたことを抜きにしましても、望海様は体力を付けられた方がいいとは思っております」
「でしょ。なら、早速今日からね。家に帰ったらメニュー組んで」
はい。と、笑顔で頷いた一臣に、俺は胸を撫で下ろした。
そんなことを気にしなくともいいと口で言うのは簡単だ。だが、それでは本当の意味での慰めにはならない。俺にだってコンプレックスがあるからわかる。この貧相な身体。望海を望海たらしめているか細い身体は、俺にとっては自分の立場の弱さの象徴だ。
両親に庇護され、一成と一臣に庇護され、そして相馬にも庇護される。いつも誰かに護られてばかり。俺が自分の意志で自らを取り巻く不利な環境をどうにか出来たことなど、これまであまりなかったのではないか。昨日だってそうだ。結局、一成や一臣。そして銅音に助けられてしまった。
それもこれも男としては華奢なこの体躯の所為だ。
城石望海という少年はその可憐な面差しも手伝って、守ってやりたくなるような見目をしている。中身である俺が思ってしまうくらいなのだ。周囲の人間はもっとそう感じているに違いない。相馬を巡って女子生徒にライバル扱いされるのだってそうだ。俺の身体がもう少し男らしかったら、彼女らはそんなことなど考えもしなかっただろう。だから俺は、せめてもう少しだけでも、望海を男らしい体躯にしたいのだ。そうすれば、俺自身も自分の行動に自信が持てる気がする――ここまで運命に流されるように生きてきた俺は、その道から外れても大丈夫な力を欲しているからこそ、最もわかり易い形で目に見える体つきをどうにかしたいと考えていた。
まあ、正直、それが周りに理解されているかというと、そんなことはない訳だけど……。
でも、だからこそ俺は一臣を本当の意味で慰めてやりたいと思った。その為には長所をきちんと認めてやればいい。それが伝わったのかはわからないが、機嫌は持ち直したようだ。いつも通りの表情。真っ直ぐに伸びる青竹のように芯の通った立ち姿は、武道を続けている一臣ならではだ。
「望海様、銅音が来ましたよ」
一臣の言葉に視線を動かすと、クロッキー帳を手にした銅音が教室の入り口に立っているのが目に入る。
気崩した制服が退廃的に映るのは相変わらずだ。同じ高校生とは思えない銅音の大人びた姿に少しどきりとしつつ、俺は鞄を手に席を立ち上がった。
「どこで描くの?」
「工作室。鍵は借りた」
鍵を見せてくる銅音の手首に巻かれた包帯。昨日、腕を掴まれたのを振り払おうとした際に爪を立てられたらしい。痣混じりの擦過傷がその下には隠されている筈である。
見ているだけでもかなり痛そうだったが、大丈夫なのだろうか? 俺は工作室に向かって歩き始めた銅音に肩を並べながら尋ねた。
「手首、大丈夫?」
「何が?」
「絵を描くのにさ。痛くないのかなって」
「ああ、平気。見た目は派手だけど、痛みは全然ない」
俺を見て微笑んだ銅音が、俺の頭を撫でてくる。ホント、スキンシップが多いよなあ。そう思いながら一階にある工作室を目指す。
「園崎さんはどうだった?」
「どうって?」
「今日の様子だよ。昨日怖い思いをさせちゃったからさ」
「普通。全然、普通」
昨日の帰り道で聞いたところによると、新体操部の園崎さんは、部活を終えて、仲間と一緒に帰宅をしていたところで大原たちに掴まってしまったのだそうだ。教師たちの目に付かないように、学園から少し離れた場所を選んだのだろう。姑息なあの連中らしい。
「本当に?」
「ああ。彼女は強いから」
「銅音がそう言うなら信じるけど……」
「大丈夫。本当に、彼女は強いよ。メンタルが特に。じゃなきゃ新体操なんて出来ないでしょ」
そう銅音に言われても、俺は悩ましい思いを打ち消せなかった。
俺――いや、過去の望海が陰湿なイジメをしていなければ、大原に限らず、理事長の件にしても、ここまで拗れていなかった筈だ。そういった意味で園崎さんには迷惑をかけっ放しである。「何かお詫びをしないとなあ」俺の呟きに、銅音が「俺には?」と聞き返してくる。
「モデル引き受けたでしょ」
「冗談なのに」
「銅音の冗談ってわかり難いんだよねえ」
その辺りは日本人気質を色濃く受け継いでいるのだろう。銅音は内心があまり表情に出ないタイプだ。
笑いはするが、大口を開けてというタイプではない。だからだろう。茶目っ気を出されても、正直わからなかったりする。
「良く言われる」
「でしょ」
俺の返しの何が面白かったのだろう。あはは。と笑いながら、銅音が工作室の鍵を開ける。
ここから先は、一成と一臣は立ち入り禁止だ。さんざ裸を見られた後で何を言うって感じではあるけれども、全てを曝け出す性行為 と、自分を無にしなければならないモデルでは、それぞれ違った気恥ずかしさがある。しかも、ポーズを取らされる可能性だってあるのだ。その間抜けな姿を銅音以外に見られるのは嫌だ。
「では、私たちはここでお待ちしております」
その俺の気持ちは既にふたりには伝えてある。スムーズに工作室のドア前に陣取った一成と一臣に、銅音は意外だと感じたようだ。いつも三人で一緒にいるからだろう。「いいの?」と、俺に尋ねてくる。
「うん。見られたい身体つきをしている訳じゃないしね」
「城石は恥ずかしがり屋なんだね」
「そりゃそうだよ。見てよ、この腕。女の子みたいじゃない?」
俺はシャツの上から腕を掴んでみせた。細さが際立ったシルエットに、今更ながらやっぱり引き受けなきゃ良かったと思いもしたが、銅音はそういったことは全く気にしていないようだ。「俺からしたら最高のモデルだけど」と口にしながら、工作室のテーブルを部屋の端に寄せていく。
「脱いだらここに座って」
広く取られたスペース。工作室の中央に置かれた椅子を勧められた俺は、少し離れた位置に椅子を置いて陣取った銅音を振り返った。
「やっぱり脱がなきゃ駄目?」
「上だけでいいよ」
「だよね……」
俺は仕方なしに制服に手を掛けた。男に二言はない。昨日のお礼だと自分に言い聞かせながら、俺は制服を脱いでいった。
脱いだ制服を畳んで端に寄せられた机の上に置く。「ポーズは?」と尋ねると、「長くなるから楽にして」との返事。
そんなにかかるのかと思いながら、出来るだけ身体の力を抜いて椅子に座る。
かなり気恥ずかしい。
けれどもその気持ちは銅音の表情を見たら吹っ飛んだ。真剣な眼差し。俺が知る銅音は真面目とは縁遠く、いつも気だるげに頬杖を付いて授業を受けているような奴だった。そのくせ先生に当てられると、すらすらと答えてみせるような不思議な奴でもあった。それがこんなに熱意に満ちた顔付きで、俺を描こうとしている。
銅音の迫力に呑まれた俺はいずまいを正した。
クロッキー帳に鉛筆を滑らせていく銅音の迷いのなさに、彼の描ける喜びが詰まっているようだ。その真剣な表情を眺めていると、自分のコンプレックスが酷く小さなものに思えてくる。筋肉がないなんて嘆いていた自分が恥ずかしい。デッサン用の塑像を描くのにもう飽きたと言っていた銅音。彼にとって俺は新たなインスピレーションを与えてくれる題材そのものだったのだ。
外から響いてくる部活動の音をBGMに、俺は一心不乱にデッサンに取り組んでいる銅音を見つめ続けた。可憐という言葉が似合う城石望海という少年は彼の手でどんな風に描かれるのだろう? 暫くもすると、俺の中に出来上がりを楽しみにする余裕が出てきた。それは銅音が絵を描くという行為に真摯に向き合っているからこそ生まれた期待だった。
無言の時が続く。
徐々に太陽が西に傾き、工作室の壁が朱鷺色に染まった。どのくらいの時間を座っているのかわからなくなった俺が、銅音に時間を尋ねようと思った矢先、「出来た」と銅音が席を立ち上がった。
「ホント?」
「ああ、一枚目だけど」
「まだ描く気なの?」
俺は銅音の言葉に目を瞠った。
工作室の時計を振り返ればもう十八時近い。今から二枚目という訳にはいかないだろう。しかも金曜の銅音は珠算の習い事がある。と、いうことは――と考えていると、銅音が俺の考えを裏付けるように言葉を継いだ。
「今日は遅いから、また来週」
「何枚描く気なの」
「三枚くらいかな。その後にカンバスに描く」
「えー。大事になってない?」
参ったなあ。俺は頭を掻いた。ちょっとしたお礼のつもりだったのに、本格的にモデルをやらなければならないようだ。
「描かせて」
手首に巻いた包帯を指で指し示しながら、銅音が押しの強さをみせてくる。俺は言葉を詰まらせた。利き腕に怪我をさせてしまった以上、ありきたりなお礼の気持ちだけでは確かに足りない。
「わかったよ。けど、その前に今日の分見せて」
俺は席を立ち上がって、銅音が手にしているクロッキー帳を受け取った。
髪の毛一本まで丁寧に描き込まれた精緻な絵。まるで鏡を見ているようだ。可憐な望海の顔。けれどもどこか芯の強さを感じさせる……。
銅音には俺の姿がこう見えているのだ。それが真っ直ぐに伝わってくる。
正直、上半身の筋肉のなさまで再現されているのには思うところがあったりもしたけれども、だからといって、なよっとした感じとはまた違う。華奢な部分はそのままに。そこに男性性をきっちり落とし込んできたような、そんな趣きのあるデッサンだった。
「凄い。俺だ」
「そりゃあ、そう」銅音が笑った。「城石を描いたんだし」
「ここまで描いてくれるとは思ってなかった。ありがとう」
俺はクロッキー帳を銅音に返した。そして制服を着るべく、荷物を置いた机に向かった。
「城石」
「なぁに」
「ここ」
俺の背後に立った銅音が、俺の右の脇腹を指でちょんちょんと突いてくる。何だろうと思いながら俺は自分の右脇腹を見た。そして驚いた。背中に近い位置に紅斑が刻まれている。
一成だ。
全身から汗が噴き出てくるような感触。背中を伝う冷たいものを誤魔化すように、俺は銅音を振り返った。
「何だろうね。どこかぶつけたかな」
「昨日の怪我じゃないよね。誰?」
特徴的な赤味は、怪我と言い張るには色鮮やか過ぎる。それに銅音は気付いているようだ。「城石、恋人いるの?」と、俺の顔を覗き込んでくる。
「はは……ま、まあ、ちょっとね……」
「教えて、誰?」
真優は銅音には俺のことを内緒にしてくれているようだ。それがわかるだけに、俺はどう返答するか悩んだ。一成に一臣、そして相馬。まさか候補が三人もいるとは言えない。
かといって、ひとりの名前を出すのも、残りのふたりが面白く感じないだろう。
そもそも、真面目にデッサンをしている姿に忘れていたが、銅音だってハーレムの一員になる予定のキャラクターなのだ。今の段階で俺に好意を抱いていてもおかしくはない。その銅音が俺の恋人が男だと聞いたらどうなる? 出来れば相手をするのは三人に留めておきたい俺としては、ここで銅音を刺激するのだけは避けたいところだ。
「俺の知ってる子?」
「ちょ、ちょっと待って、銅音」
俺の両手首を掴んできた銅音が、顔を間近にして「やだ」と言う。
「ち、近い。近いよ、銅音」
「城石、鈍い」
口唇にかかる息は、薄荷の匂いがした。
「……好きだよ」
口唇に感じる柔らかい感触が銅音の口唇であるのは見ずともわかった。
俺は焦った。このまま流されるのだけは避けなければ。けれども、身体を引こうにも俺の手首は銅音にがっちりとホールドされてしまっている。その上で、繰り返し俺の口唇を啄んでくる銅音。どうにかしなければ。俺は銅音が口唇を離した瞬間を狙って言葉を吐いた。
「ふぁ、待って。待って、てば、銅音」
「待ちたくない」
「駄目だって、こういうの」
「俺のこと、嫌い?」
「嫌いとか好きとかそういうんじゃなくて」
「なら、城石。デートしよ」
「デート?」
突拍子もない提案に、俺の思考が止まった。
ゆっくりと視線を動かして、銅音の様子を窺う。伊達や酔狂で口にしているのではなさそうだ。間近にある銅音の顔は真剣そのもので、彼が俺を好きだと言っている言葉に嘘がないことが伝わってくる。
「そ、デート。それで俺のことどう感じるか判断してよ。男ってだけで振られたくない」
その言葉に俺の胸が痛む。
どうやら銅音は俺の恋人が女の子であると思っているようだ。どうしたものか。俺は断る口実を必死になって探した。まさかここで恋人が男三人だと暴露する訳にもいかない。そんなことをしたら焼け木杭には火が付くってことぐらい、幾ら恋愛音痴な俺でもわかる。
「ね、城石。先ずはお試しで一回、デートしよ」
「で、でも、俺には恋人が」
「大丈夫。男ふたりでしょ。疑われないって」
これはデートをしないことには引いてもらえなさそうだ。銅音の態度にそう感じた俺は「わかった」と頷いて、こう続けた。「だけど、俺が銅音をいいと感じるかはわからないからね。もし駄目だったらちゃんと引いてよ」
「うん、わかった」
途端に広がる喜びの色。本当にわかっているのか不明な表情を晒している銅音に一抹の不安を覚える。
だってそうだろう。俺の中では、同人誌内の銅音と望海の性行為 はかなり過激な印象だ。デートなどという甘酸っぱい展開になったからといって油断は出来ない。大体、監視役の一成と一臣からして当てにならないのだ。銅音とそういう展開になったが最後、このふたりは自分たちの優位性を示す為に混ざってくることだろう。
本当に大丈夫なんだろうか。俺は心の片隅に巣食う不安を拭えないまま、銅音とデートの日取りを決めて、それをどう一成と一臣、そして相馬に報告しようか考えながら帰途に就いた。
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